2020年8月16日「主の晩餐」

〇金 南錫牧師 マルコによる福音書14章22ー26節

 本日の聖書箇所は、いわゆる「最後の晩餐」と言われている箇所です。この最後の晩餐の食事は、過越祭の食事がなされる夜、行われたので、過越の食事でもありました。
 しかし、イエス様は、このとき、過越の食事に新たな意味を持たせているのです。
 イエス様は賛美の祈りを唱えて、パンを裂き、弟子たちに与えました。しかし、ここでイエス様は、「取りなさい。これはわたしの体である」とおっしゃいました。
 さらに、杯を取り、感謝の祈りを唱え、弟子たちに渡します。そのときもイエス様は、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」とおっしゃいました。つまり、イエス様は、過越の食事におけるパンと杯を、ご自身の体と血として、弟子たちに差し出されたのです。
 ところが、弟子たちは、イエス様が語っておられることがどういう意味なのか、よく分かりませんでした。イエス様は次の日に十字架にお架かりになったのです。弟子たちは皆逃げました。
 しかし、三日後にイエス様は復活され、逃げた弟子たちにその姿を現わされ、ご自身が誰であるか、どうして十字架にお架かりになったのか、そのことをはっきり教えられたのです。それ以来、弟子たちはイエス様が復活された日曜日に集まり、聖餐を守るようになったのです。
 教会はこの聖餐式を今日まで、守ってきました。イエス様の十字架の赦しと恵みを、思い起こし、心に刻んだのです。