百歳を迎えられて S姉の戦前戦後の回想録

○ぶどうの枝第52号(2020年8月30日発行)に掲載(執筆者:TI・MI)

 佐倉教会員のS姉は、八月二十六日で満百歳の誕生日を迎えられました。百歳を迎えるに当たり、ご本人からお聞きしたことをまとめてみました。
 S姉は、一九二〇(大正九)年に東京府四ツ谷で七人兄弟の末娘としてお生まれになりました。その後、現在の大久保に転居し、戸山小学校を経て、府立第五高等女学校(現在の都立富士高校)に通学されました。女学校時代は、徒歩遠足で足を鍛え、通称「練馬大根の足」と言われるくらい立派でした。
 女学校卒業後は、東京お茶の水のキリスト教精神に基づくYWCA駿河台女学院家政科にご入学。まさにここでの学生生活は、青春真っただ中でした。
 この時代は、日中戦争・太平洋戦争のときでしたが、六歳年上の兄上に感化され、聖書を知り、世界史への関心を強められ、さらに近くにあったYMCAの絵画サークルに参加しました。また、ご自身のいとこの方を通して、後に夫となるYS氏との出会いがありました。
 一九四二(昭和十七)年除隊した六歳年上のYS氏と結婚なさいました。新婚家庭は、小田急線沿線喜多見に持たれました。終戦後は、文京区小石川に転居。Y氏は、虎の門病院耳鼻咽喉科の医師として勤務なされました。
 ご結婚生活では、お子さんに恵まれませんでしたが、趣味として絵画を描き、自動車免許を取って、愛車ブルーバードで、毎日、義雄氏を病院まで送迎をなさいました。送迎の帰り道では、当時出来たばかりの青山のスーパー紀ノ国屋に寄って買い物をしました。
 また、三越特選売り場の主要スタッフとしてブラウス・ワイシャツ等の仕立・販売を行い、自ら、愛車で納品まで行き、自宅でもミシンを踏みながらの生活でした。
 この姿は、戦後日本の新しい女性としての生き方だったのではないでしょうか。
 一九八四(昭和五十九)年クリスマスに淀橋教会で峯野牧師より受洗。六十四歳。
 一九八六(昭和六十一)年、夫Y氏七十二歳で逝去。
 一九八九(平成元)年、佐倉ゆうゆうの里に転居。そこで、里の聖書の会に参加。当時は、K御夫妻が島津先生を支えておられました。
 S姉は、このK兄が妻・S姉の葬儀でのことを詠っています。
 「車椅子を互いに乗り交わす仲良き夫婦、夫は通夜に言葉を失う」と、そのときの情景が忘れられないと……。
 一九九〇(平成二)年佐倉教会に転会。
 今でも、お宅に訪問すると、油絵が幾つも飾られており、世界史年表が貼られています。そして、最愛のご主人Y氏の写真とご愛用だったパイプも。
 百歳まで、自立した生活を守っていらっしゃるのは、健康に恵まれ、ご本人の心の明るさによるものではないでしょうか。そして、神様を見上げる生活を長年続けていらっしゃることにほかなりません。