2020年9月13日「イエスの逮捕」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書14章43-50節

 今日の箇所は、ゲツセマネでイエス様が祈られた直後でありました。
 イスカリオテのユダに誘導されて、祭司長、律法学者、そして、長老たちから遣わされた群衆がやって来ました。しかも、彼らは剣や棒を持っていたと、聖書に出ています。
 イエス様を裏切ろうとしていたユダは、いつもゲツセマネの園でイエス様が祈られる場所をよく知っていました。そして、接吻するその人がイエスであると、彼らに伝えていましたので、容易にイエスを逮捕できました。
 そのとき、そこに居合わせた人々のうちのある者が剣を抜いて、大祭司の手下の片方の耳を切り落としました。ヨハネによる福音書には、それは、弟子のペトロが、剣を抜いて、大祭司の手下であるマルコスの耳を切り落としたというふうに出ています(18:10)。
 ペトロは今日の箇所の少し前のところで、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言い切ったのです。しかし、そのペトロもほかの弟子と同じように、イエス様が捕らえられた直後、自分の身の危険を感じて、イエス様を見捨てて、逃げてしまったのです。
 イエス様を裏切ったのは、イスカリオテのユダだけではありませんでした。ほかの十一の弟子たちも皆、イエス様を裏切ったのです(50節)。
 信仰と不信仰は、いつも隣り合わせにあるのです。弟子たちの弱さを自分のこととして受け止めなければいけません。ペトロは、何度も何度も失敗しました。しかし、その度に、神の愛、主イエスの愛に、新しく受けられたのです。