危機を乗り越える 主イエスの復活の信仰 マルコによる福音書一五章四二節~一六章八節

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 創立から今日に至るまで様々な時代を生き抜いた教会は、この歴史を大事にしてきた集まりです。本日、創立百十六年を迎えた佐倉教会は、日本の教会の歴史の中では、長い歴史になります。戦中の困難な時代、戦後の大きく変わった時代、そして、近年においても、この時代は本当に揺れ動いています。人々はまさに危機の時代を生き、特に教会はその中でも、危機の波を乗り越えてきました。
 その中、教会に結ばれてきた教会員お一人お一人は、その時代の危機を乗り越えて、その時代の信仰者として歩んでこられた人たちです。つまり、それぞれの時代において、与えられた賜物を生かして、教会を支えてきた信仰者でした。そして、その信仰が私たちに受け継がれてきたのです。
 『日本キリスト教団佐倉教会 創立八十周年記念誌』の中、佐倉教会を通して献身された石川深香子先生が書いた、こういう文章があります。
 「この八十年の歳月は戦前、戦中、戦後という激動の時代も経過してきたわけですし、特にキリスト教会にとっては迫害の時代が続きましたから佐倉教会としても例外でもありませんでした。
 …しかしそのような中でも、…特にキリストの体なる教会が立てられていくために、教会の役員として又信徒として牧師と労を共にされたお一人お一人、今も現役で活躍しておられる皆様の中に大きく作用し続けていることを、遠く離れて母教会を見守らせていただいている私にはよく分かります。そのお陰で教会はサロン的な集いに落ちることなく建全な成長を遂げてこられたと思っております。…これから教会は伝道の業がなされるために一人一人の信仰がいつも正されていかなくてはならないと痛切に感じます。」

 信仰の始まり

 では、いつも正されていかなくてはならない信仰の始まりは、どこにあるのでしょうか。それは、復活の主に出会った弟子たち、即ち、使徒たちと言われる最初の弟子たちに遡っていきます。その信仰こそ、私たちの信仰の原点になります。使徒たちは実際に、イエス様と寝食を共にしてきました。そして、新約聖書に残されている主の言葉を後の人に伝え、主のご命令によって、人々に宣教してきた人たちです。その信仰によって生まれた教会、その教会は主イエスの復活の命を受け継がれて来たのです。
 本日の聖書箇所は、そのイエス様の埋葬と復活について記されています。イエス様は聖金曜日の午前九時に十字架につけられ、昼の十二時に全地は暗闇で覆われ、午後三時に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれ、死なれました。その金曜日の日没からは、安息日に入ります。安息日には遺体を埋葬することができなかったので、午後三時から日没までの短い時間に、イエス様の埋葬をやり終えなければなりませんでした。その役割を担ったのがアリマタヤ出身のヨセフです。
 イエス様の十一人の弟子たちの中では、この役割を担う者は誰もいませんでした。彼らはユダヤ人たちに捕まることを恐れて、家の戸口に鍵を閉めて隠れていました。アリマタヤのヨセフはイエス様の十字架の出来事に触れて、勇気を出し、総督ピラトのところに行って、イエスの遺体の引き取りを願い出たのです。
 ピラトは百人隊長を呼び寄せ、本当に死んでしまったかどうかを確かめた上で遺体の引き渡しを許しました。それでアリマタヤのヨセフは、イエスの遺体を十字架から下ろして亜麻布で巻き、岩を掘って造った墓の中に納めました。墓の入り口には石を転がして蓋をしました。そのようにして、イエス様の遺体は、安息日が始まる前、金曜日のうちに墓に葬られたのです。
 毎週、礼拝では使徒信条を告白しますが、その中に「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ」とあります。これは、「葬られた」ことを抜きにして主イエスの受難、十字架の苦しみを見詰めることができないことを語っているのです。イエス様が墓に葬られたことは、教会の信仰、そしてその信仰を受け継いだ私たちの信仰においても、とても大事なことなのです。ですから、四つの福音書すべてがイエス様が十字架につけられて死んだことだけではなく、墓に葬られたことを記しているのです。
 安息日が終わると、マグダラのマリアをはじめ女性の弟子たちがイエス様の遺体に油を塗るために、墓へ向かいました。今まで慕っていたイエス様が亡くなられたことの悲しみが彼女たちの心を支配していました。しかも、墓の入り口は大きな石で塞がれていたので、彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていたのです。
 しかし、墓で彼女たちを待ち受けていたのは、思いもかけない出来事でありました。「ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた」(一六章四、五節)。不思議にも入り口の石が既に脇へ転がしてあったのです。
 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が見えて、こう語ります。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」(六節)。

