随想 母との時間 神様からのプレゼント

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:MO)

 昨年十月に母が亡くなり、千葉に連れてきて我が家で一緒に暮らした部屋をいろんな想いを抱えながら整理しています。暖かくなるのを待って四月に父が待つ霊園に納骨しました。この霊園は日当たりがよく長男である弟の家の方を眺める高台だから気に入っているとまだ父が元気だった頃、帰省した私を連れていき説明され、お墓の日当たりねえ……と思ったことを思い出しました。霊園の近くには賀川豊彦記念館やドイツ人捕虜収容所であったドイツ館もあり、父につながる思い出が多い所でなるほどと納得したものでした。
 納骨すれば気持ちに区切りがつくと思っていましたが逆にいろんな思い出が湧き出てきて部屋の整理も心の整理も全くできなくなりました。今でも部屋のボードに「蒸気船堂浦防潮堤に描く」という新聞の記事が貼ってあります。私の友人が送ってくれた新聞記事で、鳴門市の海辺の町で八十五才まで育った母には懐かしい記事であり、私には蒸気船が定期船として就航していたことを初めて知り驚いた出来事でした。
 母の字で眉山丸、鶴羽丸、と書いてあり、四泊五日、伊勢、京都、奈良、大阪と書いてあります。とてもきれいな字を書く母でしたが、九十才を過ぎてからは指が曲がってしまい字が書けないと悲しんでいました。この船に乗って小学校のときに伊勢、京都などの修学旅行に行ったことや、二〇一八年十二月の『ぶどうの枝』に「転入者より」として書かせていただいた中で、小学校三年生のときに友達に誘われ初めてキリスト教の家庭集会に出席し教会が大好きになり、女学校一年生の十二月八日、太平洋戦争が勃発し家庭集会が中止になるまで、町から船に乗って港に着かれる牧師先生を出迎えていた、その船であることを私は知ることができました。絵を見ることでイメージが湧き、歴史的なことも知り、母が小学生の頃から家庭集会に行っていたことは何も知らなかったので驚きでした。そのことで母が洗礼を受ける下地を持っていたことが理解でき、これは母が父の亡き後、千葉に来てくれなければ分からなかったことでした。
 まだ元気で毎晩電話をかけてきていたとき、話が終わると二人で一緒に「主の祈り」を唱えます。ろれつが回らなくなってからも母は、使徒信条までスラスラ言うので驚くと「言えるよ」と得意な声で言いました。その母の声が心に残っています。
 まだいろんな思いが交錯しますが、母と過ごした千葉での生活は、子供の頃に忙しかった母との時間を埋めてくれた幸せな時間であり、神様からのプレゼントだったと思います。
 体調のこともあり、まだ気持ちの安定が伴わない日々ですが、良き思い出に支えられながら焦らず整えていけたらと願っています。

報告 虹の会(信徒懇話会)発足の経緯 開かれた集いを目指して

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:FI)

 佐倉教会は二〇二二年まで、「麦の会」(壮年男性)、「婦人会」の二つのグループに希望者が毎月集い、学びと情報交換の交わりの場がありました。しかし、コロナ禍と同時に高齢化も進み、二つの会の出席者数も減少したことに加え、今日的理由として、男性・女性のどちらにも当てはまらない性、LGBTQが一般的に広く認識されるようになり、佐倉教会も性別を超え、どのような人でも自由に参加できる居場所が用意された、キリストの愛に根差した教会でありたいとの願いから、協議の上で合同に至りました。
 次に、会の名称を募集しましたが、三件の応募があり、多数決で「虹の会」と決まりました。「虹」という言葉は、創世記九章一二~一三節、「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。」から来ています。
 私たちの二つの会に希望の虹が架けられ、前途を祝福されているように思えました。
 発足後の会は、信徒に限らず希望者が集い、近況報告や考えなど自由に発言して交流しています。最近は新来会者も加わって裾野が広がりつつあり、ジェンダー平等の観点からも、佐倉教会の開かれた集いとなっています。会の始めに歌う讃美歌は、どなたかにリクエストしていただいていることも話題のきっかけになっています。
 「男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤの信徒への手紙三章二八節)
 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソの信徒への手紙二章一四~一六節)

