2020年6月の主日聖書日課から

○イザヤ書 40章11節~14節
 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め
 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
 手のひらにすくって海を量り
 手の幅をもって天を測る者があろうか。
 地の塵を升で量り尽くし
 山々を秤にかけ
 丘を天秤にかける者があろうか。
 主の霊を測りうる者があろうか。
 主の企てを知らされる者があろうか。
 主に助言し、理解させ、裁きの道を教え
 知識を与え、英知の道を知らせうる者があろうか。
 
○ヨハネによる福音書 14章11節~14節
 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
 
○申命記 6章17節~19節
 あなたたちの神、主が命じられた戒めと定めと掟をよく守り、主の目にかなう正しいことを行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、主があなたの先祖に誓われた良い土地に入って、それを取り、主が約束されたとおり、あなたの前から敵をことごとく追い払うことができる。
 
○ヨハネによる福音書 03章01節~06節
 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

○ハバクク書 02章01節~04節
 わたしは歩哨の部署につき
 砦の上に立って見張り
 神がわたしに何を語り
 わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。
 主はわたしに答えて、言われた。
 「幻を書き記せ。
 走りながらでも読めるように
 板の上にはっきりと記せ。
 定められた時のために
 もうひとつの幻があるからだ。
 それは終わりの時に向かって急ぐ。
 人を欺くことはない。
 たとえ、遅くなっても、待っておれ。
 それは必ず来る、遅れることはない。
 見よ、高慢な者を。
 彼の心は正しくありえない。
 しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
 
○ヨハネによる福音書 03章22節~28節
 その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。

○ミカ書 04章04節~07節
 人はそれぞれ自分のぶどうの木の下
 いちじくの木の下に座り
 脅かすものは何もないと
 万軍の主の口が語られた。
 どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。
 我々は、とこしえに/我らの神、主の御名によって歩む。
 その日が来れば、と主は言われる。
 わたしは足の萎えた者を集め
 追いやられた者を呼び寄せる。
 わたしは彼らを災いに遭わせた。
 しかし、わたしは足の萎えた者を
 残りの民としていたわり
 遠く連れ去られた者を強い国とする。
 シオンの山で、今よりとこしえに
 主が彼らの上に王となられる。
 
○ヨハネよる福音書 04章07節~14節
 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
 
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2020」(日本キリスト教団出版局、2019年12月1日発行)より作成