エノクの生涯が示すもの 神と共に歩む信仰生活を 創世記五章二一節~二四節

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 創世記五章には「アダムの系図」という小見出しが付けられていて、二一節にエノクという人物が出てまいります。二一節から二四節です。
 「エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」
 五章に出てくる他の人は、何百年生きて、そして死んだというふうに書いてありますが、このエノクに関してだけは、「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」と書かれています。
 神に創造された人間は、神の息を受けて初めて生きるものとなりました。つまり、人間は神と共に歩くように造られたのです。そして、エノクはそのように神と共に歩みました。だから、「神と共に歩み」ということが二度も強調されて記されています。ところが、「神と共に歩み」という表現は、エノクが正しい人間であったとか、罪を犯さない人間であったとか、そういうことではありません。エノクも人間としての限界を持っていたでしょう。しかし、そういう人間が平凡な生活の中で、神に出会い、神に支えられて生きていくことが「神と共に歩み」という言葉の中に含まれていると思います。
 ここで、エノクは地上で何をしたということは一切書かれていません。どういう仕事をして、どういう業績を残したなど、何にも書かれていません。ただ、一つ言えることは、エノクは神と共に歩んだのです。それだけが彼の人生について言える事柄でした。だから、ひょっとしたら彼は仕事に失敗し、何回か挫折した経験があったかもしれません。また、罪を犯したかもしれません。エノクは弱さと限界を持つ普通の人間でありました。しかし、そういう人間が神と共に歩んだのです。そして、エノクは死んだのではなく、「神が取られたのでいなくなった」とあります。 このところをヘブライ人への手紙一一章五節、六節では、こう解釈しています。
 「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」。

 エノクの召天の意味

 神様が不思議な形で介入されることによって、エノクだけが他の人とは違った形で、天に上げられました。それは、イエス・キリストによって示される復活の予告のような気がいたします。イエス様は、まさに神の子として、最も忠実に「神と共に歩んだ」方でありました。それゆえに、神の意志として十字架につけられました。私たち人間の代表として、「死」を経験されます。そこはエノクと違うところですが、神様は、そのイエス・キリストを死者の中から復活させて、天へと移されました。ですから、エノクの生涯は、イエス・キリストのことを指し示していると言えます。
 また、そのイエス・キリストに続く私たちの命をも、エノクは指し示しているのです。それは、イエス・キリストに続いて、神の言葉を受け入れて、神と共に歩む者は、エノクのような生涯を送るということです。
 ですから、「神と共に歩む」とは、神の言葉に従う信仰生活のことです。信仰生活は、劇的な体験より、日々の平凡な日常生活の繰り返しの方が多いのです。エノクは日々の生活の中、良いときも都合の悪いときも、神の言葉に従う信仰によって生き抜きました。ここに神に喜ばれる彼の信仰の生涯があったのです。