随想 デイサービスの恵み 利用してはや三年

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:AS)

一、健康チェック(血圧等)
二、お風呂 血圧が安定した方が入れる、洗いも手助け
三、昼食(バランスの良い)
四、日によって車で外出
・季節の花々(佐倉風車 ひまわり チューリップ)を見にいく
・企画によって、いちご園、つり堀等
五、ボケないように軽い問題のプリント、トンチ問題
六、テレビによる体操、職員による体操指導
七、季節ごとのイベント
八、歌つきカラオケ
九、利用のいろいろ
・週三回、二回、一回来る人
・午前中で帰る人
・一か月一回(働いている)
十、体の具合が悪い方の、それぞれに合った手助け
 車イス、歩行器、食事の食べ方等
 健康の方もデイサービスに来て楽しんでいます。
十一、その日の体調によってベッドで寝る
十二、行き帰りの車で、自宅←→施設 補助
十三、職員さんの優しさ
 私たちを慰め励ましてくれて安心
十四、来園希望の方は御来園ください。見学もできます。
十五、場所 佐倉東邦病院の下方
以上、佐倉Kのデイサービスの紹介です。

 神様は私の健康管理をしてくださり、最近は血圧も安定してきました。私が良いことをしたときは食事が一番早く運ばれたりして、共にいてくださる神様を感じます。

不正な管理人の例えから 世の富を生かして神の愛を伝える ルカによる福音書一六章一~一三節

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:牧師 金 南錫)

 イエス様は弟子たちに、不正な管理人の例えを語られました。ある金持ちに一人の管理人がいました。その男は主人の財産を管理していました。ところが、その管理人について、主人の財産を無駄遣いしているという告げ口がありました。そこで、主人は彼を呼びつけて「お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない」と言ったのです。管理人にとって、会計報告を出すというのは、罪を問われる大変なことでした。管理人は考えます。「どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう」ということで、思いついたことは「管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ」ということでした。
 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼び出します。そして、最初の人に問います。「わたしの主人にいくら借りがあるのか。」すると「油百バトス」と言います。一バトスは約二十三リットルですから、油百バトスというのは、油二千三百リットル、結構な量です。管理人は「これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい」と言って、半分にしてやったのです。また別の人は「小麦百コロス」と言います。一コロスは、十バトスなので、二万三千リットルです。この人には、小麦百コロスを「八十コロスと書き直しなさい」と言ったのです。「主人に借りのある者を一人一人呼んで」とあるから、この二人だけではなくて、もっと何人もの人にそうやってあげたのだと思います。こうして、管理人は、この人たちに恩を売っておけば、自分が首になっても、将来自分の世話をしてくれるだろうと考えたのです。

 この時代においてどう振る舞えばよいか

 ところが、「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」とあります(八節)。ここで主人は、イエス様のことを指しています。つまり、イエス様はこの不正な管理人の抜け目のないやり方をほめたことになります。なぜでしょうか。その理由について「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」とあります。「この世の子ら」は、神を信じていない人たち、ここで言えば「不正な管理人」のことです。一方、「光の子ら」は信仰を持っている弟子たちのことです。そして、その弟子たちよりも、神を信じていない人たちの方が、自分の仲間に対して、賢く振る舞っていると言うのです。「自分の仲間に対して」というのは「自分たちの世代に対して」という言葉でもあります。つまり、彼らは自分たちが生きる時代の中で、自分がどう振る舞えばよいか、その賢いやり方を分かっているということです。不正な管理人は、その代表として語られているのです。
 イエス様は続けてこうおっしゃいました。「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」(九節)。ここで「不正にまみれた富で友達を作りなさい」というのは、神を信じない人と同じように、不正をしなさいということでしょうか。そうではないのです。ここで「不正にまみれた富」という言葉は、「この世の富」のことです。その富を使って、他の人が永遠の住まい、天の御国に入ることができるように、用いなさいという意味です。そうしておけば、私たちが人生でお金を使うことがなくなったとき、つまり私たちが死んだとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえるというのです。神の国、天の御国に入るときに、既に天に入った友が出迎えてくれるのだと、イエス様は言われたのです。このことを別の言葉で言うならば、この世の富を福音伝道のために用いなさい、神の愛を伝えるために用いなさいということなのです。