 教会で復活の主に出会う

 天使のような若者は、死んで葬られたイエス様が復活なさって、ここにはおられないと語っています。そこには、イエス様がどのようにして復活なさったかについて、書いてないので分かりませんが、大事なことは、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」というこの言葉を信じるかどうかです。様々の時代において、教会員お一人お一人は、この主イエスの復活を信じ、その復活の命に触れて、信仰者として歩んでこられました。信仰を命にして生きたのです。今、その信仰が私たちにも、受け継がれてきたのです。
 「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」(七節)。最初の弟子たちにとって、ガリラヤとは自分たちの生活の場でありました。そこで、復活のイエス様が逃げ去った弟子たちに、もう一度出会ってくださると約束しているのです。
 今日の私たちにとって、ガリラヤとはどこでしょうか。それは、キリストの体なる教会です。教会で私たちは、復活の主に出会い、その復活の命に触れて、主を礼拝します。
 佐倉教会において、創立から百十六年間守られてきたこの礼拝を通して、信仰の源泉である主イエス・キリストの十字架と復活、そして、その復活の命にあずかるという信仰に、これからもしっかりと立ち続ける者となっていけますよう、切に祈り願います。

兄弟姉妹の近況報告 I姉 久しぶりの祈り

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:MI)

 いかがお過しでしょうか。私たち施設の利用者はますます厳しい監視下に置かれています。半年以上も靴を履いて外へ出たことがありません。礼拝に出席できないことがこんなに悲しく悲しいことだと、初めて分かりました。
 段々聖書も読まず、祈りもしない日が続いてしまいます。一昨日の日曜日は起き上り、ベッドのふちに腰掛けて主人の写真に見詰められながら、しばらく祈りができました。
 「弱虫の私をもう少し強くしてください。相手が居なくて神さまやイエスさまや聖書のことを話し合う機会がありません。どうぞ私が落ちこぼれないようにしっかりつかまえていてください。私には頼るべきお方はあなたしかいません。しがみついて付いて行きますから、どうぞお手を離さないでください」。ただただそれだけを祈りました。久しぶりに祈りができて、泣いてしまいました。
 MTさんが時々電話を下さいますので、教会の様子が少しは伝わってきます。皆様、どうぞコロナに気をつけて、元気でいてください。いつかきっとまた、佐倉を訪ねる日が来ると信じます。

(九月二十三日記)

兄弟姉妹の近況報告 H兄 満面の笑顔が戻る

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:AA)

 父は十一月二十八日に九十一歳になりました。
 三月より三か月間入院しておりましたが、コロナ禍で面会謝絶でした。そのために記憶も言葉も失い、すっかりうつろな表情になり、以前の元気な姿が消えてしまいました。私たちは胸を痛め、金先生や皆様にお祈りをお願いしてまいりました。
 ですがどうでしょう。今では満面の笑顔が戻り、会話もできるように回復しました。秋にはひ孫も授かり喜ぶことができました。
 神様の不思議な力を実感しております。皆様のお祈りを心より感謝いたします。

兄弟姉妹の近況報告 N兄 神様の御手に委ねて

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YK)