 神が私たちを捉える

 「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」とあるように、エノクの命は、そのまま神の御手に委ねられました。私たちは「神と共に歩む」ならば、たとえこの地上の死を経験しようとも、それは完全な終わりではないのです。永遠の命が約束されているのです。イエス様はこう言われました。
 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネによる福音書一一章二五、二六節)。
 エノクの人生を一言で言い表せば、「神と共に歩む人生」であります。私たち一人一人の人生、これを一言で言い表したら、どういうことになるでしょうか。「私は生涯家族のために、一生を過ごした」。このような生涯も、それなりに意味があるに違いありません。しかし、「彼は神と共に歩んだ」と要約されるような生涯を送りたいものです。三浦綾子さんが書いた『旧約聖書入門』という本の中、こう書いてあります(六六頁)。
 『「神と共に歩み」と書かれているのは、エノクだけである。エノクの生涯はわずか一行に過ぎない記述だが、これは偉大なる生涯なのかもしれぬと、説教に聞いたことがある。彼はその信仰のゆえに、死なずに、神に取り去られて天に昇ったと当時の人々は思ったに違いない。私たちが死んだとき、一行で私たちの生涯を誰かが記すとしたら、果たして何と記してくれるだろう。「彼は一代にして財をなし、七十五歳で死んだ」「彼は、何某と結婚し、男と女を産み、九十歳で死す」といったところであろうか。それともスタンダールのごとく、「生きた、恋をした、死んだ」であろうか。「神を信じ、人を愛して死んだ」と書かれる生涯は送る人は、まれであろう』
 聖書は、神と共に歩んだエノクを、「神が取られたので、いなくなった」と語っています。つまり、神が主体なのです。エノクが苦労して、道を開いて、どこかに到達したという話ではなくて、神の方が手を伸ばして、エノクを取られたのです。つまり、自分が一生懸命神に向かっていたつもりですが、神の方が自分を捉えていてくださるのです。それが信仰の歩みです。
 私たちの人生も同じです。私が主体となって、一生懸命神の手を握りしめて生きるのですが、その手はやがて衰えていきます。しかし、神の方が私をしっかりと捉えるのです。そして、ご自分の元に引き寄せてくださるのです。私たちの人生の歩みはいろいろな難しい問題を一杯抱えています。
 今年も、まだ終わりの見えないコロナ禍の中、神と共に歩むことによって、やがて神が私たちを捉えて、ご自分の元に引き寄せてくださることを信じ、すべてを神に委ねましょう。そして、二〇二一年度の歩みが、神と共に歩む信仰の歩みとなりますように、祈り願います。
 「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記五章二四節)

随想 御言葉に励まされ

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:MK)

 佐倉に移り住むことになった当時のことです。今は亡き友人が贈ってくれた詩編の言葉が折に触れ思い出され、慰められたことを思います。
「主は人の一歩一歩を定め
 御旨にかなう道を備えてくださる
 人は倒れても、打ち捨てられるのではない
 主がその手をとらえていてくださる」(詩編三七編二三~二四節)
 悩んだり思い煩うことが多い私ですが、これまでの歩みを導いてくださり、今、信仰の仲間と共に礼拝ができ、心が整えられるこのかけがえのない今の生活を有り難く心から感謝に思います。
 しかし、今、世界を覆う新型コロナウイルスのために私たちの生活は大きく揺さぶられています。教会も大きな制限を受け、従来のような活動はできなくなっています。
 私自身、人との交わりも失われるような状況の中で、しぼんでしまいそうな思いを味わいました。そんなとき、聞いた御言葉です。
 「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようにしなさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピの信徒への手紙四章四~六節)
 喜ぶことの難しさを思ってしまう私がいます。喜び得ない状況の中で語るパウロの言葉を繰り返し聞きました。喜びの源である主イエス・キリストをいつも思い起こすことにおいてこそ可能になると語っていると思いました。
 どんな時にもイエス様が一緒に歩んでくださっているから安心して進むようにと、励ますパウロの信仰の言葉が迫ってくるように響きます。素直な心で聞き、祈ることによって、開かれていくことを教えられました。
 五月には定期総会が行われました。今年は役員選挙も行われ、導かれ、整えられて歩み出すことができて感謝に思います。役員の一人に選ばれましたが、このことを神様の御心と受け止め務めていきたく思います。

転入会者より 主の備えの許に 沖縄の旅を終えて思う

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:FI)

