○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:牧師 金 南錫)
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエス様は泣いておられたのです。そしてこうおっしゃいました。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」(四三、四四節)。
これはイエス様の預言の言葉です。これから四十年後に、エルサレムの都はローマ軍によって、崩壊してしまうのです。そのことを「お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」と予告しているわけです。そして、なぜそのようなことが起こるか、「それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」とあります(四四節b)。
つまり、イエス様がエルサレムを訪れようとしている今が、神の訪れのときなのに、エルサレムの人々はそれをわきまえなかったのです。それどころか、これからイエス様を十字架につけて、殺してしまうのです。イエス様はそのような未来を見据えながら、今、涙を流しておられるのです。
四五節以下は、エルサレムの未来を見据えながら、泣いておられるイエス様が、エルサレム神殿に入って、行われた出来事が記されています。イエス様がエルサレム神殿の境内に入って、最初になさったことは商売人たちを追い出すことでした。当時、神殿には両替人がいました。というのは、いろんなところから集まってくるユダヤ人たちは、普段使っているお金をユダヤの貨幣に両替して、神殿にささげる必要がありました。そのときに、商売人たちは手数料を取るわけです。また、神殿で祈りをささげるには、いけにえの動物が必要でした。しかし、その動物を自分の家から連れてくるというのは至難の業です。ですから、エルサレム神殿の境内で、何倍ものする値段で買うようになります。
このように、神殿の境内で商売をしていた人々は、神殿にやってくる人たちのお金を奪い取ったのです。祈りの家である神殿が商売のために変わってしまったのです。その姿を見て、イエス様は神殿の境内で商売をしていた人々を追い出して、言われました。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(四六節)。祈りの家としての神殿は、神様の御心を受け取って、悔い改めて、自分を変えていただく場所です。ところが、その神殿が、神様を利用して、自分の願いを成し遂げようとする強盗の巣になってしまったのです。イエス様は商売人たちを追い出して、神殿を清められました。そして、毎日、イエス様は神殿の境内で教えておられました。それまでお金を奪い取られた人たちは、もう「夢中になってイエス様の話に、聞き入るようになった」とあります(四八節)。
このようにして、イエス様は強盗の巣になってしまったエルサレム神殿を祈りの家として、回復しようとなさいました。教会は祈りの家です。それでは、その祈りというのは、どういうことでしょうか。「自分の願いを聞いてください」とお願いする、そういう祈りなのでしょうか。イエス様が「わたしの家は、祈りの家でなければならない」と言われたときの「祈り」は、そういう祈りではないと思います。自分の願いを祈る、それも大事でありますが、それ以上に、神様の願いは何であるのか、神様の御心はどこにあるのか、それを祈ることです。そのために、神様が私たちを取り扱われる方法は、私たちの限られた頭脳では理解できないことが多いのです。むしろ私たちの願いに逆らって行われることが多いのではないでしょうか。「応えられた祈り」という詩があります。
「功績を立てようと、神に力を祈り求めたのに、謙遜に服従するようにと、弱さを与えられた。より大きなことをしようと、健康を祈り求めたのに、より良いことをするようにと、病気を与えられた。幸福になるようにと、富を祈り求めたのに、賢くなるようにと、貧しさを与えられた。人々の賞賛を得ようと、力を祈り求めたのに、神の必要を感じるようにと、弱さを与えられた。人生を楽しもうと、あらゆるものを祈り求めたのに、あらゆるものを楽しむようにと、人生を与えられた。祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに、実は私が望んでいたすべてのものが与えられた。」
この祈りのように、神様が私たちを取り扱われる方法は、私たちの願いに逆らって行われることが多いのです。しかし、結局のところ、私たちの祈りはいつも聞かれているのです。神様の導きによって、私たちは「祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに、実は私が望んでいたすべてのものが与えられた」という恵みにあずかるのです。また、その神の導きの中で、自分の願いではなくて、神様の願い、神様の御心を受け取っていくのです。
百二十周年を迎えた佐倉教会
今年、佐倉教会がこの地に建てられて、百二十周年を迎えます。この百二十年の歩みの中、佐倉教会は、戦前、戦後、時代の流れと共に様々な荒波や、混乱を乗り越えて、今日に至っています。改めて、佐倉教会の創立八十周年記念誌や、百周年記念誌を読みながら、石川キク先生時代、島津虔一先生時代、有馬尊義先生時代、黒田直人先生時代、それぞれの時代に、本当に多くの信徒たちの支えと祈りがあったからこそ、佐倉教会が今日までに至っていると思わされました。
一九八四年、佐倉教会八十周年記念誌に、STさんが「祈りの大切さ」という短い文章を書いてくださいました。
「埼玉県の礼拝出席者数が毎週五十名を超す教会で、高校生活、青年会を経験し、一家を持って当教会にお世話になっては早や十七年。移った当時は、故石川キク牧師、薄暗い会堂で、女性ばかりのもの静かな老人の教会という印象だった。私も信仰的にピンチだったため、しばらく遠ざかっていたが、やがて石川先生の神への信頼度一〇〇%の信仰に打たれ、己の愚かな態度を猛省し、再び礼拝に出席するようになったが、今でも私のどこかで先生がおられるような気がしてはならない。そして今の島津先生に引き継がれ現在至っているが、この佐倉教会は、確かに主にあって守られ、導かれている教会、牧師であることを感じる今である。さらに尚更祈りの重要性を思う。」
STさんが四十年前に書いた文章です。その中で最後に「さらに尚更祈りの重要性を思う」と書いてありますが、その文章を読んでいるとき、まさに今佐倉教会に求められていることではないかと、思わされました。教会員一人一人が、自分の願いではなく、主の御心を求めていくときに、佐倉教会は「祈りの家」として変えられていくのでしょう。
「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」
教会はまさに祈りの家です。毎週、私たちはこの祈りの家に招かれて祈るのですが、それは、自分の願いばかりではなく、神様の願いは何であるのか、神様の御心はどこにあるのか、そう祈ることによって、自分も変えられていくし、佐倉教会も祈りの家へと変えられていくのです。それが「祈りの家」である教会の本来の姿ではないでしょうか。この恵みに生かされて、祈る人として共に歩んでいきたいと思います。