 父は二年ほど前に脱水症状が出て、三か月ほど入院しました。その間に歩行困難になり、経口摂取ができなくなりました。病院の医師から「自宅での生活は絶対に無理です。退院許可は出せません」と何度も言われました。自宅に戻りたいという本人の強い希望もあり、訪問診療所の先生と介護施設の方々の支援の下、何とか退院が可能な状態になり、自宅に戻ることができました。
 退院後は肺炎やインフルエンザにかかり、回復するどころか衰える一方でした。急な機能の衰えを受け入れることができずに悲しい気持ちになり、焦ることも多かったです。
 退院から一年くらいたった頃、人の生死は神の御手の下にあり、その中で生かされているのだということを謙虚に受け止めることができるようになり、少しずつ心が落ち着くように変わってきました。神様の御手に父と自分を委ね、神様が決めてくださった地上での歩みが続くときまで父と穏やかに生活することができますよう祈っていきたいと思っています。
 金牧師と教会員の方々の祈りや励ましに、心より感謝しています。日々の心の支えにさせていただいています。本当にありがとうございます。

随想 悪筆は「宮本武蔵」のせい

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YH)

 父の蔵書の中に、吉川英治氏による『宮本武蔵』の初版本(全六巻)があり、平仮名を覚えた小学校低学年の頃から読み始め(全ての漢字にフリガナが付いていたので、子供でも読めた)、お通とのすれ違いが繰り返される物語が、まさに「君の名は(一九五四年から始まったNHKのラジオ連続放送劇で、これが始まる頃には、銭湯から客が居なくなった)」の様に堂々巡り(子供の感覚では三歩進んで四歩下がる)であったのにいささか立腹したものの、全体的なストーリーが面白かったもので、何度も何度も繰り返して読みました。結果、漢字を「(出来上がった)形」で覚えてしまうことに至り、当然のことながら肝心な筆順を学ぶことはできませんでした。
 小学校の国語の授業で先生が漢字を教えるときに、正しい筆順も黒板に書いてくれましたが、既に多くの漢字は覚えていたため(但し、旧漢字ではあったが)、「そんな漢字はもう知ってるので、別のことしよう」って考え、机の下で版画を彫っていたら、ノミが滑って左手人差し指の根本を切って大出血となり、すぐに近くの医院で三針ほど縫ってもらったりしたこともありました。でも、お陰で国語の成績はいつも良好でした(漢字の試験では形ができていればOKで、筆順はチェックされない)。
 しかしながら、中学生になった頃から「他の同級生たちと比べ、俺の字は汚いなぁ、何故なんだろう」って思い始めた頃、同級生から筆順の違いを指摘され、教えられたとおりに書くと奇麗な字になることに気づいたものの、「膨大な数に上る漢字の筆順を覚え直すのは大変だし、俺の字は汚いけど誰でも読めるが、達筆の人が書いた字は読みにくい。したがって、コミュニケーションのツールとしては、俺の字の方が勝っている」と都合よく考え、改めて筆順を学び直すことはやめました。
 でも、社会人となり、上司に年賀状を出したら、小学生の子供さんから返事が来たりで、いささか情けない思いをしたこともありましたけれども、そのうちにOA化が始まって職場のみならず家庭にもワープロやPCが鎮座する環境となり、誰が文章を作成しても「奇麗に整った文字」で書かれるようになり、私にとっては素晴らしい環境となりました。
 ところが、慶弔の場では自署を求められることが多く、つい、前後に書かれた他の方々の自署を見て、「ありゃ、皆さん上手だなぁ。俺、書きたくないなぁ。子供の頃、キチッと勉強しておけば良かったなぁ」と、今頃になって後悔しています。
 聖書を見ると、全ての漢字にフリガナが付されていますから、もしかしたら私のように漢字をいきなり「形」で覚えてしまう子供が出現するかも知れません。聖書が誰にでも親しく読まれるよう、漢字にフリガナを付すのも良し悪し(善し悪し)です。
 天なる主、御子であられるイエス様、決して聖書を非難している訳ではないことを理解され、お赦しください。

祖父の回想を読んで 伝えたかった「神意」

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:HT)

 私の祖父は、一八七二(明治五)年三月、新潟県高田市で生まれました。日清、日露戦争の時代、軍人として艦船に乗っていました。退官後は、「日本移民協会」という会を設立し、大正中期より昭和初期まで従事しました。
 祖父は、キリスト教と出会い、中学三年のとき、同級生の親友六人とともに受洗していました。教会と女学校の創立を記念してとのことだったそうです。どちらの教会と学校なのか、定かではありません。男尊女卑の時代、当時としては大変なことだったのでしょう。

