随想 母の写真を見詰めて

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:CK)

 「私には親がいないのよ」。元日の朝、受話器を置いた母は両手で顔を覆って泣き出した。親類の一人だろう。子供の私には事情は分からなかったけれど、なんとかしなければという思いで「私がいるよ、お母さん。私がいるからいいじゃない!」。そう声をかけたが泣きやまない。私の中に生まれた、なぜか母に置き去りにされたような寂しさ、もどかしさ、そして小さな怒り。そのとき心に誓った。私は決して母から離れない、と。そしてその誓いを最後まで守り通した(と思う)。
 同じジムに通い、二人でエステ。ショッピングにも連れ立って。「私たちは一卵性双生児ならぬ一卵性親子」と母がよく笑いながら言っていたけれど、まさにそういう表現がぴったりだったと思う。母は本当に心から私を愛し、私の幸せをいつも願ってくれていたけれど、私もまた、母の幸せをいつでも願っていたのだ。二人で過ごした半世紀。思いがけず母が病により召され、五十を過ぎてようやく私はソロソロと一人で人生を歩み出した。
 母亡き後私の生活に起きた変化は二つ。一つは一人暮らしが難しい父の日常を支えるため本格的に一緒に暮らし始めたこと。もう一つは礼拝の奏楽のためオルガン練習を始めたことだ。子供の頃近所のピアノ教室に通った程度で、きちんと音楽の勉強をしたわけでもない自分には大それた挑戦だけれど「やると決めたらやり通せ!」と姿の見えない母に叱咤激励され、母の寝室だった部屋にオルガンを据えた。お気に入りだったおしゃれな籐のベッドも今やリビングへ追放処分だ。父をデイサービスへ、息子を学校へ送り出すとオルガンに向かう。
 五時間も六時間も練習してしまうことがある。肘がしびれている、右手の甲に変なこぶができてしまった。明らかに手の使い過ぎ。けれど……。どうしたらよいか分からないのだ。一人ぼっちのこの部屋で。母と過ごしたこの部屋で。母のため精一杯頑張ったつもりでも、やはりこうすればよかった、ああしてあげればよかったと後悔がある。そんなとき、オルガンの上に飾られた写真を見詰める。奏楽者を目指すきっかけとなった古い白黒写真。小さなリードオルガンに手を添える着物姿の曾祖母とそばでほほえむ若き日の母。譜面台には讃美歌集。「オルガンはギュウギュウ押さずに、力を抜いて軽いタッチで弾くほうが良い音が出るわよ」。まだまだ拙くて、半人前とも呼べないけれど、先生の言葉を思い出し、そーっと鍵盤を押さえてみる。すると指先からあふれる柔らかな響きに包まれて、私の悲しみも溶けてゆく。
 今の私を支えてくれる息子の言葉。「僕は教会に通っていて本当に良かった。天国でまたあーちゃんに会えるから」。そうね。また会えるよね。

父の思い出 受け継いだ 意志と信仰

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:HT)

