2019年12月15日「開け」

○金 南錫牧師 マルコ7章31-37節

 イエス様が遠回りされてから、ガリラヤ湖へ行かれた時、人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に「手を置いてくださるように」と願いました(32節)。
 障がいのある人は、自ら進んでイエス様のもとにやってきたのではありません。周りの人々が連れて来たのです。もうこれ以上、良くなることもないという諦めが彼の生活を作り上げていたかもしれません。
 「そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった」(33-35節)。
 一人の障害を負った人は「開け」という意味の「エッファタ」という強烈な一言によって、耳が開かれ、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになったのです。
 クリスチャンは、信仰の耳が開かれて、神の御言葉に聞き従う者です。様々な悩みや悲しみ、苦しみや辛さに出会うその時、イエス様は十字架という苦しみを通して、私たちにすばらしい道を指し示してくださるのです。
 聖書の御言葉を聞く耳が開かれた者として、「喜びは主のうちに」その生き方を、共に歩んでみませんか。

2019年12月8日「小犬とパンくず」

○金 南錫牧師 マルコ7章24-30節

 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ母親がイエス様のことに聞き付けて、主の足もとにひれ伏しました。そして、娘から悪霊を追い出してくださいと叫びました。この母親は祈る母でした。
 この母親の叫びに対して、イエス様は「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と言われます(27節)。
 「子共たち」というのはユダヤ人のことです。「小犬」というのはユダヤ人以外の異邦人を意味しています。このとき、イエス様はユダヤ人の救いのみに向かっていますから、異邦人の女性が来ても、すぐ受け止めなかったのです。
 しかし、この母親は落胆しませんでした。彼女の信仰の素晴らしさは、イエス様の御言葉から諦めずに、「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」と答えたことでありました。「パン屑」はキリストの福音のことです。
 この母親の訴えを聞いたイエス様は、「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい」と言われ、家に帰ってみると、悪霊に取りつかれた娘の病気がいやされていました。

2019年12月1日「口先と心」

○金 南錫牧師 マルコ7章1-23節

 ユダヤ人が外の汚れから身を清めることに懸命であったのに対し、イエス様は人を汚す汚れは私たちの内にある、心にあると指摘されたのです。
 また、イエス様は「人間の心から、悪い思いが出てくるからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と言われます(21-23節)。
 ここで、人間の心から出てくる悪い思いを自分に当てはめてみると、どうでしょうか。どれも私たちの罪の心から出てくる悪です。イエス様はここで、人間はみな罪人なのだと宣言されたのです。聖書は、すべての者は罪を犯していると言っています。
 しかし、それで失望するのではなく、そのような私たちであるからこそ、テサロニケの信徒への手紙一4章7節に「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです」と言ってくださっているのです。私たちは聖なる生活のために、日々自分の罪を認め、悔い改めなければなりません。

2019年クリスマス諸行事のご案内

 佐倉教会では、次のとおりクリスマスの諸行事を行います。
 親しい方々と共に、教会でクリスマスを迎えましょう。

☆クリスマス合同礼拝/お祝いの会
 12/22(日) 10:30-12:00/12:30~14:00
☆クリスマスイブ礼拝
 12/24(月) 17:00-18:00
☆子どもクリスマス会
 12/25(火) 13:30-15:00

2019年12月の主日聖書日課から

○イザヤ書 52章07節~10節
 いかに美しいことか
 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
 救いを告げ
 あなたの神は王となられた、と
 シオンに向かって呼ばわる。
 その声に、あなたの見張りは声をあげ
 皆共に、喜び歌う。
 彼らは目の当たりに見る
 主がシオンに帰られるのを。
 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。
 主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
 主は聖なる御腕の力を
 国々の民の目にあらわにされた。
 地の果てまで、すべての人が
 わたしたちの神の救いを仰ぐ。

○ヨハネによる福音書 07章28節~31節
 すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。
 
○ヨハネによる福音書 05章37節~40節
 また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
 
○マラキ書 03章19節~20節
 見よ、その日が来る
 炉のように燃える日が。
 高慢な者、悪を行う者は
 すべてわらのようになる。
 到来するその日は、と万軍の主は言われる。
 彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
 義の太陽が昇る。
 その翼にはいやす力がある。
 あなたたちは牛舎の子牛のように
 躍り出て跳び回る。

○ヨハネによる福音書 01章25節~27節
 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」

○ゼカリヤ書 02章14節~15節
 娘シオンよ、声をあげて喜べ。
 わたしは来て
 あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
 その日、多くの国々は主に帰依して
 わたしの民となり
 わたしはあなたのただ中に住まう。
 こうして、あなたは万軍の主がわたしを
 あなたに遣わされたことを知るようになる。
 