 佐倉教会を生み出したヘブジバ・ミッション

 今年、佐倉教会は創立百十九周年を迎えています。佐倉教会が今、この地に立っているのは、今から百十九年前にアメリカのヘブジバ・ミッションを支える信徒たちが献金をしてくれたからです。彼らは何とかして、日本の地に、特に日本の伝道未開拓地に生きる人たちにも、神様の愛を伝えたいと考えたのです。そして、ヘブジバ・ミッションという伝道団体からアグネス・グレンという婦人宣教師が派遣されました。でも、宣教師は無一文で行けるわけではありません。だから、宣教師を送り出すために、皆で献金をしようと思ったのでしょう。具体的には、アメリカから日本までの旅費が必要です。日本での滞在費も必要です。また、日本で日本語を勉強するための費用も必要です。さらには、住む家を購入する費用、生活費も必要です。このように、ヘブシバ・ミッションを支えるアメリカ教会の信徒たちが、日本でのアグネス・グレン宣教師の福音伝道の働きを覚えて献金をしてくれたから、佐倉教会が生み出されました。そして、今私たちはここに集って、礼拝を献げているのです。宣教師が来てくれたから、また、その宣教師を派遣するためにアメリカ教会の信徒たちが献金を献げてくれたから、佐倉教会があります。
 また、その後、佐倉教会の信仰の先達が献金を献げてくれたから、今私たちはここにいるのです。そしてそれと同じように、私たちも後に続く誰かのために、「この世の富」を使うことができるのです。それが、教会の様々な働きのために、献げる献金ではないでしょうか。すると、その一つ一つの働きによって、救われた人たちがやがて天において私たちを迎えてくれると言うのです。

 神のものを神のご栄光のために用いる

 イエス様は言われました。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか」(一〇~一二節)。ここで、ごく小さな事、不正にまみれた富というのは、「他人のもの」と言われています。私たちが持っている富は、神のものだということです。本来、富は神様のものです。それを神様のご栄光のために用いることができるならば、それは本当に価値あるものをあなたがたのものとして与えてくださるというのです。そして、本当に価値あるもの、それは正に天の御国、永遠の命です。友を神の国、天の御国に導くために、与えられた富を用いていく。それこそ富に仕えるのではなく、富を生かして、神に仕える生き方なのです。その生き方に忠実であることが私たちに求められているのです。

随想 委ねるとは 一輪の花に教えられて

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:FI)

 「神様に全てをお委ねします」と簡単に祈ってしまう自らの無知と愚かさに、はっと気付いたときがありました。
 慌ただしく過ごしていたある夏の日、庭に咲く一輪の花に目が留まりました。少しの風に揺れて、花びらは気持ち良さそうに、風に弄ばれているように、自然体で喜んでいるようにさえ見えました。
 明日はしおれてしまうこの瞬間をこの花は花びらを精一杯広げ、無心に咲き続けている姿に感動したのです。そしてこんなにも美しく咲かせてくださっている神様のみ業の気高さの前に我が身を恥じました。
 まず自らの思いや考えを優先して、その後で「お委ねします」と祈る不遜な私に、一輪の花は気付きを与えてくれました。
 置かれたありのままの状況の中で、何も考えず、意志も感情も全くなくした心の状態をつくることができたら、それが「委ねる」ことなのだと感じました。私もあの花のように、精一杯無心な心で咲ききりたいと願いました。
 「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(マタイによる福音書六章二九、三〇節)
 「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」(士師記一八章六節)