 私の父は一九四四(昭和十九)年六月、あと二時間で上陸と伝えられたその直後、帰らぬ人となりました。三十一歳、終戦の一年二か月前の出来事です。
 いつも黒い作業服の上下にゲートルを巻き、黒い自転車で出かける父でした。手が大きく厚くガッチリ、しっかりと手をつないで歩いた感触は、うれしかった記憶の一つです
 その父は、一九三八(昭和十三)年春、母を伴い、東京から四国土佐の「農事試験場」の職員として赴任しました。高知県は、何しろ四国の約半分を占める東西に延びる膨大な地域です。その山間の田・畑の改革、開発をするという、国が定めた計画の一端を担う現場を維持する仕事だったと聞いていました。
 ところが、赴任後の五年間は、一か所に留まるわけではなく、勤務場所の移動、転勤の連続。私たち四人の兄弟は、生まれた所が違います。仕事もはかどらない困難な状態が続いていたそうです。
 このような状況のとき、思いがけず県立学校の教師はどうかとの依頼があり、お受けし、土佐での六年目、一九四二(昭和十七)年の春、再出発となったそうです。
 私もこのときをよく覚えています。家は二階があって、門を出ると教会が見え、目の前が小学校の塀。この町にある、父の「県立幡多農林学校」(現在の四万十市の町外れにある高等学校)は、官舎から真っすぐの道の先。幼い私もうれしかったようです。学校にお弁当を届けたり、教会ではいつも横ちょで立ったり座ったり、うるさかったかもしれません。
 家には、父専用の本箱、厚いきれいな表紙の本や、「小川未明」の童話集。表紙にろうそくの絵、中は挿絵がたっぷり、その中をめくってみるのが一番の楽しみでした。そのほか厚いノートが一冊、小さい字で一杯、その間に何やら分からないけれども、花や葉っぱそして実のような物のスケッチ。隙間には四人の子どもの顔と名前がちょんとあったり、そのページを探すのが大好きだった気がします。
 当時の土佐は、山に囲まれた田畑が広がる地方であったと思います(戦後知った)。上陸する敵との戦いに対応できるよう、準備や訓練も行われていたようです。私も見たことがありました。
 私たち一家が順調な日々を送って二年が過ぎた一九四四(昭和十九)年三月、突然、予期せぬ出来事が起きました。父に召集令状が届いたのです。間もなく出征となり、母と共にバスの停留所で大勢の人たちと見送りました。この記憶は鮮明です。
 どのくらい日数がたってからか分かりませんが、多分、前線への出発直前だったようです。父がほんの一、二日帰ってきてくれました。わけもなく喜んだ私がそこにいたと思います。その父は、縁側に座っていました。私と弟は、片時もそばから離れようとしません。そのときの父の面影は、今でも消えることなく脳裏に浮かびます。
 この日を最後に、父は帰らぬ人となりました。訃報の知らせを受けた日を境に、私たちの全てが変わりました。住む家を求めて、数か所を点々と移動、近くの教会の片隅をお借りしたこともありました。このような生活は終戦の翌年の春まで続き、やっと落ち着くことができました。東京出身の私たちはよそ者。当時はまだ封建制の残る時代です。落ち着くまでには紆余曲折があり、難題が山積で、その中を生きるのは至難の業でした。でもそれからの十五年余りの生活において、徐々に受け入れられ、母も仕事をいただく機会を得ることができました。
 多々あった出来事も何とかクリアし、母と私たち四人の兄弟はそれぞれの道を選択し、今を生きています。私たちには、父から受け継いだ意志、信仰、教会がありました。共に祈り支えてくださった方々の存在には、力をいただき、励まされました。感謝です。
 土が大好き、酪農や養豚を未来の仕事にと、若い人たちと共に過ごした県立農林学校の「学び舎」での二年の日々は、幸せだったと思います。当時の生徒さんにお目にかかると、父のエピソードや物置の片隅で眠っていたノートがきっかけで、長年の研究・栽培改良の成果が実り、地元の名品メロンとして生産されているそうです。
 私は、終戦を記念するこの時期が来ると毎年思います。広島、長崎、沖縄そのほか多くの人々の生活を犠牲に奪い取っていった戦いを許せません。終戦を迎えることなく、七十五年の生涯を終えた祖父、同様に父の三十一年。今年の七十五年を受け止め、この歴史は神様の備えられた計画として受け継ぎ、主の日へと歩んでまいりたいと思います。

美子の取材日記(五) 狐狸庵先生の劇団

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:YK)