○ルカによる福音書 02章04節~15節
 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
 
○ヨハネによる福音書 01章01節~04節
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

○マタイによる福音書 02章09節~11節
 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
 
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2019」(日本キリスト教団出版局、2018年12月1日発行)より作成

2019年11月24日 教会創立記念礼拝

 佐倉教会の創立は、1904年11月27日。
 今年は、創立から数えて115周年となりました。
 毎年、11月第4週の主日において教会創立を記念する礼拝を守ります。
 また、教会創立記念礼拝では、あわせて信仰生活50周年の節目を迎えた兄弟姉妹のために特に祝福をお祈りしています。

信仰生活50周年を迎えた兄弟姉妹の祝福を祈ります

2019年11月24日「再び湖の上にて」

○金 南錫牧師 マルコ6章45-56節

 弟子たちが乗っている舟が逆風に遭って、少しも前に進まないのです。イエス様は湖の上を歩いて、弟子たちのところに来られました。しかし、弟子たちは湖の上を歩くイエス様を見て、幽霊だと思って、大声で叫びました。
 そのおびえる弟子たちに向かって、イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。そして、イエス様が弟子たちの舟に乗り込まれると、風は静まったのです。弟子たちは非常に驚きました。聖書は「パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」と告げるのです(52節)。パンの出来事。それは、イエス様がまことの神であられることを示しているのです。
 実は、本日の湖の上を歩いてこられるイエス様の出来事も、イエス様がまことの神であられるということを示しているのです。「湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」(48節)。
 旧約聖書において、人が神を面と向かって見ることは死を意味していました。ですから、神様は、通り過ぎることをもって、ご自身が共にいることを示されたのです。私たちの信仰の歩みはまことの神であられる主イエスが共にいてくださるので、安心できるのです。

2019年11月17日「五つのパンと二匹の魚」

○金 南錫牧師 マルコ6章30-44節

 イエス様の前には大勢の群衆がいました。イエス様は、羊飼いのいない羊のような人々をご覧になって、「深く憐れで」くださいました(34節)。
 イエス様の憐みは単なる同情とは違います。相手のほんとうの幸せを願わずにはいられず、とてもほっとけないという気持ちです。イエス様が周りに押し寄せる群衆を深い愛で、みんなのことを心から心配して、愛してくださいました。
 それが教会の伝道の動機です。弟子たちの熱意や願いから始まったのではありません。
 日が傾いてくると、弟子たちは群衆を解放させてくださいとイエス様に願いました。飢えた大勢の群衆がどこかよそで、その飢えを満たせるようにと願ったのです。群衆から逃げようとする弟子たちを断固、イエス様は阻止されるのです。
 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(37節)。「パンは幾つあるのか。見て来なさい」(38節)。弟子たちは確かめた上で、答えました。「五つあります。それに魚が二匹です」。それから、イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱えられました。
 弟子たちは、これだけしかない、そう思って差し出しました。しかし、イエス様は弟子たちから受け取り、これがあるということで神に感謝しました。神の国の働き、伝道はここから始まっているのです。

2019年11月10日「洗礼者ヨハネの死」

○金 南錫牧師 マルコ6章14-29節

 ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアを妻としました。それを洗礼者ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」と言ったのです。
 これは、非常に勇気のいる言葉でした。しかし、批判したために、捕まって牢に閉じ込められてしまったのです。特に、ヘロデの妻ヘロディアは洗礼者ヨハネを恨み、殺そうと思っていました。しかし、「ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」ために(20節)、なかなか殺すことができなかったのです。
 では、ヨハネは何を教えていたのでしょうか。それは、神の御前に立ち、あなたの罪、姦淫の罪を悔い改めなさい。そして、神のもとに立ち返りなさい、ということです。神の前に、洗礼者ヨハネの心、良心は生きていたのです。
 しかし、ヘロデの心は虚栄心に満ちていたのです。彼はガリラヤ地方の「領主」にすぎなかったのに、誕生祝いの席で踊った娘に、まるで自分は何でもやれる「王」であるかのように、「この国の半分でもやろう」と言い、虚栄心に満ちていたのです。この虚栄心が、ヘロデの人生を滅びていくのです。
 私たち人間には、こういう弱さがあります。神の前で、何が正しいことかを祈り求める必要があります。そして、かっこいい生活だけを神に見せるのではなく、真に弱く、失敗した生活を神の前にさらして、赦しを求め続けて生きることができますように、祈り願います。

2019年11月4日 教会学校さつまいもを掘る会

 2019年11月4日(月・休日)、教会学校さつまいもを掘る会が行われました。幼児・小学生5名、中高生2名、大人13名の計20名が参加。爽やかな秋晴れに恵まれ、収穫後は早速ほかほかのさつまいもをいただきました。

収穫作業を開始します

 

今年もたくさんの収穫、感謝です