随想 佐倉教会聖歌隊の歩み コロナ後の活動を再開

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:YN)

 佐倉教会聖歌隊は、記録がないので定かではない私の記憶によりますが、島津虔一牧師が牧会されていた頃、牧師の指導によりイブ礼拝に信徒の有志と教会学校の子供たちが讃美歌を歌ったのが始まりだったと思います。Kさんの二人のお子さんも一生懸命歌っていました。
 島津牧師の後に就任された有馬尊義牧師は「神に讃美をささげるという、人間のできる最大のささげものとして、教会の各場面で奉仕する聖歌隊を目指してもらいたい」と。この頃から徐々に今のようなスタイルになりました。
 黒田直人牧師が赴任されてからは、教会音楽をドイツで研鑽なさったオルガニストのNKさんの熱心な御指導があり、佐倉教会内部での奉仕だけでなく、教派を超えた千葉県教会音楽祭に参加。二〇〇五年・二〇〇七年には、NKさんのオルガン演奏と聖歌隊によるチャーチ・コンサートが開催されました。この地域での本格的なオルガン演奏は初めてでしたので、聴衆が大変感動しました。また、来場者が多数であったため、定員を超えて収容し、消防法上の問題があったとの記録が残っています。当時から二〇二〇年三月のコロナによるパンデミックまでは、十五名から二十名と伴奏者と指揮者とで奉仕活動をしていました。

 聖歌隊奉仕と練習計画

 聖歌隊は、教会暦による聖日と毎月第一主日の聖餐式のときに讃美歌のささげもの、その準備として第四週の礼拝後十二時三十分から十四時、必要に応じて聖餐日当日の礼拝前に三十分くらいの練習をしていました。
 次に掲げるのは、二〇一四年九月から十二月までの練習計画で、教会暦の後半、クリスマスまでの練習と、聖餐式での奉仕計画の例です。
(数字は讃美歌の番号。Ⅱは『讃美歌 第二編』)
九・二八  礼拝後練習 四〇三、三八五、Ⅱ一〇八、Ⅱ一二〇
一〇・五  第一主日聖餐日 四〇三 朝練
一〇・二六 礼拝後練習 三八五、Ⅱ一〇八、Ⅱ一二〇、二五九
一一・二  召天者記念礼拝 三八五 朝練
一一・二二 礼拝後練習 Ⅱ一〇八、Ⅱ一二〇、二五九
一一・三〇 アドベント・創立記念日礼拝 Ⅱ一〇八 朝練
一二・七  礼拝後練習 Ⅱ一〇八、Ⅱ一二〇
一二・二一 クリスマス礼拝 Ⅱ一二〇 朝練
一二・二四 クリスマスイブ礼拝 Ⅱ一〇八、Ⅱ一二〇、二五九 礼拝前の練習
(四〇三「聞けよ、愛と真理の」、三八五「花彩る春を」、Ⅱ一〇八「みかみのみことば」、Ⅱ一二〇「み子なるイエス」、二五九「いそぎきたれ」)
 この後、新年を迎え、公現日、受難日、復活日、ペンテコステ、毎月第一主日の聖餐日等のため、前年と同じようなローテーションで活動していたことが、二〇〇五年六月からの記録で分かりました。
   *
 次は、二〇二〇年一月に聖歌隊員に配った「聖歌隊からのお知らせ」です。
 二・二  新聖歌「いつも喜んでいなさい」
 三・一  Ⅱ「み弟子らにかこまれ」
 四・五  三〇七「ダビデの子、ホサナ」(棕櫚の聖日)
 四・一〇 金曜日(受難日)三〇二「暗いゲッセマネ」
 四・一二 復活日 Ⅱ「み墓深く」
 五・三  四七九「よろこびは主のうちに」
 五・三一 ペンテコステ 二〇七「ほめよ主を」
 六・七  三位一体主日 二〇七「ほめよ主を」
 この計画には練習日等が記されていません。コロナ禍のため、三月から礼拝の持ち方が制限され、聖歌隊としての奉仕ができなくなってしまい、活動は中止。教会員の集会も中止でした。
 今年十月からコロナ禍以前と同じ礼拝に戻ることになり、十月二十九日から活動が再開、以前のような練習が始まりました。
 十一月二十九日、佐倉教会創立百十九周年の記念日に聖歌隊として讃美の歌をささげることができ、隊員一同この恵みに心踊らせ、感謝し喜びをもって歌うことができました。当日歌われた曲は、ヘンデル作曲「メサイア」より「主はその群をやしないたもう」(『讃美歌第二編』五六)でした。