 「きみはやせっぽちで色気がないなぁ」。
 そう言いながらクリクリッとおへそを触ったのは、キリスト教をテーマにした小説『海と毒薬』や『沈黙』『深い河』などを著した遠藤周作先生。黙っているといかついお顔だけれど、実はユーモラスでめちゃくちゃいたずら好きな人だった。
 先生は、「人は人生というそれぞれの舞台の主役なのだから」と、自ら樹座(きざ)という素人劇団を立ち上げて、一般から有志を集めては大劇場のステージでスポットライトを当て、全国から募ったあか抜けない素人たちをまとめてぽんこつな演劇を何年にもわたり開催し続けた。国立劇場やら今となっては懐かしすぎる青山劇場なんていう、ベテラン俳優しか立てないステージで、だ。
 一九九〇年ごろ。当時まだ新人だった織田裕二さん、別所哲也さんらの取材を、樹座のお稽古の日程と場所に合わせて設定してもらい、今、思えば私はわがまま放題の仕事ぶり。
 樹座の世話をするスタッフは、先生ゆかりの出版社である新潮社や文芸春秋の編集者ら。それらの雑誌で座員募集広告を打ち、全国から「台本のせりふは棒読みで演技が学芸会みたいに下手くそ、音痴で歌はなってない、ラインダンスの足が上がらないけれども、一生に一度でいいから舞台に立って観客の前で輝いてみたい」と夢みる人たちが全国津々浦々から東京へオーディションを受けにやってくる。
 で、わたしは「樹座新聞」を立ち上げるよう指示されたけれども、なんだかんだ言って逃げ切った。その代わりに座員を取りまとめる係を押し付けられた。

2020年9月の主日聖書日課から

○出エジプト記 13章18~22節
 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

○ヨハネによる福音書 08章12~16節
 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。

○エレミヤ書 28章12~17節
 預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。「行って、ハナンヤに言え。主はこう言われる。お前は木の軛を打ち砕いたが、その代わりに、鉄の軛を作った。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる。彼らはその奴隷となる。わたしは野の獣まで彼に与えた。」更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ。」預言者ハナンヤは、その年の七月に死んだ。

○ヨハネによる福音書 08章39~42節
 彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。

○詩編 23編1~6節
 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 主はわたしを青草の原に休ませ
 憩いの水のほとりに伴い
 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく
 わたしを正しい道に導かれる。
 死の陰の谷を行くときも
 わたしは災いを恐れない。
 あなたがわたしと共にいてくださる。
 あなたの鞭、あなたの杖
 それがわたしを力づける。
 わたしを苦しめる者を前にしても
 あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
 わたしの頭に香油を注ぎ
 わたしの杯を溢れさせてくださる。
 命のある限り
 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
 主の家にわたしは帰り
 生涯、そこにとどまるであろう。

○ペトロの手紙一 02章18~24節
 召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
 「この方は、罪を犯したことがなく、
 その口には偽りがなかった。」
 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

○歴代誌下 07章11~16節
 ソロモンは主の神殿と王宮を完成し、この神殿と王宮について、行おうと考えていたすべての事を成し遂げた。その夜、主はソロモンに現れ、こう仰せになった。「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。

○ヨハネによる福音書 10章24~28節
 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2020」(日本キリスト教団出版局、2019年12月1日発行)より作成

2020年8月30日「つまずきを超えて」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書14章27-31節

 本日の聖書箇所において、オリープ山に向かう途中で、イエス様は弟子たちに「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われました。イエス様はここで、イスカリオテのユダだけではなく、ほかの弟子たちも皆、イエス様を裏切る、つまずくことを予告されたのです。
 そして、「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう」と、旧約聖書のゼカリア書13章7節の御言葉を引用して、その裏切りがあることを預言しています。ここで羊飼いは、イエス様のことであり、羊は弟子たちのことを指しています。つまり、父なる神は、良い羊飼いであるイエス様を十字架の死に追いやり、その時、従っていた弟子たちは皆バラバラ散ってしまうということです。
 しかし、一番弟子のペトロは、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と断言しました。イエス様は自信満々のペトロに対して、「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われます。
 それに対して、ペトロはますます、力を込めて「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言い張ります。でも、人はどんなに心で決心していても、やがてやってくる弱さを隠しきれませんでした。ペトロも例外ではありませんでした。
 ペトロは、大祭司の家の中庭で、「そんな人は知らない」と、再三言ってしまったのです。しかし、イエス様は今日の箇所において、つまずきや裏切りを予告しただけではなく、そのつまずきを乗り越える道をも、約束しています。
 「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(28節)。弟子たちにとって、ガリラヤはイエス様と出会った場所です。そこに復活のイエス様が再び行ってくださり、弟子たちを立ち直らせてくださるのです。
 そして、主イエスにつながって、信仰を持って歩むように導いてくださるのです。

