2020年1月の主日聖書日課から

○イザヤ書 40章25、26節
 お前たちはわたしを誰に似せ
 誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。
 目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方
 それぞれの名を呼ばれる方の
 力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。
 
○ヨハネによる福音書 01章17、18節
 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

○イザヤ書 42章1~3節
 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
 わたしが選び、喜び迎える者を。
 彼の上にわたしの霊は置かれ
 彼は国々の裁きを導き出す。
 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
 傷ついた葦を折ることなく
 暗くなってゆく灯心を消すことなく
 裁きを導き出して、確かなものとする。
 
○ヨハネによる福音書 01章29、30節
 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。
 
○サムエル記上 03章10節 
 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
 
○ヨハネによる福音書 01章50、51節
 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

○出エジプト記 33章18~23節
 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」

○ヨハネによる福音書 02章07~10節
 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
 
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2020」(日本キリスト教団出版局、2019年12月1日発行)より作成

「安心しなさい、わたしだ 恐れることはない」

○ぶどうの枝第51号(2019年12月22日発行)に掲載(執筆者:金南錫牧師)

 マルコによる福音書六章四五~五六節
 
 弟子たちが乗っている舟が逆風に遭って、少しも前に進まないのです。イエス様は湖の上を歩いて、弟子たちのところに来られました。しかし、弟子たちは湖の上を歩くイエス様を見て、幽霊だと思って、大声で叫びました。そのおびえる弟子たちに向かって、イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。そして、イエス様が弟子たちの舟に乗り込まれると、風は静まったのです。弟子たちは非常に驚きました。聖書は「パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」と告げるのです(五二節)。
 パンの出来事。それは、イエス様がまことの神であられることを示しているのです。弟子たちは、五千人という群衆がどこかよそで飢えを満たしてほしい、この飢えた群衆から自分たちを解放してほしい、と願いました。しかし、イエス様は「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われたのです。そして、弟子たちは確かめた上で、五つのパンと二匹の魚、これだけしかない、そう思って差し出しました。しかし、イエス様はそれを弟子たちから受け取り、これがあるということで神に感謝したのです。
 弟子たちが持っているものは、ゼロではないのです。決して多くはありませんが、イエス様はそれを用いてくださるのです。そして、まことの神であられる主イエスは弟子たちの賜物を用いてご自身の福音伝道の御業を進めることを望んでおられるのです。しかし、弟子たちはその理解までには至りませんでした。
 実は、湖の上を歩いてこられるイエス様の出来事も、イエス様がまことの神であられるということを示しているのです。四八節に「湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」とあります。旧約聖書において、人が神を面と向かって見ることは死を意味していました。ですから、神様は、通り過ぎることをもって、ご自身が共にいることを示されたのです。私たちの信仰の歩みはまことの神であられる主イエスが共にいてくださるので、安心できるのです。

 佐倉教会の誕生

 百十五年間、佐倉教会を守っていたのは、神様の働きでした。佐倉教会の『百周年記念誌』によれば、佐倉教会の最初の頃は、「教会」とは言わず「福音伝道館」と呼ばれ、ヘフジバ・ミッションという伝道団体から派遣された宣教師によって、生み出されたのです。この伝道団体は、主として千葉県の北総地方に伝道を展開していました。佐倉教会はこのミッションによって生み出された教会です。
 早くも伝道最初の年の一九〇四年十一月十二日(土)には、九名の受洗者が与えられました。そして、十一月二十七日、佐倉教会が創立されました。
 『創立八十周年記念誌』によれば、その当日、クリスマスの委員として十八名の名前が挙げられています。きっと、この人たちが当時の熱心な信徒であったと思われます。最初にこれだけの人が与えられたことは、驚くべきことです。そして十二月二十四日(土)には、クリスマス祝会が盛大に行われました。そのとき、感話を述べた田辺元治郎という人は、陸軍少佐で佐倉軍隊の高官でクリスチャンであったようです。度々礼拝で所感を述べたり、家庭を開放して祈祷会を開いたりしていました。祈祷会は水曜日午後七時から行われ、十名前後の出席であったということが記録に残っています。
 五三~五五節に「こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた」とあります。人々は、救いを求め、イエス様の所に病人を連れて来たのです。教会は、救いを求める人々が、礼拝に来て、神の救いに与ることが
できるところです。
 創立百十五年を迎えたこの時、私たちが心に刻むべきことは、ここに教会が建てられ、主の日のたびに礼拝がささげられ、それを続けてきたということです。佐倉教会が創立された最初の年の日曜日礼拝は午後二時から行われ、午後六時から伝道会が行われたそうです。
 また、当時の説教題は「洗礼について」「受洗者の注意」「基督者と家庭」といった実際的なクリスチャンの心得を説くことが多かった様です。出席者は十四名から二十五名、平均二十名ほどでした。現在、平均出席は、約五十五名ですので、成長させてくださった神に感謝すべきことであります。