随想 神の御力を思う

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:AS)

 神様は、すごい御力を見せてくださいました。それは、主人の納骨式前夜のことでした。
 当日、金先生に八柱霊園に来ていただく予定でした。私もデイサービスに通って、頭がそちらに向いていましたので、主人の教会に関することは、すっかり忘れていました。それが、当日前夜、全てを思い出したのです。それも主人が洗礼を受けた牧師の名も明確に。なんと素晴らしい神様。感謝、感謝。
 その前夜、急いで金先生に「思い出しました」と連絡。滑り込みセーフです。当日、それを皆さんの前で発表してくださり、皆さん、主人のことが理解できました。
 主人が亡くなって二年半、やっと納骨できました。主人の魂は既に天にありますが、安心したことでしょう。私も生きているうちに納骨を終え、ホッとしました。息子夫婦や娘と孫にも会えて楽しいひとときでした。

随想 教会員を増やす広報活動 お墓と法要の課題を解決

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:YH)

 イエス・キリストを信仰し、佐倉教会へ入会する人を増やすため、以下を考慮した広報活動はいかがでしょうか(日本人の大半は仏教徒であると仮定しています)。
 今、人生を独りで終える人が急増していますけれども、それらの方々自身の死後について抱えている様々な悩みの中で、最も大きい悩みの一つが「お墓」で、次いで大きいのが「法要(記念礼拝)」だと思います。
 「お墓」は海洋散骨が良いと思う人や、樹木葬が良いと思う人もいますが、いずれも少数派であり、ほとんどの人々は墓地に在る「お墓」での永眠を望んでいます。
 しかしながら、その「お墓での永眠」を確保するには以下の諸課題を解決する必要があります(以下に列記しているのは、一般的な仏教(徒)の事例です)。
一、「お墓」
 ①「お墓」の購入費用(祭祀権(注参照)を相続・継承していない場合)
 ②「お墓」の管理費(死後、委託する身内がいない場合)
 ③先祖から継承した「お墓」の撤去(墓じまい)に係る手続き・費用(お寺との交渉が煩雑であり、高額費用を請求されて裁判沙汰になる事例も多い)
二、「法要(記念礼拝)」
(一)忌日法要
  ①初七日(命日も含めて七日目)
  ②二七日(命日も含めて十四日目)
  ③三七日(命日も含めて二十一日目)
  ④四七日(命日も含めて二十八日目)
  ⑤五七日(命日も含めて三十五日目)
  ⑥六七日(命日も含めて四十二日目)
  ⑦七七日(命日も含めて四十九日目)
  ⑧百ケ日(命日も含めて百日目)
(二)年忌法要
  ①一周忌(命日から満一年目)
  ②三回忌(命日から満二年目)
  ③七回忌(命日から満六年目)
  ④十三回忌(命日から満十二年目)
  ⑤十七回忌(命日から満十六年目)
  ⑥二十三回忌(命日から満二十二年目)
  ⑦二十七回忌(命日から満二十六年目)
  ⑧三十三回忌(命日から満三十二年目)
  ⑨三十七回忌(命日から満三十六年目)
  ⑩四十三回忌(命日から満四十二年目)
  ⑪四十七回忌(命日から満四十六年目)
  ⑫五十回忌(命日から満四十九年目)
  ⑬百回忌(命日から満九十九年目)
 以上のように仏教の場合、死後の「法要」が細かく定められていますが(とはいっても佐倉教会のような毎年の営みではない)、祭祀権の継承者がいても多忙であったり、僧侶へのお布施や、法要後の親族が一同に会した食事費用等の負担が大きかったりで、過半以上の方々はかなりの法要を省略しているのが実態です(核家族化により親族が遠隔地に分散し、法要の度に集まることも難しい)。
 また、ほとんどの日本人は日頃からのお寺との交わりがないにもかかわらず、死んだら自己の意思(実際は無意志)にかかわらず、遺族等の意思により「仏教徒」として祭られますけれども、残念ながら諸々の制約により省略される法要が多く、仏教徒としての祭られ方は部分的です。
 上記のとおり、仏教徒として亡くなった場合、残された遺族に多大の負担を掛けることになりますが、日本基督教団佐倉教会員として亡くなった場合には、以下のメリットがあります。
一、死せる者、残された者共に、主イエス・キリストにより永遠に守られる。
二、葬儀・結婚式等の冠婚葬祭にて教会堂を使う場合、施設使用料は無料。
三、お墓は八街市の霊園に教会墓地があり、教会員や家族は希望すれば使用できる。
四、お墓の永代供養(仏教用語)は牧師により無料で行われる。
五、法要は仏教のような数年間隔ではなく、毎年、牧師により教会堂にて全員分をまとめて執り行われ、同日にお墓参りも牧師の先導により行われる。
 「死んだら勝手に(生前は縁がなかった)仏教徒として祭られたものの、仏教徒として定められた法要はしてもらえない」という大きな疑問・矛盾を解決するには、「神様、並びに御子であられる主イエス・キリストの導きを受けて佐倉教会員になる」ことが最善であると提案しましょう。
 全知全能の神様、御子であられる主イエス・キリストによる加護を得て、この佐倉教会に新たなる教会員が加えられますよう、御名をあがめます。アーメン
 注:祭祀権は、民法第八百九十七条により以下のとおり定められています。
 一 系譜、祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が継承する。(以下略)

随想 お空にいったんだよ ひ孫に見送られた母

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:MO)