2020年8月23日信徒奨励「大きな喜び」

○HK姉 ヨハネによる福音書3章16節

 私は神様に守られながら受洗から50年がたちました。
 私の家は、クリスチャンは母一人でしたが、キリスト教はごく身近なものでした。
 中学生のとき、佐倉教会に導かれ、友達とのおしゃべりや、支区の中高生会など楽しい思い出です。知らず知らずのうちに養われていったのでしょう。
 20才になったとき、牧師先生から「そろそろいいでしょう」と言われ、何の疑問もなく当たり前のように「はい」と応え受洗した、まことに素直な始まりでした。
 結婚後しばらくは教会から遠ざかってしまっていましたが、20数年ぶりに佐倉に戻ってきたときは自然に佐倉教会に導かれ、ほっとしたことを覚えています。
 礼拝に励まされ、教会員の方々との交わりに助けられながらも、それでも自分の頼りない信仰に悩んでいたとき、「捜索願い」と題された講演がありました。見失った1匹の羊のたとえです。
 迷子の羊であった私はイエス様に見つけ出され、神様のところへ連れ戻してくださり、それからずっと教会の群れにつなぎとめてくださっていたのだと、改めてその大きな恵みに気付かされました。そしてこんな頼りない私でも、神様は見つかったことをとても喜んでくださるのです。
 この50年の間にはいろいろありましたが、その度にイエス様に救い出していただき、共にいて支えてくださる幸いを思います。私たちを救うため、独り子をお与えくださった神様の深い愛に応え、差し伸べてくださる御手にすがりながら、歩み続けていきたいと思います。

2020年8月16日「主の晩餐」

〇金 南錫牧師 マルコによる福音書14章22ー26節

 本日の聖書箇所は、いわゆる「最後の晩餐」と言われている箇所です。この最後の晩餐の食事は、過越祭の食事がなされる夜、行われたので、過越の食事でもありました。
 しかし、イエス様は、このとき、過越の食事に新たな意味を持たせているのです。
 イエス様は賛美の祈りを唱えて、パンを裂き、弟子たちに与えました。しかし、ここでイエス様は、「取りなさい。これはわたしの体である」とおっしゃいました。
 さらに、杯を取り、感謝の祈りを唱え、弟子たちに渡します。そのときもイエス様は、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」とおっしゃいました。つまり、イエス様は、過越の食事におけるパンと杯を、ご自身の体と血として、弟子たちに差し出されたのです。
 ところが、弟子たちは、イエス様が語っておられることがどういう意味なのか、よく分かりませんでした。イエス様は次の日に十字架にお架かりになったのです。弟子たちは皆逃げました。
 しかし、三日後にイエス様は復活され、逃げた弟子たちにその姿を現わされ、ご自身が誰であるか、どうして十字架にお架かりになったのか、そのことをはっきり教えられたのです。それ以来、弟子たちはイエス様が復活された日曜日に集まり、聖餐を守るようになったのです。
 教会はこの聖餐式を今日まで、守ってきました。イエス様の十字架の赦しと恵みを、思い起こし、心に刻んだのです。

