2019年8月の主日聖書日課から

○ヨシュア記 02章10節~11節
あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしたちは聞いたからです。わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました。あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。

○列王紀上 19章10節~11節
彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀をもってあなたの預言者たちを殺したのです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」。主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。

○ルカによる福音書 09章57節~60節
道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。

○出エジプト記 22章20節~22節
主のほか、他の神々に犠牲をささげる者は、断ち滅ぼされなければならない。あなたは寄留の他国人を苦しめてはならない。また、これをしえたげてはならない。あなたがたも、かつてエジプトの国で、寄留の他国人であったからである。あなたがたはすべて寡婦、または孤児を悩ましてはならない。

○ルカによる福音書 10章33節~35節
ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

○ルカによる福音書 12章35節~37節
腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2019」(日本キリスト教団出版局、2018年12月1日発行)より作成

2019年7月21日「イエスとベルゼブル」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書3章20-30節

 12人の弟子を任命されてから、イエス様が家に戻られました。これまで、イエス様は、もう神の国が始まったので、今までの生き方を変えて、福音を信じなさいと宣べ伝えました。そして、この神の御支配のしるしとして、力ある癒しの業を行なっておられました。そのようなイエス様の働きを聞いた群衆が、次から次へとイエス様の下に集まって来たのです。
 聖書には、イエス様と弟子たちが「食事をする暇もないほどであった」と記しています。イエス様にとっては、弱さの中にある人々に仕え、救いの業をなさることが、食事をする暇もないほどになっても、喜びと満足を得ることでした。
 しかし、身内の人たちと律法学者たちは、イエス様が語る福音を理解することができませんでした。律法学者たちは、イエス様が悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言って、イエス様を強く批判しました。彼らは、群衆が律法の専門家である自分たちのところではなく、皆イエス様のところに行ってしまうので、病を癒したりするイエス様の力を悪霊に由来する力だと、批判したのです。
 彼らはイエス様のことをねたんだのです。ここに、私たち誰もが持つねたみ、素直になれない姿があるのではないでしょうか。

2019年7月21日 公開講座「キリスト教の葬儀」

 2019年7月21日(日)12時30分より、西田健・ナザレ代表(キリスト教葬儀社)をお招きし、キリスト教葬儀の意義、葬儀の実際、考慮すべきこと(弔辞、献花、弔電、写真、生花、個人略歴など)について、豊富な経験を基に分かりやすく、ユーモラスに説明していただきました。

講師の西田健・ナザレ代表

2019年7月14日「神様の鉛筆」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書3章7-19節

 「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た」(13節)。
 イエス様にとって、山は祈りの場所です。このとき、イエス様は祈りの中で、「これと思う人々」を呼び寄せられました。口語訳では「御心にかなった者たちを呼び寄せられた」とあります。つまり、12人の弟子たちは、はっきりとしたイエスの思い、神の御心に従って選ばれた者たちです。
 ところが、選ばれた12人の弟子たちは、当時のユダヤ人社会において、有能な人材だったかと言えば、そうではありませんでした。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネのような漁師たちがいれば、ユダヤ人社会の中で忌み嫌われていたマタイのような徴税人もいました。また、「雷の子ら」というあだ名が名付けられるほど、すぐ怒りっぽくなる人たちもいました。そして、イエスを裏切ったユダも含まれているのです。
 私たちはそれぞれに足りない部分、弱さを持っています。しかし、イエス様はそのような私たちを「これと思う者」、「御心にかなう者」として受け入れてくださっているのです。決して弟子としてふさわしいから選ばれたのではなく、あれも足りない、これもできない私たちと知りつつ、なお受け入れてくださっているのです。
 この神様に私たちの人生を書いてもらう、選ばれた人生となりますように。

神様が望んでいること 喜び、祈り、感謝の人に

○ぶどうの枝第50号(2019年6月30日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 テサロニケの信徒への手紙五章一六~一八節

 本日の聖書個所において、神様が私たちに望んでおられることとして、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」とあります。そして、これこそ「キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」とあります。
 ここで、「望んでおられること」とは、神の「ご意志」と訳すことができます。つまり、私たちに対する神のご意志は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」ということです。