 懐かしい佐倉教会に再び帰り、教会生活ができることを感謝します。しばらく私は、沖縄でフードバンク活動をライフワークに、十三年間過ごしました。沖縄は、亜熱帯の自然豊かなリゾートではありますが、歴史的、文化的、民族のDNAも違う、日本語が通じる異国。ここで自らが「ヤマト(大和、本土)の人間」という異質なタイプの日本人であることを初めて意識させられました。
 そんな異文化の中で、明るく屈託ないウチナーンチュたちにも、ふとしたときに表れる心の陰りを感じることがありました。それは、沖縄戦で受けた今も癒えない傷がヤマトンチュウ(大和の人)には理解されないことへのわだかまりなのか、特に高齢者から感じさせられました。お互いに違和感を持ちながらも、お互いを受け入れ文化を分かち合いながら、志を共にする、「NPOフードバンクセカンドハーベスト沖縄」(第二の畑の意)を通じての生活が始まりました。
 メディアでは報道されない実情も次第に分かってきました。温暖な地ゆえに流れてくるホームレスの人たちも多く、母子・父子家庭の困窮世帯の多い中で、本来の「ゆいまーる(助け合い)」の精神がお互いを支え合う原動力になっていることも分かりました。
 私は、なぜここにいるのだろう。縁もゆかりもないここに導かれた意味は何だったのかとふと思うことがありました。
 二〇〇三年、伴侶の死を機に十五年関わっていた「いのちの電話」を退局、そのときの喪失感のつらさから逃れるようにたどり着いた沖縄でした。生きる目標をなくしていたこの頃、東京のフードバンクのことを知りました。「これからはこれだ」と直観、何度目かの沖縄旅行中、友人から沖縄にもフードコートというものができて、近日、勉強会があるとの知らせに、「主の山に備えあり」と喜び、直ちに出席しました。熱っぽく語る三十歳代の主婦の姿に心打たれ、趣旨にも賛同できて、旅行中にもかかわらず、ボランティア登録をして帰宅しました。そして、車に荷物を積み、一か月後には那覇市民になっていました。
 「フードバンク」とは、まだ十分食べられるにもかかわらず、期限が間近などの理由で捨てられてしまう「もったいない食品」を企業や個人から無償で譲り受け、適切な管理の下に生活困窮者や必要とする支援団体などへ無償で提供する活動です。沖縄は、貧困率も高く、その必要性が求められています。
 一方、食料を輸入に頼る我が国は、輸送にかかる二酸化炭素により環境負荷がかかり環境汚染や地球温暖化の一因にもなっています。
 聖書には、初め天地を創られた神様は、人間を祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地を這う生き物をすべて支配せよ」とあります。しかし、「従わせよ」「支配せよ」の意味は、「お互いに支え合って一緒に住む」というそうです。神の見えない御手に支えられてこそ「非常に良かった」状態が継続できるのです。けれども今や人は、海も空も地上も支配し、殺りくを繰り広げ、支配の限りを尽くしています。
 多くの飢えた人たちのいることも忘れ、食物は常にあるのだという錯覚の中で、食べ物を無駄にしたり、飽食に走る人間に、「父よ彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ二三章三四節)との御言葉が胸に響きます。そして、「この地を滅ぼすことがないように、わたしはわが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」(エゼキエル書二二章三〇節)。この厳しく迫る御言葉の前で、ただ立ち尽くすことしかできない者です。
 それでもなおも赦し憐れんで愛の御手の下にお取り成しくださる主に希望を持って、御旨に叶うような歩みが少しでもできるように願うばかりです。この沖縄での日々は、私自身の生き方が問われ、歩みを軌道修正させてくれた、誠に主が備えてくださった学びの場となり、心を癒やされた旅となりました。深い感謝をもって。
(注)
・ウチナーンチュ…沖縄生まれの人のこと
・ヤマトンチュウ…沖縄県以外の人のこと

転入会者より 迷える一匹の羊 今故郷に帰る

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:IT)