2020年8月2日「ナルドの香油」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書14章1-9節

 過越祭と除酵祭の二日前になった時でした。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエス様を捕らえて殺そうと考えていたのです。
 ところが、彼らは「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこうと言っていた」とあります(2節)。なぜでしょうか。それは、イエス様がこれまで様々な奇跡を行い、語る御言葉が力強く、民衆の心を捉えていたからです。
 そして、人がたくさん集まる祭りの時に、イエス様を捕らえようとすると、騒乱の事態になるだろうと、彼らは考えたのです。だから、祭りの間はやめようとしたのです。
 今日の聖書箇所は、この祭司長たちや律法学者たちに対比するように、3節からの出来事を記しています。この出来事は、「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき」のことでした。
 そこに一人の女性が、非常に高価なナルドの香油が入った石膏の壺を持って来たのです。そして、それを壊し、その香油すべてをイエス様の頭に注ぎかけたのです(3節)。人々はその光景を見て、なんという無駄なことをしているのかと、彼女を厳しくとがめたのです。
 しかし、イエス様はこの女性の行為に対して、こう言われました。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。…この人はできる限りの良いことをした」(6-8節)。
 では、私たちはイエス様に対して、どのようにかかわっているでしょうか。ナルドの香油は、私たち一人一人にも与えられているのです。私たちのささやかな奉仕であっても、感謝と献身の思いをもって、捧げる時に、主が共にいて、励ましてくださるのです。
 このことを覚え、最後までその信仰の道を全うしていくことができますように、祈ります。

2020年8月の主日聖書日課から

○列王記上 17章12節~16節
 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。
 主が地の面に雨を降らせる日まで
 壺の粉は尽きることなく
 瓶の油はなくならない。」
 やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。

○ヨハネによる福音書 06章24節~27節
 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」

○箴言 09章07節~10節
 不遜な者を諭しても侮られるだけだ。
 神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
 不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。
 知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
 知恵ある人に与えれば、彼は知恵を増す。
 神に従う人に知恵を与えれば、彼は説得力を増す。
 主を畏れることは知恵の初め
 聖なる方を知ることは分別の初め。

○ヨハネによる福音書 06章43節~50節
 イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。

○士師記 06章36節~40節
 ギデオンは神にこう言った。「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます。」すると、そのようになった。翌朝早く起き、彼が羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。ギデオンはまた神に言った。「どうかお怒りにならず、もう一度言わせてください。もう一度だけ羊の毛で試すのを許し、羊の毛だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください。」その夜、神はそのようにされた。羊の毛だけは乾いており、土には一面露が置かれていた。

○ヨハネによる福音書 07章14節~17節
 祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。

○ヨブ記 28章23節~28節
 その道を知っているのは神。
 神こそ、その場所を知っておられる。神は地の果てまで見渡し
 天の下、すべてのものを見ておられる。
 風を測って送り出し
 水を量って与え
 雨にはその降る時を定め
 稲妻にはその道を備えられる。
 神は知恵を見、それを計り
 それを確かめ、吟味し
 そして、人間に言われた。
 「主を畏れ敬うこと、それが知恵
 悪を遠ざけること、それが分別。」

○ヨハネによる福音書 07章40節~44節
 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。

○出エジプト記 34章04節~09節
 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

○ヨハネによる福音書 08章03節~11節
 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2020」(日本キリスト教団出版局、2019年12月1日発行)より作成

2020年7月26日「目を覚ましていなさい」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書13章32-37節

 マルコによる福音書13章は、イエス様が弟子たちに最後の教えとして、世の終わりの時について語られたところです。この後、イエス様は捕らえられて、十字架に掛けられますが、その出来事の中で、弟子たちは何が起こっているのか理解できず、ただ恐れて、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。
 また、イエス様がゲツセマネの園で悲しみ苦しんで祈っている間、弟子たちは眠ってしまいました。「目を覚ましていなさい」と言われたのに、眠ってしまったのです。本日の箇所においても、「目を覚ましていなさい」という御言葉が三回にわたって語られています。
 今日の聖書箇所の最初のところで、イエス様はこう言われます。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」
 ここでの「子」とは、イエス様のことを指しています。イエス様はいつ終末が来るのか、そのことはだれも知らないし、自分さえも知らないと、ここで断言されています。大切なのは、神様だけが御存じである終末の時は必ず来るから、「目を覚ましている」ことです。
 「目を覚ましていなさい」。この目は、主を見上げようする信仰の目のことです。私たちが毎週、礼拝を守っているのは、主の日から始まる一週間を目覚めていたいからです。そうしないと、様々なものに惑わされ、信仰の目が閉ざされてしまうのです。
 私たち一人一人が、信仰の目を覚ましつつ、生涯を主に向かって、一歩一歩歩んでいけますように、祈り願います。