 日本移民協会の創立

 その後、海軍兵学校を終えて、日清戦争の真ん中に艦船上の人として出発。二十三年後、現役を退き、海軍生活を終えました。
 退官後は、尊敬する義兄とともに「日本移民協会」という会を創立しました。第一次世界大戦も終末期で、「人種平等、平和維持、世界の資源の公平」等を基軸とし、国の過ちを正し、差別のない世界の実現を願い、立ち上げた協会と記されていました。
 移民協会の働きが徐々に理解されるようになってきた頃に発生したのが「満州事変」です。祖父は言っています。争いは「愚」、人種の差別、不平等、自由を奪い、迫害を生じると。
 日清戦争は、十九世紀末、「下関条約」の成立により閉戦。そのほぼ十年後の二十世紀初期、日露戦争は、「ポーツマス条約」をもって閉戦を迎えることとなりました。その後、祖父は、四十五歳で「巡洋艦」上の人としての任務を終えて、二十三年間の現役を終了、海軍での生活から退きました。
 海軍現役中の任務は多種、多難でした。争いの現場においては、責任重大です。「連合艦隊」の一員として臨んでおり、「巡洋艦」での任務は複雑でした。回想に家族の消息をその都度書き残していたことが印象に残っています。でもなお思います。祖父にとっての本当の「海」は、日本移民協会の皆さんとともに、その活動に携わったことだったのではないかと。

 祖父の「感無量」

 祖父の「感無量」という文字をそこかしこに見ました。中でも「防護巡洋艦、秋津州(アキツシマ)」の着任を命ぜられたときや託された業務を無事終わったときなどの記述で特に感じました。今回、この回想の記録を読み終えて思うのは、この「感無量(感慨無量)」の言葉を通し、経験を「神意」として伝え、証しとして残しておきたかったのではないかと。
 回想の最後のページに記された言葉です。
 「武力解決は、一時の不得。不倶戴天(フグタイテン)の敵という時代。広く活眼を開き、包容の態度を練りもて。人類の幸福は、神意人道なり。聊か(いささか)の所見を記して子孫に教ゆることとす。一九三七(昭和十二)年十一月記す 加藤壮太郎」(武力での敵、味方は当てにならない。目を開いて、物事の道理や本質を見抜くべきです。人の幸せの全ては神様の意志のみにあります)。
 祖父に関しては、手元にある写真数枚と、三歳ぐらいのとき父とともに上京し会った記憶しかありませんでした。回想を読んで、私も祖父のまねをして「感無量」と言いたいと思います。

美子の取材日記(六) 心の機微を描いた「化粧」

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YK)

 新宿三丁目の紀伊國屋ホールで、平淑恵の一人芝居『化粧』を何度か観た。大衆演劇一座の女座長・洋子が主人公の、うらびれた芝居小屋で起こった、生き別れの母と子の物語。初日の幕が開く前の楽屋で舞台化粧をしている洋子の元に、若かった頃の彼女が捨てた息子が、今や押しも押されもせぬ人気アイドルに成長して母親の舞台を観に来る。そうと聞いた彼女の心の揺れようたるや尋常ではない。
 さらに、物語に出てくる芝居小屋は近く取り壊されるようだ。背後では絶え間なく工事のクレーンの轟音が鳴り響き、洋子のか細い独り言の回想がかき消されそうになる。
 さて、この舞台を二度目に観て気がついた。この話は全部、洋子の妄想なのではないか、と。一人芝居だとばかり思って観ていた物語は芝居なんかじゃなく、洋子の哀れな現実だったのだ。
 よくできていると感心しながらのめり込んで観ていた一人芝居の脚本は、実は恐ろしいことに懸命に生きてきた洋子という狂人の現実なのだった……。

