2021年6月13日「テラはハランで」

○金 南錫牧師 創世記11章10-32節

 本日の聖書箇所の創世記11章10節以下は、「セムの系図」が記されています。この系図には、セムからテラまで十代の名前が載せられています。最初のセムという人は、ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤフェトの長男に当たる人物です。このセムの子孫の中でも、「テラ」の家族のことが、27節以下に詳しく記されています。「テラ」はアブラムの父で、このアブラムから出る子孫がイスラエル民族となり、イスラエル民族から、救い主イエス・キリストが誕生するのです。

 テラの息子ハランはロトをもうけますが、父のテラより先に死にました。テラはそのことがショックだったからでしょうか、孫であるロトと、もう一人の息子アブラム、そして、アブラムの妻サライを連れて、故郷カルデアのウルを離れます。

 聖書にこう書いてあります。31節です。「テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。」もともとテラがその家族とともに住んでいたのは「カルデアのウル」という現在のイラクにある場所でした。そこからカナンの地に向かって出て来たのに、途中のハランというところでとどまってしまいました。

 昔から、テラは「中途半端な信仰の人」と理解されて来ました。彼は偶像を仕える町カルデアのウルから離れて、ハランまでは頑張って来ました。しかし、カナンという目的地まで行かず、途中で諦めてしまったのです。「テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ」という言葉の中にはそういう意味が込められています(32節)。私たちの信仰生活も、中途半端で終わってしまうのではなく、天に召されるまで、信仰の歩みを全うしていけますように祈り願います。

2021年6月6日「天まで届く塔」

○金 南錫牧師 創世記11章1-9節

 本日の聖書箇所には、この世界に多くの言語があるのは何故か、という人間の素朴な疑問に答えようとするところでありますが、そこには、深い意味が隠されています。1節に「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」とあるように、人々は同じ言葉を使い、広い一つの場所に住むようになりました。そして「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた」とあります(2節)。

 バラバラであった人々が一つの場所に集まって、共に力を合わせて生きるようになりました。さらに、彼らは「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言いました(4節)。天とは神がおられる場所のことを象徴します。ですから、神がおられる高さにまで到達しようとすることは、人間が自分自身を神の座に据えようとすることで、人間の高慢さを表しています。

 神様は、自分たちの能力や知恵で、自分たちの高い塔を建てようとした人々を散らされました。そのために、彼らの言葉を混乱させたのです。「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」(8節、9節)。

 バベルの地には、完成しない中途半端な塔がきっとしばらくの間は、残っていたことに違いありません。また、バベルの人々は中途半端なバベルの塔を見る度に、神なしの世界を作ろうとした時に起こった自分たちの惨めな姿に気付かされたのでしょう。人間が世界の主人公であることを明らかにしようと思って作ったバベルの塔でしたが、完成しなかったバベルの塔は、世界の主人公は神であることを明らかにするシンボルになりました。

5月30日「すべての民族」

○金 南錫牧師 創世記10章1-32節

 ノアの息子たちはセム、ハム、ヤフェトの3人でした。そして、洪水の後、彼らに息子が生まれ、地上に広がっていくのですが、2節から5節まではヤフェトの子孫について、6節から20節まではハムの子孫について、最後の21節から30節まではセムの子孫について書いてあります。

 その中、「セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラムであった」とあります(22節)。セムから5人の息子が生まれました。そして24節以下に見ますと、「アルパクシャド」から「シェラ」が生まれ、「シェラ」から「エベル」が生まれました。その「エベル」から「ペレク」と「ヨクタン」が生まれ、ヨクタンには13名の息子が生まれました。

 ところが、「ペレク」以後の子孫については書いてないのです。けれども、創世記11章10節以降で「セムの系図」が再開され、その中に「エベル、ペレク」の系図が出ていて、その系図の果てにイスラエルの先祖であるアブラハムの名前が現れるのです。そのアブラハムからイサクが生まれ、ずっと後にはメシアであるイエス・キリストまで繋がっていくのです。つまり、聖書はセムの子孫からメシアが出てくることを示しているのです。