 私どもの長女は、某国立女子大学卒業の春、前年の国家公務員試験に合格後内定をいただいていました宮内庁に女子総合職第一号として勤務することになりました。入庁後は順調に職務をこなし、三年後には侍従職(しき)に抜てきされ、平成時代の両陛下の身近にお仕えすることとなりました。陛下や当時の皇后美智子さまの御名代として赴く侍従様の供をして、各所に出向く娘を持つ母親である私は、誠に得意の極みにありました。
 順調と思っていた娘が出勤前のある日の朝、突然「仕事に行きたくない」と大粒の涙を流し、泣き出しました。長い欝病との闘いの日々の始まりです。その当時は事情を飲み込めぬまま、医師の言う一時の「疲れ」なら数か月の休養で回復するとばかりの軽い気持ちで楽観視しておりました。がしかし、一向に職場に復帰する兆しがありません。やっと事の重大さに気が付き焦った私は、知り得る限りの癒し信仰を掲げるカリスマ系牧師たちを訪ね、あちらこちらの教会をさ迷っておりました。
 罪を告白せよと言われればその様にし、身の丈に合わない献金を要求されれば従いました。しかし、薬石も祈りの効もないまま病は重くなる一方で、私は半狂乱になっていたと思います。そんな折、上司の侍従次長様のお誘いで東京芝教会の礼拝へ家族で参加させていただくようになりました。思えば子供の頃、私は教団CSに参加しており、また、高校時代に通うよう学校から指示されていたのも教団教会でしたので、芝教会に違和感はありませんでした。その後の様々な道のりを経て十年程前から同じ教団の佐倉教会に出席させていただいておりました。
 迷える一匹の羊であった私を神様は探し出し、正式に転会を許された今やっと故郷に帰してくださいました。不思議な御手と、温かく迎え入れてくださいました金牧師様を始め多くの方々のご愛を思い、心から感謝とお礼を申し上げます(なお芝教会は遠過ぎるのとその後娘の退職に伴い、御無沙汰となりました)。同じ日に転会式に臨まれたI姉には、ご自身の過ぎしのこと等を話し信仰を分かち合って下さいました影響で、私もやっとありのままの自分をここに披瀝することができましたことを感謝しております。このような私ではありますが、どうぞ皆様仲よいお交わりをよろしくお願い申し上げます。
 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(コリントの信徒への手紙一 一〇章一三節)

召天礼拝弔辞 Kさんありがとう

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:MT)

 Kさん。
 今までこんな私をかわいがってくださり、大事にしてくださり、本当にありがとうございました。
 今日は、Kさんがきれいな澄んだお声で歌っている姿を思い浮かべながら、愛唱讃美歌の「山路越えて」(四六六番)を皆様と賛美させていただきました。

(四節)
 みちけわしく ゆくてとおし
こころざすかたに いつか着くらん。
(五節)
 されども主よ、われいのらじ
 旅路のおわりの ちかかれとは。

 この詞のとおり、この世の旅路は苦難のときも悲しみのときもおありだったと思います。それでも精一杯神様に心を向けて、この世を愛し、人に尽くし、楽しみながら安心してご奉仕に命を注ぎ、懸命に生きられたお姿に心から感動します。
 私にとっては突然の教会生活の具体的な欠落で、しばらく言葉を失っておりました。日曜の朝ごとに同じ電車に乗り、「Mさん!」と呼び、すいている電車なのにお尻をよけて「ここよ!」と席をくださいます。京成佐倉駅に到着すると、Sさんがお待ちくださり、車でまずは三人で教会学校の礼拝にご一緒させていただきました。
 Kさん、Kさんが焼いてくださったクッキーで教会学校の子供たちが大きくなりました。
 小さく、やんちゃだった子供たちが、この春社会人になりました。神学校に入学した子供もいます。今一生懸命に自分の道をつかもうと模索している子供もいます。クリスマスには毎年二百枚ものクッキーを作ってくださいましたね。「二週間かけて缶の中に貯めて、冷蔵庫に入れておけば大丈夫よ。楽しみなのよ」とにこにことおっしゃって。食べやすい優しい甘いKさんのクッキーとマドレーヌ。忘れません。
 見習うことばかりでしたのに、何も実行できなかったのが悔やまれます。Kさんからの宿題をたくさんいただいたので、これから一つ一つ果たしていけたらと願っています。とても私には全部はできませんが、今度お会いしたとき褒めていただけるように、一つでも多くできるようにしたいと思います。
 Kさん、本当にお世話になりました。
 心からありがとうございます。
 感謝を込めて。

