証し いつも私たちを呼ばれる主 神様の招きに応えたい

○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:SK)

 佐倉教会の皆様、お久しぶりです。現在、八千代聖書教会にて学んでいるSKです。
 愛する佐倉教会の『ぶどうの枝』に原稿を載せさせていただけること感謝いたします。三月に奨励をさせていただく機会をありがとうございました。その中から、私が強く伝えたいと思っていた部分を抜粋させていただきました。二つの御言葉です。
 佐倉教会の歩みを覚えて祈ります。この小さき者のことも祈り覚えていただければ幸いです。
 「それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」[申命記八章三節](新改訳二〇一七)
 この御言葉を読んで私は牧師への召命を確信しました。ある旧約聖書の授業で出会いました。この言葉を読むとすごく自分のことが語られているような気がするんです。「あなたを苦しめて、飢えさせて」。苦しみ、困難さをきっかけとして神様のことをよりよく知るという経験をした私の姿が思い浮かぶのです。「それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」神様の言葉によって、御言葉によって、神様とともに生きるべきであることを語り続けたいという思いが与えられました。神様ご自身が正に私に語ってくださり、私を呼んでくださったと確信しています。神様はいつも語ってくださいます。そのことを私は叫び続けたいのです。
 このような神様から与えられた幾つかの出来事や御言葉によって私は自分の召命を確信しました。これからあと数年間、牧師として仕えていくための学びに全力で向かっていきたいと願います。
 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」[ピリピ人への手紙四章四節~七節](新改訳二〇一七)
 この御言葉は、私が困難の中にあり、行き詰まりを覚えていたときに与えられたものです。どんなに苦しい状況であったとしても、一度立ち止まって、冷静になって、自分のたどってきた道を見ると必ず、うれしいこと、幸せなことがあるはずです。悪いものばかりに目を留めてしまいがちですが、神様がお創りになったこの世界は良いもので満ちあふれています。その良いものを見つめて喜べる者となりたいのです。また、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」この言葉は本当に心に刻まれました。
 神様は、私たちにただ与えるだけではありません。私たちが、神様から与えられる糧、一つ一つに感謝してささげる祈りによって、神様に私たちの願いを知っていただくべきであると書かれています。すると、なんと、私たちの理解を超えた神の平安が私たちの心をキリストにあって守ってくださる。
 神様と共に生きるということはどのようなことでしょうか。聖書を読んでお祈りする。もちろんそうです。しかし、私たちには、神様に願いを伝えることが許されています。ただ受けるのみならず、私たちが神様にリクエストすることができる。私たちと神様の思いが、一方通行ではなく、交互に行ったり来たりする、まさに神様との交わりです。これこそ生きた信仰なのだなと気付かされました。私たちの心の内を神様に知っていただく。このことを大切にしたいのです。そうすることによって、神様が与える一つ一つの出来事の意味をよく考えることができます。私たちが何を求めているかを神様が知っていることになるからです。
 神様は私たちがどうしたいのかを知りたがっている、興味を持っていてくださっているということを心に刻みたいと思います。
 私は、牧師としての働きに神様が呼んでくださったと確信しています。神様は、私たち人間全員のことを愛しています。全員のことを呼んでいます。皆さんお一人お一人のことをいつも呼んでいます。私も呼ばれたし、皆さんも呼ばれています。
 私たちがどうしたいのか、そのことを神様に伝え、そこで何が返ってくるのかを楽しみ、よく味わって生きる者とされたいと思います。その一つ一つの出来事によって、神様は私たちを呼んでいるのではないでしょうか。
 本当に幼い頃からこの教会で育てられ、神様の声を聞いて私がいつも呼ばれていたことに気付くことができました。心から感謝いたします。しばらくの間、他の教会で学ばせていただくこととなっています。毎週お会いすることはできなくなってしまいますが、いつも佐倉教会を覚えお祈りしています。
 私も、神様の招きに応えて、一生懸命学んでいきたいと思います。