 聖霊により時間を超える

 では、私たちがどのようにして、神様が望んでおられる喜びの人、祈る人、感謝の人となることができるでしょうか。
 第一に、私たちが喜びの人になるためには、聖霊によって時間を超えなければなりません。
 一六節に「いつも喜んでいなさい」とあります。「いつも」という言葉は、「どんなときにも、変わることなく」という意味です。人が何かを変わることなく、常に喜ぶことを意識することは容易なことではありません。例えばいつも仕事することは易しいことでしょうか。そうではないです。人は体調不良や、疲れるときがあります。しかし、この喜びにおいてだけは、いつも喜ぶことを、神様は望んでおられるのです。
 それでは、神様はなぜ、「いつも喜びなさい」と命じられるのでしょうか。それは、私たちが主イエスの中にいるとき、主イエスの中で得られる喜びは、時間を超える性格があるからです。ヨハネによる福音書七章三七節以下を見ますと、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている『霊』について言われたのである」とあります。
 クリスチャンは、その内から生きた水が川となって流れ出るようになると語っています。小さな川が流れるところに行ってみると、石に苔があります。ところが、大雨が降って川の水が流れ出ると、完全に奇麗になります。同じように、私たちの心の中にどれほどの欲望や心配、世の苔があったとしても、聖霊による生きた水が川となって流れ出ると、時間を超えて、いつも喜ぶができる、その喜びが私たちの中にあふれ出るということです。聖霊に満たされると、失敗のときも、誘惑のときもいつも喜ぶことができます。時間を超えて、いつも喜ぶことができるようになるのです。

 御言葉に従う

 祈りの人となるためには、御言葉に従うことによって、感情を超えなければなりません。一八節に「絶えず祈りなさい」とあります。休まずに祈りなさいという意味です。ところが、私たちは祈る生活をしながらも、祈りを休むことがあります。それは、落胆という感情が私たちの心の中を支配してしまうからです。望んでいることが叶わなかったとき、落胆するようになるのです。
 ですから、イエス様は、ルカによる福音書一八章一節において「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えられたのです。感情に基づいた祈りは長続きしません。時計の振り子のように、感情というのは、一日に何回も変わるからです。
 それでは、私たちはどのようにして、感情を超えた祈りの人となることができるのでしょうか。それは、私たちの感情を御言葉に従わせることです。お祈りをしたいとき、祈りをささげることもよいのですが、感情を御言葉に従わせて、意志的に祈ることが大切です。
 「絶えず祈りなさい」という言葉は、神のご意志です。これは、私たちの意志を求める言葉です。落胆するとき、疲れたとき、休みたいときに、お祈りをすることは容易なことではありません。しかし、祈りは感情的な問題ではなく、従順の問題であり、意志の問題です。神のご意志が「絶えず祈りなさい」ということなので、それに従って祈るわけです。
 祈りとは、自然に祈ることができると期待してはいけないと思います。祈ることが自然になって祈ることができるには、相当な努力が必要です。それは、絶え間ない意志的な従順と信仰の決断が必要です。私たちは、御言葉に従うことによって、私たちの意志と私たちの従順を神様にささげ、感情を超える祈りの人となるように祈り願います。

 どんな状況でも感謝する

 第三に、私たちは感謝の人となる必要があります。
 私たちが感謝の人となるためには、キリスト・イエスにおいて、状況を超えなければなりません。一八節に「どんなことにも感謝しなさい」とあります。ここで、「どんなことにも」というのは、すべてのことを指しています。「すべてのことにおいて、感謝しなさい」というのは、どのような状況に置かれたとしても、すべてのことにおいて、感謝することです。これは、状況を超える感謝を意味します。
 ほとんどの人の感謝は、置かれた状況に基づいた感謝だと思います。また、条件に基づいた感謝です。よい状況には感謝することができます。しかし、状況が悪くなると不平不満が生じます。しかし、神様は、私たちが状況を超えた感謝の人となるように、望んでおらえるのです。
 イギリスのマシュー・ヘンリーという有名な牧師がいました。あるとき、強盗に財布を盗まれました。彼はその日の日記にこう記しています。「今日は感謝な日だった。まずは強盗に遭ったのは初めてであり、今まで守られてきたことを感謝する。次に財布は盗まれたが、命は奪われなかったことに感謝する。さらに全財産を取られたが、盗まれることができない天国が私の中にあったことに感謝する。最後に自分は強盗に遭ったのであって、自分が強盗をしたのではないことに感謝する」。
 感謝は、感謝できるときに感謝することより、感謝することができないときに感謝することが本当の感謝です。感謝の人は「どんなことにも」、どんな状況に置かれても感謝することができるのです。
 神様が私たちに望んでおられること、それは、私たち一人一人が「喜びの人、祈りの人、感謝の人」となることです。そして、私たちの存在そのものが「喜びの人、祈りの人、感謝の人」と変えられること、それが神のご意志です。
 聖霊に満たされて、時間を超えて、喜ぶことができる喜びの人。御言葉に従うことによって、どのような状況に置かれても、感情を超えて祈ることができる祈りの人。そして、置かれた状況を超えて、感謝することができる感謝の人。
 このような人となることが、「キリスト・イエスにおいて、神様が私たちに望んでおられること」です。何よりも私たちの存在そのものが喜びの人、祈りの人、感謝の人となって、それぞれ置かれた場所で、神様の御意志が実現されますようにお祈りします。