随想 S姉をしのんで

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:MA)

 S姉に初めてお会いしたのは三十年ほど前で、第一印象で「なんて美しい方だろう」と思ったことを今も鮮明に覚えています。
 その後、佐倉教会で出会い、彼女の深い信仰を知りました。共に、神様に導かれ全てを委ねて歩むことを語り合い、長いお付き合いになったのです。
 近年、施設に入所された彼女を、お見舞いに行く度に「Aさん ありがとう」と笑顔で迎えてくださり、会えたことを共に喜び合ったものです。
 彼女と最後にお会いしたのが佐倉教会の事務室のパソコン画面を通してでした。やはりいつもの笑顔で「何度もありがとう」と言ってくださった。
 彼女の葬儀で金牧師が彼女の好きな聖句を読まれました。それは詩編三七編五節~六節(あなたの道を主に委ねよ、口語訳)
「主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
 あなたの義を光のように明らかにし、
 あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる」
 このことで彼女の信仰の歩みに再び心を打たれました。今日この頃、世の中がコロナウイルスの脅威下にあって、このように励まし語り合うことは難しく、人びとのつながりも希薄になってきています。外に出れば人を避けることが当たり前になっています。
 佐倉教会においても例外ではなく、心晴れない寂しい日々が続いています。
 今は、かつて彼女と共に祈りをささげた穏やかな教会生活が再び戻ってくるのを祈るばかりです。
 Sさん、私も言うね。「ありがとう」。

美子の取材日記(七) 陣内孝則さんとミッションスクール

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:YK)

 何年か前、ミュージカル『プリシラ』の稽古場に俳優の陣内孝則さんを訪ねた。錦糸町駅から徒歩二十分ほどのところにあるその「すみだパークスタジオ」では、様々な劇場で演じられる幾つかの舞台作品のお稽古が同時に行われていて、いろんな衣裳を着けた俳優たちがあちこちにいる。彼が出る『プリシラ』は、ドラァグクイーン(女装家)たちが主人公の涙あり笑いありのコメディ。彼の役は陽気な三人のドラァグクイーンのうちの一人で、網タイツ姿で大奮闘だ。
 トレンディドラマ『君の瞳をタイホする!』や『愛しあってるかい!』、日本アカデミー賞で主演男優賞をとった映画『ちょうちん』、NHK大河ドラマ『独眼竜正宗』などに絶え間なく出演してきた男前は今、トレードマークのメガネに白髪交じりで網タイツ。それにしてもトレンディなあの時代って、今から三十年以上も前のことなのだ。
 『プリシラ』で取材に行くと、稽古の合間に稽古場の敷地内に新しくオープンしたカフェに現われた彼は、窓から日が差し込む明るいテーブルに、体を乗り出すようにしてしゃべった。なんとなくギョロッとした大きな瞳で、涼しげに見える。
 福岡出身で、キリスト教の学校に通ったそうだ。その学校は芸能人はじめ文化人や政治家を多く輩出している。
 「僕?ぜーんぜん熱心なクリスチャンじゃありませんよ。ただ、礼拝に出られるときにだけ教会に行ってただけ。『エリザベート』とかのミュージカルの人気者、井上芳雄さんもクリスチャンで、僕とは年齢は離れてるけど同じ福岡出身。彼は、奥さんで女優の知念里奈さんと週末には教会に通っているそうだね。芸能界にはほかにもあの学校の出身者はいるよ。『孤独のグルメ』の松重豊さんとか。それから、同じ福岡出身の女優の吉田羊さんはね、たしか実家のお父さんがプロテスタントの教会の牧師さんのはずだよ」
 同世代だからか話しやすく、彼が出演してきたドラマもなじみがあって会話が楽しくて、人気者のトレンディ俳優と向かい合って話している気がしない。網タイツ姿の男優さんとお茶しながら教会の話をしているなんて、とてもシュール。
 それにしても彼と同じ学校の出身者はみんな「いいかげんなクリスチャン」などと自分を評しているようだけど、多忙な生活の中では食事やお茶のテーブルに着いてもお祈りは省略しているようだ。