 神様の働きと導き

 神様は佐倉教会に牧師を立て続けてくださいました。最初に開拓伝道をされたヘブジバ・ミッションの宣教師たちはアメリカ中西部の独立教会などが連合して組織したミッションに属していました。大教派のような豊富な資金を持たず、ただひたすら日本人に福音を伝えたいという、燃えるような情熱を持って海を渡って来られたのです。そして現在教会堂の建っている所にあった酒屋を買い取り、教会堂に改造してくれたのです。そのためにアメリカの教会の人たちが懸命に献金を捧げてくださったのです。
 特に、ヘフジバ・ミッションの代表者アグネス・グレン夫人宣教師は、一九〇四年から一九二五年まで、北総地域において開拓伝道をなさいました。しかし、一九二五年一月になると、ヘフジバ・ミッションが日本での伝道を中止して、宣教師を米国に引き揚げることになりました。アグネス・グレン宣教師は日本伝道が成功しなかったことに落胆し、失意のうちに日本を去られたと記されています。
 しかし、佐倉教会に対する神様の御心は変わることはありませんでした。一人の在任期間は長くはありませんが、一九一六年から一九四三年まで、八人の牧師が遣わされ、佐倉の地において、福音伝道の業は続けられました。そして、一九四三年から一九四八年まで、五年ほどの無牧のときがありましたが、一九四八年から一九七一年まで、「生活そのものが祈りである」と言われて、信徒たちに厚く信頼された石川キク牧師の三十年に及ぶ伝道牧会の下で、佐倉教会の基礎が築かれました。その後、島津虔一先生も教会の皆から厚く信頼され、二十九年間牧会をされました。その後、有馬先生は三年、黒田先生は十年、そして、二〇一六年から十四代目の牧師として私が遣わされております。
 佐倉教会の百十五年間のすべての働きや歩みの背後には、人の思いを超えた「誰か」の、そして「何か」の働きと導きがあったと思わざるを得ません。聖書は、そのことを神の働き、聖霊の働きと言い表しています。ここまで導いてくださった神様が佐倉教会の基となるように、そして、佐倉教会が迎えている創立百十五年の中に生かされている恵みに感謝しつつ、これから、共に神への信頼と希望を持って、生きていくように、祈り願います。

随想 神様に導かれて

○ぶどうの枝第51号(2019年12月22日発行)に掲載(執筆者:SK)

 私は今回初めて全国教会青年同盟の修養会に参加しました。知っている人がいない中での参加で、当日までものすごく緊張していました。しかし、修養会が始まると私の想像をはるかに超える楽しさがそこにはありました。
 開会礼拝の最初の讃美から私の心は、修養会の雰囲気にのまれました。また、初対面の私を歓迎してくださり、とても充実した三日間を過ごすことができました。
 私は今回の修養会を通して神の導きを強く感じました。講演を聞いたり、分団での年の近い友の話を聞いて、私の教会での歩みを振り返り、神様はいつも共にいてくださるのだと感じました。また、これからも神様に導かれるまま教会へ通い続けたいと強く感じました。
 この修養会に参加してから同じ信仰を持つ様々な仲間たちとの交わりの時を持つことができ感謝です。これからも神様のお招きに答え、小さな歩みを続けることができたらと思います。

随想 老年の生活に光あり

○ぶどうの枝第51号(2019年12月22日発行)に掲載(執筆者:NI)

