2019年8月11日「ともし火と秤」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書4章21-25節

 ともし火のたとえは、「神の国」に対するたとえです。21節に「ともし火を持ってくるのは」とありますが、直訳すれば「ともし火がやって来るのは」となります。つまり、神の国は向こうからやって来たのです。
 歴史の中で、御子なる主イエスを通して、目の前に現れたのです。ですから、ともし火は主イエスご自身を指しています。主イエスは、すでに神の国、神のご支配を実現するために、この世に来て下さいました。
 そして、主イエスによって示された「神の国」は、燭台の上に置かれて周囲を照らすともし火と同じように、必ず、あらわになり、公になるのです(22節)。
 教会は、この光を「キリスト」と捉えます。キリストである主イエスはまことの光として、すべての人に生きる力と勇気を与えています。ところが、御言葉や、主イエスが与えてくださった救いの恵みを伝えていくというのは、いつでも相手に喜ばれ感謝されるとは限らないのです。むしろ、無駄なことをしているのではないか、そう思うこともあるのです。
 しかし、主イエスは「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」と告げられます(25節)。これは主イエスの約束です。救いの恵み、信仰が与えられ、それを喜び、伝える者は、更に与えられるのです。

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