 「ママのおかあちゃんのおかあちゃん(おばあちゃんのこと)お骨になってかわいちょう。」
 四才のみいちゃんが言うとお兄ちゃんのゆうちゃん(六才)が「お空に行ったからかわいそうじゃないんだよ。魂になってお空から見ていてくれるんだよ。」と優しく言うとまだ熱い熱気を放つ骨になった母を小さな手を組み、祈りのポーズで二人はじっと見ていたのです。
 火葬場での出来事に私は小さい二人が怖がるのではないかと少し心配していたので驚きました。真剣に手を組み見ている二人に、どこでそのようなことを教えてもらったのだろうと思いました。主人が「ゆうちゃんはストレッチャーで窯に入っていくのをずっと手を振って見送っていたよ。」と教えてくれました。
 後日少し落ち着いたときに娘にそのことを尋ねるとおばあちゃんの状態が良くないと聞いたときから この本をチビ二人には読み聞かせていたんだ。と教えてくれました。
 絵本は、「わすれられない贈り物」(作・絵スーザン・バーレイ、訳小川仁央)です。
 賢くて、いつもみんなの頼りにされているアナグマ。大変歳をとっていて、知らないことはないというぐらい物知りです。だからこそ、自分が死ぬのがそう遠くはないことも、知っていたのです。アナグマは死ぬのを恐れてはいません。だけど、残していく友達のことが気がかりです。みんなへの手紙を書き残したその夜、アナグマは不思議な、そして素晴らしい夢を見たのでした。
 年齢を重ね、経験が増えていくと「死」というものが残された人のものであるということがよくわかっていきます。そして「死の悲しみ」は説明できることなんかじゃない、ということも。
 この絵本は、残していく者と残されていく者を丁寧に描きます。死を迎えるということは、どういうことなのか。亡くなった人とどう向き合っていけばいいのか。正解なんかないからこそ、それぞれが読み解き「アナグマの死」を通して愛情や友情、知恵を受け継ぐ大切さ、それぞれの生き方を考え、悲しみを乗り越える力となる一つの「きっかけ」となるのを願って書かれたと思います。娘が絵本を通して小さい子供たちと話を重ねていたから子供たちも小さいなりに理解し考え、ゆうちゃんが「お空に行って見ていてくれる。」と安心して手を組み見送ってくれたのだと分かりました。
 娘は小さいときから本が大好きで母がたくさん本を買ってくれました。お人形を手作りして娘のお洋服とお人形の花ちゃんのお洋服はいつもおそろいでした。たくさんの愛情をもらって育った娘が 母のひ孫にあたる、みいちゃんとゆうちゃんに本を読み聞かせ、二人が小さな手を組み、ひいおばあちゃんを見送ってくれた。お空から魂になって見ていてくれる、と理解して。これは幸せの循環だと思いました。
