○金 南錫牧師
マルコによる福音書1章29-39節
シモンとアンドレは主イエスから「わたしについて来なさい」と声を掛けられ、二人は網を捨てて従い、主イエスの弟子になりました。しかし、シモンは生活の手段である漁師の網を捨てて従いましたが、家族を捨てたわけではありませんでした。
ある日、シモンの姑が熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話したのです。そして、主イエスがシモンの姑のそばに行って、手を取って起こされると、熱が去りました(31節)。シモンの姑はいやされると、起き上がって、主イエスをもてなして、感謝を表しました。まさにイエス様は、世の主であると同時に、わが家の主でもあります。
35節に「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈られた」とあります。忙しい生活をしている現代人にとっては、夜明けに起きて、祈ることは本当に難しいものです。ところが、イエス様は人に教え、悪霊を追い払い、病を癒すということで、忙しくて疲れていたにもかかわらず、夜明けに祈られたのです。なぜでしょうか。
イエス様には、この世に来られた明確な目的がありました。39節に「そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」とある通りです。
イエス様がこの地に来られた目的どおりに生きることができたのは、日々の初めに、朝早くまだ暗いうちに、ひざまずいて祈り続けたからです。本当に祈りをもって、一日を始めたいものです。