 「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言一九章二一節)
 今年一年を振り返りますと、元号が平成から令和に変わり、消費税が上がり、台風による大きな被害も出ました。長いようで短い激動の年でしたが、実際に恵みの主に守られました。
 幸いにも十月十三日には、特別に許されて歴史がある佐倉教会で奨励をさせていただきました。
 個人的には、家内の妹が三月二十六日に六十八歳で召され、キリスト教で葬儀がなされました。この妹の御主人も既に亡くなっており、家内の姉の御主人も既に召されています。これらの亡くなった方々のことを思いますと、私だけが残されたような寂しい気持ちにもなります。
 思い返せば、同じ教会の青年会で家内と知り合い、主に導かれて結婚しました。新婚のアパートはお風呂もない粗末な住まいでした。その後六回も引っ越して、佐倉に来ることができました。本当に長い旅でしたが、御心ならばこの地が終(つい)の住みかとなることを願っています。
 この結婚で何よりも良かったのは、主にあって価値観が共通していたことです。お互いに年をとり、二人で一人前との思いで日々を過ごしています。私は家にいることが多いので、今まで余り読なかった手持ちの本を読み、できるだけ家事をするように心掛けています。家事は不慣れですので、いつも祈ってからするようしています。
 教会生活以外に主だったライフワークとしては、家庭礼拝と老人ホームの傾聴ボランティアがあります。家庭礼拝ではNHKの朝ドラの前に、聖書を読み、榎本保郎師の解説書を読んで、最後に祈り合っています。信仰は何よりも継続することが極めて大切と思いますので、毎日欠かさずに続けています。
 また、車の免許証を返納しましたので、ボランティアは歩いて行ける老人ホーム二か所に行っています。ホームではどんな方とお会いしても良いように、祈って心して出かけています。素晴らしいことに、そのボランティアの会員証には「ありのままの姿を温かく受け止め、見守る。心の動きに応答する。相手の立場になって共に考える。心のつながりを大切にする。」と書かれています。この言葉は、人と人とが離れていく今の時代にとても必要と思います。
 亡くなった方々を思うとき、人生の最大の不条理は命に限りがあることと思われます。何であれ、晩年の生活を「名もなく貧しく美しく」をモットーに静かに過ごしています。今の心境は「主にあって恵まれた幸せな人生でした」です。つまり、神学的に言いますといわゆる「未来完了」で、正に「終わり良ければ全て良し」です。
 「そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。」(ゼカリヤ書一四章七節)

美子の取材日記(四) ちょっとミゼラブルで 素敵なクリスマス

○ぶどうの枝第51号(2019年12月22日発行)に掲載(執筆者:YK)

 十一月に御殿山のキリスト品川教会に行った。パイプオルガンに段々の席の、コンサートホールみたいなその教会で、歌手の知念里奈さんのライブがあったのだ。オープニングは『アメイジング・グレイス』。そしてミュージカル『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』からの名曲をゲストの山崎育三郎さんらと一緒に歌いあげた。もちろんクリスマスに向けて穏やかで美しい『ノエル(まきびとひつじを)』も。
 神戸の六甲に住んでいた小学校低学年の頃、小さな冒険をしたのを思い出す。弟と二人で近くの川を東へ渡って、隣町・御影(みかげ)の教会にドキドキワクワク初めて行ってみたのだ。クリスマスが近い頃のことで、しばらく通った気がする。
 クリスマス会では子どもたちが家から持っていった衣裳で扮装して、お芝居をした。弟はイエスの誕生を祝う三人の博士の一人の役をもらい、母が用意した新しいシーツをマントのように工夫して巻きつけていた。帰りにおやつをもらって、手作りのお芝居は学校の学芸会よりうんと楽しかった。
 ところが、弟はそれっきり教会には行かなくなった。その理由が何十年もたった最近になって判明したのだ。シーツのマントをひるがえして出番を待っていた弟に、誰かが言ったそうだ。
 「あら、あなたは貧乏な博士ね」
 自分で工夫するように母が持たせたシーツが、その人にはふびんに映ったのかもしれないけれど、弟は母の思いを踏みにじるようなその一言で思いのほか深く傷ついたようだ。だって、「へぇ、そんなことがあったんだ?」とわたしは笑ったけれど、彼は真顔になって黙ってしまったから。
 他の博士役の子は立派な衣装を母親が縫ったんだろうか。毎週、帰りにおやつをもらえるので、わたしはしばらく通い続けてとうとう詩編二三編を覚えたんだけど。
 さて、『レ・ミゼラブル』で意地悪でこざかしい育ての親テナルディエ夫妻にいじめられていた小間使いの少女・コゼット。意地悪夫妻のもとにジャン・バルジャンが彼女を取り返しに行ったのもクリスマスのことのようだ。二百年くらい前のお話。
 ミュージカル『レ・ミゼラブル』でバルジャンを演じてきた俳優の別所哲也さんが言った。
 「知ってる? 『レ・ミゼ』ってさ、キリスト教的な物語で……」
 旧約聖書と新約聖書、ジャべールとバルジャン……。
 「バルジャンがコゼットを父親のような心で救って、彼自身の暗くて長い人生の最期に報われたように、人のために正しく生きればきっと天に昇れるんだよ」
 おやつ目当てに教会に通っていた子どもの頃が懐かしい。