危機を乗り越える 主イエスの復活の信仰 マルコによる福音書一五章四二節~一六章八節

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 創立から今日に至るまで様々な時代を生き抜いた教会は、この歴史を大事にしてきた集まりです。本日、創立百十六年を迎えた佐倉教会は、日本の教会の歴史の中では、長い歴史になります。戦中の困難な時代、戦後の大きく変わった時代、そして、近年においても、この時代は本当に揺れ動いています。人々はまさに危機の時代を生き、特に教会はその中でも、危機の波を乗り越えてきました。
 その中、教会に結ばれてきた教会員お一人お一人は、その時代の危機を乗り越えて、その時代の信仰者として歩んでこられた人たちです。つまり、それぞれの時代において、与えられた賜物を生かして、教会を支えてきた信仰者でした。そして、その信仰が私たちに受け継がれてきたのです。
 『日本キリスト教団佐倉教会 創立八十周年記念誌』の中、佐倉教会を通して献身された石川深香子先生が書いた、こういう文章があります。
 「この八十年の歳月は戦前、戦中、戦後という激動の時代も経過してきたわけですし、特にキリスト教会にとっては迫害の時代が続きましたから佐倉教会としても例外でもありませんでした。
 …しかしそのような中でも、…特にキリストの体なる教会が立てられていくために、教会の役員として又信徒として牧師と労を共にされたお一人お一人、今も現役で活躍しておられる皆様の中に大きく作用し続けていることを、遠く離れて母教会を見守らせていただいている私にはよく分かります。そのお陰で教会はサロン的な集いに落ちることなく建全な成長を遂げてこられたと思っております。…これから教会は伝道の業がなされるために一人一人の信仰がいつも正されていかなくてはならないと痛切に感じます。」

 信仰の始まり

 では、いつも正されていかなくてはならない信仰の始まりは、どこにあるのでしょうか。それは、復活の主に出会った弟子たち、即ち、使徒たちと言われる最初の弟子たちに遡っていきます。その信仰こそ、私たちの信仰の原点になります。使徒たちは実際に、イエス様と寝食を共にしてきました。そして、新約聖書に残されている主の言葉を後の人に伝え、主のご命令によって、人々に宣教してきた人たちです。その信仰によって生まれた教会、その教会は主イエスの復活の命を受け継がれて来たのです。
 本日の聖書箇所は、そのイエス様の埋葬と復活について記されています。イエス様は聖金曜日の午前九時に十字架につけられ、昼の十二時に全地は暗闇で覆われ、午後三時に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれ、死なれました。その金曜日の日没からは、安息日に入ります。安息日には遺体を埋葬することができなかったので、午後三時から日没までの短い時間に、イエス様の埋葬をやり終えなければなりませんでした。その役割を担ったのがアリマタヤ出身のヨセフです。
 イエス様の十一人の弟子たちの中では、この役割を担う者は誰もいませんでした。彼らはユダヤ人たちに捕まることを恐れて、家の戸口に鍵を閉めて隠れていました。アリマタヤのヨセフはイエス様の十字架の出来事に触れて、勇気を出し、総督ピラトのところに行って、イエスの遺体の引き取りを願い出たのです。
 ピラトは百人隊長を呼び寄せ、本当に死んでしまったかどうかを確かめた上で遺体の引き渡しを許しました。それでアリマタヤのヨセフは、イエスの遺体を十字架から下ろして亜麻布で巻き、岩を掘って造った墓の中に納めました。墓の入り口には石を転がして蓋をしました。そのようにして、イエス様の遺体は、安息日が始まる前、金曜日のうちに墓に葬られたのです。
 毎週、礼拝では使徒信条を告白しますが、その中に「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ」とあります。これは、「葬られた」ことを抜きにして主イエスの受難、十字架の苦しみを見詰めることができないことを語っているのです。イエス様が墓に葬られたことは、教会の信仰、そしてその信仰を受け継いだ私たちの信仰においても、とても大事なことなのです。ですから、四つの福音書すべてがイエス様が十字架につけられて死んだことだけではなく、墓に葬られたことを記しているのです。
 安息日が終わると、マグダラのマリアをはじめ女性の弟子たちがイエス様の遺体に油を塗るために、墓へ向かいました。今まで慕っていたイエス様が亡くなられたことの悲しみが彼女たちの心を支配していました。しかも、墓の入り口は大きな石で塞がれていたので、彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていたのです。
 しかし、墓で彼女たちを待ち受けていたのは、思いもかけない出来事でありました。「ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた」(一六章四、五節)。不思議にも入り口の石が既に脇へ転がしてあったのです。
 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が見えて、こう語ります。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」(六節)。