2019年7月7日「真ん中に立ちなさい」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書3章1-6節

 ファリサイ派の人々は、イエス様が安息日に片手の萎えた人の病気をいやされるかどうか、注目していました。それは重大な律法違反だとされていたからです。
 しかし、イエス様はあえて癒されるのです。イエス様は手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われました(3節)。そして、ファリサイ派の人々に「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と言われました。
 彼らは安息日に善を行うこと、命を救うことが律法で許されていることとわかり切っています。しかし、彼らは黙っていたのです。
 イエス様は、彼らのかたくなな心を悲しみながら、手の萎えた人に、「手を伸ばしなさい」と言われました。伸ばすと、手は元どおりになったのです。
 クリスチャンは一面、頑固であることが必要です。信仰のためには決して譲れないものを持っていなければならないからです。しかし、かたくなな心はどこかで打ち砕かれなければならないのです。

美子の取材日記(三) 卵の形は 神さまの工夫

○ぶどうの枝第50号(2019年6月30日発行)に掲載(執筆者:YK)

 三十年以上前のこと。後に映画『ナイトミュージアム』の舞台になったニューヨークのアメリカ自然史博物館で、恐竜の骨格標本に釘付けになった。心の中をじっとりとのぞき見られた気がしたものだ。
 あれからというもの、恐竜には一目置いていて、恐竜展と聞くと出かけていく。いろんな時代のいろいろに進化してきた彼らと同じ空気の中に自分もいると想像するだけで、うきうきしてくる。一番のお気に入りは、背中がギザギザのステゴザウルスだ。
 あるとき、上野の国立科学博物館で学芸員さんが解説してくれた。夜遅い週末の閉館時刻まで、カイコの繭を大きくしたような卵の化石の前で、その形についてやけに熱心に教えてくれたのだ。
 「『卵型』というと、ニワトリをはじめ鳥類の卵みたいに片方がとがっている楕円の形を思い描くと思います。でも、卵には魚のように真ん丸の形もたくさんありますよ。では、なぜニワトリの卵があんな形なのかというと……」
 鳥の卵も魚のように球の形だと、高い木の枝につくった巣から落っこちたら、どこまでも転がって親鳥のそばから離れてしまう危険性がある。いっぺんに少しの卵しか産まない鳥類は、守ってくれるお母さんから見えないところへ転がって行っては困る。木の上に住まなくなったニワトリの卵の形も、太古の時代の名残りなのだそうだ。かたや魚の場合は、一度にたくさんの卵を産むから、水の流れにさらわれても大きな魚に食べられても、ほんの少しの子どもさえ生き延びれば絶滅することはない。
 「ニワトリの卵はテーブルに置くと初めのうちはぐりんぐりんと不安定ではあるけれど、そのうちに止まるでしょう?片方がとがったあの卵型だからこそお母さんの目の届くところから離れず、生き延びられるというわけです」
 なるほど、よくできている!どんなに優秀で奇抜な発想のデザイナーだって、単純だけど不思議なあの形は思いつきそうもない。誰もが知ってる卵の形にそんな重大な秘密の理由があったなんて!
 あまりの感動に、一緒に面白がってくれそうなバラエティ番組の構成作家、高須光聖さんに自慢した。彼は「母親の愛とちゃうか!」と喜んで、幼なじみで仕事仲間の漫才コンビ「ダウンタウン」の松本人志さんにひけらかした。
 すると、こんな反応が。
 「ホンマかいな、ごっつええ話やんか。せやけどなぁ……魚のおかんかてニワトリと変わらんくらい子どもを大事にしてると思うで。その話、魚のおかんが聞いたら気ぃ悪うせぇへん?」
 まったくだ。さすが気遣いの人、マッちゃんらしい言葉であった。卵型はお母さんの手柄ではなく、神さまの工夫なのだった。

信仰告白者より 教会のみんなに 感謝を伝えたい

○ぶどうの枝第50号(2019年6月30日発行)に掲載(執筆者:SK)

 小学校二年生のときに幼児洗礼を受けた。あれから九年、僕の身体は、こんなに大きくなってしまった。心の方はどうだろうか。ちゃんと成長できているだろうか。
 祖母や母に連れられて、日曜日以外にも本当にたくさんの時間を教会で過ごした。クリスマス、イースターの準備、メサイアコーラスの練習の日。改めて振り返ってみると、なんとたくさんの方々にお世話になったことか。
 子供の教会でいつも可愛がってくださった黒田先生、N先生。大好きなM先生。小学校の登下校を御自宅の前で見守ってくださったSさん。中高科で勉強を見てくださるI先生。いつも美味しいお菓子を作ってくださるKさん。今は天国にいるT先生、K先生も。教会中のみんなみんなに感謝の気持ちを伝えたい。
 点鐘を勧めてくださったS先生、背中を押してくださってありがとうございました。かっこいい兄貴分のDさんも。メサイアすごく楽しいです!!!頼りにしています!!!そして何よりいつも笑顔で教会で僕を迎え入れてくださるキム先生、Mさん。
 僕は生まれてから十六年間教会に通った。そして昨年^_^、佐倉メサイアをうたう会に入り、また、母が礼拝の奏楽者を目指し猛特訓する姿を見て、教会音楽にも興味を持つようになった。
 また、教会生活十六年目にしてやっと聖書の面白さに少しだけ気付いた(笑)。教会で一生忘れられないたくさんの方々に出会えたことは一生の宝物だ。その宝物をこれからも守りたい。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