 洗礼を受けた井上ひさし

 この舞台は井上ひさし脚本の『化粧』だ。井上ひさしといえば『ひょっこりひょうたん島』や『ひみつのアッコちゃん』など子ども向けの作品が有名だけれど、『化粧』のように人生を重ねてきた人びとの心の機微を描いたものもある。それはもう寂しくて救われない人生だ。
 ある冬、井上ひさしの戯曲を専門に上演する「こまつ座」の事務室で平の取材を待っているとスタッフが教えてくれた。
 「井上は東北のラ・サール会の孤児院に預けられて育ったんですよ。洗礼を受けたのはその頃のことなんですって。この『化粧』には井上の心の機微が反映しているでしょう?」
 本がびっしり並んだこまつ座の書架。浅草橋の駅から降り積もった雪を踏みしめながら行った当時の「こまつ座」は、広くはないけれどもホッとする場所だった。真冬の雪道と井上のぬくもり……「こまつ座」に近い秋葉原や浅草橋辺りの高架からは、いつもそんことを想いながら総武線の窓から景色を眺めるのだ。

ダビデの悔い改めの祈り 賛美を回復される神 詩編五一編一~一七節

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 ある家族が黄色いカナリヤを飼っていました。朝から晩まで素敵な声をさえずっていたそうです。籠の中には必要なものが備えられていました。餌や水を与える道具だけでなく、水浴びをするためにガラス製の器もありました。
 ところが、ある日飼い主が掃除をしていて、うっかりその水浴びの器を割ってしまいました。すると、間もなくカナリヤの元気がなくなり、二日目には鳴かなくなってしまったのです。原因が分からず、病気になってしまったのだろうかと心配していたのですが、一週間後、水浴びの器を入れたところ、すぐにカナリヤは中に入り、水浴びをし、きれいな声で鳴き始めたのです。
 この話は、自分がきれいでなければ、歌えなかったことを教えています。ダビデも同じ経験をしたのです。彼は、罪を犯したことによって賛美することができませんでした。ところが、悔い改めることによって賛美が回復されていきました。 
 ご存じのように、ダビデは姦淫と殺人の罪を犯しました。そのとき、神様は預言者ナタンを通してダビデの罪を指摘しました。ダビデは、一国の王様でしたが、六節にありますように「あなたに、あなたのみに私は罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました」と、自分は神に罪を犯したと告白しました。
 そのとき、神様は、自分の罪を告白したダビデに罪の赦しを与えてくださったのです。 神様の恵みにより、罪の赦しをいただいたダビデは、神様にこう告白します。「御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください」(一四節)。
 ダビデは御救いの喜び、自由の霊を再び味わわせてください、と祈り求めました。そして、神様に一つの決心をしています。「わたしはあなたの道を教えます。あなたに背いている者に、罪人が御もとに立ち帰るように」(一五節)。
 ダビデは、神様に自分に御救いの喜び、自由の霊を再び味わわせてください、そうすれば、あなたに背いている者、罪人に、「あなたの道を教えます」と決心したのです。
 それは、罪人が主に立ち帰るためでした。ダビデは、神様からいただいた救いの恵みを他の人と分かち合い、罪の中に苦しんでいる誰かが、主に立ち戻ることができるように祈ったのです。私たちはどうでしょうか。救いの恵みを他の人と分かち合ったことがあるでしょうか。
 「御救いの喜びを再びわたしに味わわせてください」と求めていたダビデは、「主よ、私の唇を開いてください」と祈り求めています(一七節)。