 教会で復活の主に出会う

 天使のような若者は、死んで葬られたイエス様が復活なさって、ここにはおられないと語っています。そこには、イエス様がどのようにして復活なさったかについて、書いてないので分かりませんが、大事なことは、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」というこの言葉を信じるかどうかです。様々の時代において、教会員お一人お一人は、この主イエスの復活を信じ、その復活の命に触れて、信仰者として歩んでこられました。信仰を命にして生きたのです。今、その信仰が私たちにも、受け継がれてきたのです。
 「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」(七節)。最初の弟子たちにとって、ガリラヤとは自分たちの生活の場でありました。そこで、復活のイエス様が逃げ去った弟子たちに、もう一度出会ってくださると約束しているのです。
 今日の私たちにとって、ガリラヤとはどこでしょうか。それは、キリストの体なる教会です。教会で私たちは、復活の主に出会い、その復活の命に触れて、主を礼拝します。
 佐倉教会において、創立から百十六年間守られてきたこの礼拝を通して、信仰の源泉である主イエス・キリストの十字架と復活、そして、その復活の命にあずかるという信仰に、これからもしっかりと立ち続ける者となっていけますよう、切に祈り願います。

兄弟姉妹の近況報告 I姉 久しぶりの祈り

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:MI)

 いかがお過しでしょうか。私たち施設の利用者はますます厳しい監視下に置かれています。半年以上も靴を履いて外へ出たことがありません。礼拝に出席できないことがこんなに悲しく悲しいことだと、初めて分かりました。
 段々聖書も読まず、祈りもしない日が続いてしまいます。一昨日の日曜日は起き上り、ベッドのふちに腰掛けて主人の写真に見詰められながら、しばらく祈りができました。
 「弱虫の私をもう少し強くしてください。相手が居なくて神さまやイエスさまや聖書のことを話し合う機会がありません。どうぞ私が落ちこぼれないようにしっかりつかまえていてください。私には頼るべきお方はあなたしかいません。しがみついて付いて行きますから、どうぞお手を離さないでください」。ただただそれだけを祈りました。久しぶりに祈りができて、泣いてしまいました。
 MTさんが時々電話を下さいますので、教会の様子が少しは伝わってきます。皆様、どうぞコロナに気をつけて、元気でいてください。いつかきっとまた、佐倉を訪ねる日が来ると信じます。

(九月二十三日記)

兄弟姉妹の近況報告 H兄 満面の笑顔が戻る

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:AA)

 父は十一月二十八日に九十一歳になりました。
 三月より三か月間入院しておりましたが、コロナ禍で面会謝絶でした。そのために記憶も言葉も失い、すっかりうつろな表情になり、以前の元気な姿が消えてしまいました。私たちは胸を痛め、金先生や皆様にお祈りをお願いしてまいりました。
 ですがどうでしょう。今では満面の笑顔が戻り、会話もできるように回復しました。秋にはひ孫も授かり喜ぶことができました。
 神様の不思議な力を実感しております。皆様のお祈りを心より感謝いたします。