2026年6月21日「イエスの涙」

○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書11章28ー37節

今日の聖書箇所は、イエスを神の子、メシアであると受け入れたマルタが、家に帰って悲しみの中にあるマリアを呼ぶところから始まります。マリアはイエス様がベタニアにお出でになったときに、イエス様を迎えに出ませんでした。家の中にいました。そのマリアがマルタの言葉を聞いて立ち上がり、イエス様のもとに行ったのです。マリアはイエス様を見るなり、イエスの足もとにひれ伏しました。そして、マルタと同じ言葉を申しました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(32節)。この言葉は、イエス様がここにいてくださったならば、ラザロは死ななかったのに、という嘆きの声が込められています。マリアは兄弟ラザロの死を悲しみ、嘆いて、泣いていました。

「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して」(33節)。ここでイエス様が憤って興奮されたのはなぜでしょうか。それは、マリアも含めてそこにいた人たちがみんなラザロの死に飲み込まれ、悲しみ嘆いたからです。そこに共におられるイエス様が全く無力であるかのように、死の支配の中にいたからです。その死の力に向けて、イエス様は憤って興奮されたのです。イエス様は言われました。「どこに葬ったのか。」この問いに対して、彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と答えました。そして、35節に「イエスは涙を流された。」とあります。この涙は愛の涙です。その愛のゆえに、今、イエス様はラザロを襲った死の力に憤り、愛のゆえに、その死の力に立ち向かおうとしています。私たちは、本当に辛い時、嘆き悲しんでいる時、イエス様はどこにおられるのか、なぜ、助けてくださらないのか、そんな思いに駆られることがあります。そして、イエス様が本当におられるのかと疑い、不信仰の思いに駆られることがあると思います。しかし、イエス様はこの弱い私たちのために、愛のゆえに涙を流してくださるお方です。愛の故に復活なさった神の子、メシアであることを信じたい者です。