詩 とちの木

○ぶどうの枝第50号(2019年6月30日発行)に掲載(執筆者:MS)

きゃっきゃと近づいてきて
葉っぱを拾って鳥になり雲になる子供たち
乳歯の抜けた声でうたう歌が
腕にぶら下がり背中によじ登りながら
木を目覚めさせた

大小いくつもの節から青い夢が芽生え
生き生きとした陰を広げた
すべり台、ブランコに乗る声に
膨らんだ夢が風船のように空に舞い上がった

明るく大きく輝く季節に向かって
鳥と雲がかすかに遠ざかる
優しい根は日差しだけで元気だった日々を守る

ある遥かな丘の
歌を失ったまなざしのために
母親と手をつないで走る運動会の歓声に
木は鬱蒼となる

年輪の青い家に
一葉
一葉
鳥が飛び雲が流れてくる

傷ついた夢が
休んだ跡が
まだ暖かい
   *
 S姉が創られた詩を幾つか読ませていただいています。この詩は、読んだときに最近のS姉が希望を持って歩んでいらっしゃることを強く感じました。例えば「木は鬱蒼となる」との箇所では、木が生い茂っている様子が描かれていますが、同時に希望もまた大きく膨らんでいることが感じられます。感動いたしました。
(MA)

随想 島津先生からの手紙

○ぶどうの枝第50号(2019年6月30日発行)に掲載(執筆者:MO)

 徳島に住んでいた父が昨年三月に亡くなり、遺品の整理をしていた弟が「道子からの手紙」と書いた箱を送ってくれました。父が保管していたもので、病気をした私が父に出した手紙やその手紙を受け取ったときの父の気持ちが書かれたメモが入っていました。
 その中に島津先生からの手紙もあり、父が私のことを心配して島津先生に様子を尋ねて出した手紙のお返事が何通もありました。手紙のことは初めて知り、父がどれほど私のことを心配してくれていたかを想像でき、涙が出ました。
 病気の私を父が心配してお薬だけでは治らないと、当時のJR佐倉駅前にあった電話BOXに置いてある電話帳で日本基督教団佐倉教会を調べ、島津先生にアポイントを取りました。私の嫁ぎ先が代々続いた田舎の家でしたので(当時主人の祖父母も健在でした)、義父母に宗教の自由は憲法で定められているので教会に連れていきます、と言い、私を佐倉教会に連れていってくれました。
 父の名前は神戸三宮教会の牧師先生がつけてくださり、小学校六年間日曜学校は一度も休んだことがないと話してくれたことがありました。父は、カトリック系の六甲学園旧制中学三年生のとき、神戸が空襲で焼けてしまったため、父親の里である徳島の山間部に疎開しました。それから徳島で過ごし、教会生活から離れてしまいました。しかし、私が病気になったことで神様を思い出してくれました。
 島津先生は私の様子を知らせてくださり、父にも教会に通うよう勧めてくださっていたようです。私は田舎の長男の嫁ということで、洗礼を受けることは考えていませんでした。無理だと思ったからです。しかし、島津先生が家族の文化を大切に敬い共存していけば、神様が良い時により良いようにしてくださいます、と導いてくださり、気がつくと本当に私も洗礼を受けることができました。
 父は亡くなる一年前くらいから寝たきりに近い生活になっておりましたが、詩編の写真集や聖書の言葉に慰められていたことが亡くなってから分かりました。島津先生がいつもご両親はお元気ですか、と聞いてくださっていたのですが、こんなことがあったとは知らず、島津先生には感謝の気持ちで一杯です。
 その後、母の転会と共に、金先生、役員の方々の御理解をいただき、召天者礼拝では父も名前を読み上げていただきました。父と佐倉教会を訪ねたときには、将来このような日が来ることを想像もしておりませんでしたが、すべては神様の御計画だと思いました。島津先生がお元気でしたら、とても喜んでくださったのではないかと残念に思います。
 箱の中には会堂建築会計のKTさんからの領収書と献金に対するお礼のお手紙がありました。懐かしいTさんのお名前に、長い年月が過ぎたことを実感しました。島津先生、本当にありがとうございました。