 父が亡くなり千葉へ転居した母は、東京にいる孫、ひ孫に会う機会が増え幸せな晩年だったと思います。佐倉教会に転入させていただき教会に居場所があるというのはとても安心すると言っていました。同年代のお友達もできて良い交わりをさせていただき感謝しております。
 特に、TKさんとは同じ施設に入居して知らない土地で生活する上での心細さを埋めていただき有り難いことでした。Kさんに、みいちゃんとゆうちゃんのママである娘と息子のMは中学・高校時代、英文法を習っており、母はKさんと自分の孫の話もできたのです。なんという幸せ。いろんな交わりの中で過ごした母は幸せであったと思います。

随想 私の一日の始まり 万事が共に働いて益となる

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:SK)

 昨年三月、不注意によるけがで車椅子の生活を、そして今年二月悪性リンパ腫が発見、ようやく杖歩行ができるようになったのに、歩く力がぐっとなくなり、現在歩行器を使って、日常生活を送っています。
 といっても、たくさんの方々の支えによる生活です。紆余曲折を経て、今は民営の高齢者介護の施設で生活をしています。年齢を重ねることの大変さとともに、初めて経験することがたくさんある生活でもあります。一人で歩き、一人で食事を作り食べる当たり前の生活ができていた頃にはとても思いつかない生活です。
 ご病気の方からの便りに対して、「手を合わせて主に祈ることはできます」などと書いていましたが、さて、自分での歩行が難しく、一人で生活が困難になったとき、手を合わせることはできても、祈ることができませんでした。祈る心が出てこないのです。一体私の信仰は何だったのでしょうか。若いときからの信仰は、…恥ずかしい限りです。
 ある日、礼拝に出席できずにいた私に電話です。呼び覚まされた感じでした。「私のことを心にかけてくださる人が…」と、まず主に依り頼み祈ること、そして聖書を読もうと、さらに、礼拝説教(CD)が大きく後押ししてくれました。
 何度も繰り返し聞いた「ヨセフ物語」の説教は、正に「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています」(聖書協会共同訳、ローマ八章二八節)、そのものです。
「私の息子たちを遠くから、娘たちを地の果てから連れて帰させよ。
 それは、私の名で呼ばれるすべての者
 私の栄光のために創造し、
 形づくり、私が造り上げた者。」
  (聖書協会共同訳、イザヤ四三章六~七節)
 わたしもその中の一人として造られた者なのです。感謝しかありません。朝、カーテンをあけ、向こうに見える小さな丘に向かって
「わたしは山々に向かって目をあげる。
 わたしの助けはどこから来るのか」
  (聖書協会共同訳、詩編一二一編一節)
 と自然に口ずさんでいます。こうして私の一日は始まります。ようやくたどりついたこの頃です。