2019年11月10日「洗礼者ヨハネの死」

○金 南錫牧師 マルコ6章14-29節

 ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアを妻としました。それを洗礼者ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」と言ったのです。
 これは、非常に勇気のいる言葉でした。しかし、批判したために、捕まって牢に閉じ込められてしまったのです。特に、ヘロデの妻ヘロディアは洗礼者ヨハネを恨み、殺そうと思っていました。しかし、「ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」ために(20節)、なかなか殺すことができなかったのです。
 では、ヨハネは何を教えていたのでしょうか。それは、神の御前に立ち、あなたの罪、姦淫の罪を悔い改めなさい。そして、神のもとに立ち返りなさい、ということです。神の前に、洗礼者ヨハネの心、良心は生きていたのです。
 しかし、ヘロデの心は虚栄心に満ちていたのです。彼はガリラヤ地方の「領主」にすぎなかったのに、誕生祝いの席で踊った娘に、まるで自分は何でもやれる「王」であるかのように、「この国の半分でもやろう」と言い、虚栄心に満ちていたのです。この虚栄心が、ヘロデの人生を滅びていくのです。
 私たち人間には、こういう弱さがあります。神の前で、何が正しいことかを祈り求める必要があります。そして、かっこいい生活だけを神に見せるのではなく、真に弱く、失敗した生活を神の前にさらして、赦しを求め続けて生きることができますように、祈り願います。