 祈りと賛美が消えるとき

 これは、裏を返せばいつか自分が罪の中にいたとき、唇が閉じていた、ということを表しています。罪の中にいるとき、唇が閉じて、祈りが消えてなくなります。次に、賛美が消えているのです。いくら唇を開いて祈ろうとしても、祈りの唇が開きません。雑念だけがあふれ、思い浮かびます。このとき、クリスチャンは、霊的にうめきます。神様との関係が閉じられてしまったからです。
 ダビデは耐えられませんでした。罪の中にいたとき、唇が開かず、苦しんでいたと告白します。そして、「主よ、わたしの唇を開いてください」と、祈ったのです。一六節に、「神よ、わたしの救いの神よ。流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業を、この舌は喜び歌います」とあります。
 ここで、「流血の災い」とは、ダビデが、バト・シェバの夫であるウリヤを激しい戦いの最前線に出し戦死させた、殺人の罪を指しています。その流血の災いから、わたしを救い出してくださいというのは、その殺人の罪から自分を救い出してください、ということです。
 このように、流血の災いに対する赦しと救いを求めたダビデは、「恵みの御業を、この舌は喜び歌います」と祈ったのです。ここで「恵みの御業」は、犯した罪を悔い改める人に対する、神様の赦しと救いの御業です。また、「喜び歌います」ということは、全ての力を尽くして、賛美することです。全ての力を尽くして、自分が犯した罪から救ってくださった恵みの御業を声高らかに歌うことを示しています。
 聖書を見ると、ダビデは賛美する人でした。神様の臨在を現す「主の契約の箱、神の箱」がエルサレムへ運び上げられたとき、ダビデは裸になっていることも気づかないほど、神の御前で踊り、賛美したのです(Ⅱサム六章一四節)。
 また、歌である詩編は、百五十編の中、「ダビデの詩」、あるいはダビデと書かれた詩が、七十三編もあります。ところが、実際、ダビデが書いたのに、ダビデと書かれていない詩編も多くあります。これを見ると、ダビデがどれほど多くの詩編を作って、神を賛美したのかを知ることができます。
 それだけではなく、ダビデは詩編二二編の四節で、「あなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」と、告白しています。

 賛美する人に

 ダビデは、神様がイスラエルの賛美を受ける方であることを知っていたのです。ですから、ダビデは、戦場に出ていくときにも、賛美しました。敵から非難を受け、人々からの裏切りを受けたときにもダビデは賛美しています。サウル王から追われる逃亡のときにも、ダビデの唇から賛美は離れなかったのです。なぜでしょう。ダビデは、賛美する人であったからです。
 サムエル記下二三章を見ると、ダビデが死を前にして、最後の詩を作って、神様を賛美する場面があります。ここで、ダビデは、自分の身分についてこう言います。サムエル記下二三章一節です。
 「以下はダビデの最後の言葉である。エッサイの子ダビデの語ったこと。高く上げられた者。ヤコブの神に油注がれた者の語ったこと。イスラエルの麗しい歌」となっていますが、このうち、「イスラエルの麗しい歌」について、口語訳では、「イスラエルの良き歌びと」となっています。ダビデは、人生の最後を迎えて、イスラエルの王ではなく、「イスラエルの良き歌びと」として、自身の身分を語っているのです。つまり、王様よりイスラエルの神を賛美することが大事であることを表しています。
 クリスチャンは賛美する人です。「主よ、わたしの唇を開いてください」と祈り、「恵みの御業を、この舌は喜び歌います」と告白したダビデのように、それぞれ置かれた場所で賛美を回復し、声高らかに、歌うように祈り願います。
 今、残念ながら、新型コロナウイルスのことで、大きな声で讃美歌を歌うことができませんが、このときこそ、それぞれのお好きな讃美歌があると思います。その讃美歌を繰り返し歌うことによって、今のときを乗り越えていきたいと思います。私たちの人生の目的は、何かを成し遂げるためではなく、神様を賛美することにあります。

俳句

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:AS)

○平成二十二(二〇一〇)年作
 幾度の 春を待たずば 巣立ちゆく
 奇跡をと 願いし母の 耐える冬
 子の病い 御栄えの春を 主にて待つ
○令和二(二〇二〇)年作
 新緑や 覚悟の透析 新生活
 五月晴れ 主の答えは 透析に

受洗者より 教会に通い学びたい

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:KM)

 今回洗礼を受けて、今まで深くは知らなかったキリスト教について、これまで以上に関心を持ちました。同時に名ばかりの洗礼にならないよう、今後もキリスト教について学んでいきたいと思います。
 最初は親に連れられてきた教会でしたが、礼拝に来る人たちの真剣な様子に引かれ、自分も本気で学びたいと思いました。これからも教会に通いたいと思います。