転入会者より 主の導きに感謝して

○ぶどうの枝第51号(2019年12月22日発行)に掲載(執筆者:SO)

 大河の流れに身を任せるが如くに、主のお導きにお委ねしてきた五十年であったように思います。
 私の最後となるであろう教会が佐倉教会であるとは、夢夢思いもしませんでした。
 転会が許されて、佐倉教会での信仰生活を始めることができましたことを本当にうれしく感謝です。
 私が小学校の低学年のとき、兄妹のように育った一歳年上の隣家に住む母のいとこが日射病にかかり、発病して二、三日で亡くなってしまいました。片腕をもがれたような痛みと悲しみと共に、ついこの間まで元気であった人が全く無になってしまつたことに衝撃を受け、毎日毎日夢を見、死の恐怖にさいなまれました。
 死の恐怖を持ちながら成長し、京都での学生生活もあと一年で終わりというとき、これから何を目標に生きるのか、自分は生きる価値があるのか、この世に真理なるものがあるのだろうか等悩んだ末、生きる以上喜々として生きたいと思い、いろいろ求めていました。
 ある日、東大のドイツ語の教授である小池辰夫先生のキリスト教についての講演があるとのチラシが入ってきました。大学の先生が話されることなら分かるかも知れないと思い参加しましたが、全く分かりませんでした。講演後、質問した私に先生は「毎日祈りなさい」と言われました。
 小池先生の流れを汲むキリスト教の集会が京都にもあり、出席しますとこの方々は私の知らない何かを知っておられる。私もそれを知りたいという思いに駆られ、毎週日曜日に集会に出席し、小池先生の会と合同の修養会などにも出席いたしました。
 このようにして段々とイエス様のことが分かるようになってまいりました。私たちの罪を御子の血であがなってくださり、又、私たちには永遠の命が約束されておりますこと、本当に感謝です。
 『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。恐れるな。 わたしがあなたとともにいるからだ』(イザヤ書四三章四~五節新改訳)
 『強くあれ雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである』(ヨシュア記一章九節新改訳)
 この何のいさおしもない者を深い愛で包んでくださり、強く導いてくださる主に感謝です。

2019年12月25日 子どもクリスマス会

 午後1時半より子どもクリスマス会を行いました。
 前半は降誕ページェントとお話、後半はケーキをいただきながら、ゲーム、賛美によってお祝いをしました。

子どもたちへのクリスマスメッセージです

 

子どもたちがゲームの司会をしました

2019年12月22日 クリスマス祝会

 クリスマス合同礼拝を守った後、2階集会室にてお祝いの会を行いました。
 たくさんのおいしい料理を準備してくださった婦人会そのほかの皆様、ありがとうございました。

祝会のごちそうおいしくいただきました

 

婦人会の皆さんによるクリスマス賛美です

2019年12月22日「クリスマスの困惑」

○金 南錫牧師 マタイによる福音書1章18節-2章3節

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う最も喜ばしい時です。しかし、どうでしょうか。私たちが生活している現代の社会は、愛と平和、希望に満ちているのでしょうか。
 今年も、悲しい出来事が日本中、世界中で数々ありました。実に、聖書におけるイエス様の誕生も、喜びの中で迎えられたのではなく、とんでもない不安と困惑の中で受け止められたことを語っています。
 ヘロデ王はユダヤに新しい王が誕生したしるしである星を見て、その王を拝むためにユダヤにやってきたという東方の学者たちのことを耳にして、大きな不安に襲われました。そして、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺させたのです。
 しかし、ヨセフはどうだったのでしょうか。婚約者マリアの妊娠を知ったとき、ヨセフはがく然とし、不安と困惑に襲われたに違いありません。ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心したのです。
 ところが、ヨセフは夢を見ました。夢の中で、主の天使により、神の御言葉を聞いたのです。そして、ヨセフは神の御言葉を信じ、妻マリアを御言葉通り受け入れることによって、ヨセフもクリスマスを担う一人となったのです。