2021年5月23日「祝福の後に」

○金 南錫牧師 創世記9章18-29節

 「ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った」(20節)。洪水のために何もかもが一変した大地に立ったノアは働き始めました。それも、ぶどう畑を作ったのです。ところが、「あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」のです(21節)。酔って裸になったのか、裸で酔ってしまったのか、分かりませんが、ノア自身、思わぬ失態を演じてしまったのでしょう。

 ノアの息子の一人、ハムが、裸になっていた父親を見つけます。そして、そのことを外にいた二人の兄弟セムとヤフェトに告げ口をしたのです。そこでセムとヤフェトは、父親の着物を自分たちの肩にかけ、後ろ向きで歩いて近付きました。つまり父親の裸を見ないようにしながら近づいて、父親の裸を着物で覆いました。酔いから醒めたノアは、セムとヤフェトに祝福の言葉を述べますが、ハムの息子であるカナンについては呪いの言葉を述べます(25、26節)。

 ノアが酒により裸になっていた酔態は、601歳が過ぎた晩年の時でした。聖書は、神と共に歩んだノアの晩年の大失敗を記すことをためらいません。では、どうすればよいのでしょうか。それは、聖霊に導かれて、救いの岩なる主イエス・キリストに錨をおろし、主と共に歩むことではないでしょうか。

2021年5月16日「虹の契約」

○金 南錫牧師 創世記9章1-17節

 ノアとその家族が箱舟から出て、最初にしたことは祭壇を築いて、主なる神を礼拝することでした。そして、その礼拝から新しい歩みを始めたノア一家に対して、神様がお与えになったのは、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という祝福の言葉でした(1節)。

 また、神様は「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」と言われました(13-15節)。どんな強い雨が降った後でも、雨上がりにはよく虹がかかります。その虹は、単なる自然現象ではなくて、神とノアたちとの契約のしるしでありました。

 私たちもノアの洪水のような、すべてが滅び、意味がなくなるような経験をすることがあります。しかし、洪水のあとに、神様はなお私たちを憐れみ、生きる希望と力を与えてくださいます。

 

2021年5月9日「箱舟から出て」

○金 南錫牧師 創世記8章6-22節

ノア一家が箱舟から出たのは、まる一年と十日経ってからのことです。ノアが箱舟の覆いを取り外して外を眺めました(13)。その時に、主なる神はノアに、家族「皆一緒に箱舟から出なさい」、動物たちも船から連れ出し、これから地に群がり、地上で新しい命を産み、増え広がるようにしなさいと命じられました(16、17)。「そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外に出た」とあります(18)。ノアは、箱船を造る時も、箱船に入る時も、箱船から降りる時も、すべて神の御心に従いました。

では、その神への服従という信仰を持ったノアが、箱舟から外に出て最初にしたことは、何だったでしょうか。「ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた」とあります(20)。即ち、外に出て最初にしたのは、礼拝でした。ノア一家の新しい出発は礼拝から始まったのです。私たちには主の日の礼拝から新たな一歩を始める幸いが与えられています。私たちは、礼拝をささげることによって、自分の心を見つめつつ、主からの赦しを祈りつつ、新しい一歩を歩むことができます。

2021年5月2日「御心に留めて」

○金 南錫牧師 創世記7章17-8章5節

 「洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ」(17節) 。洪水は次第にすべてのものを飲み込んでいきます。その中で、ノアの箱舟は、洪水の水があふれればあふれるほど、より高く浮かびます。

  8章1節に「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた」とあります。この箱舟には、行く先というものがなく、ただ大水の中に漂っているだけでした。しかし、神様はこの洪水の中に、ノアとその箱舟にいたすべてのものを「御心に留めて」いてくださいました。そして、「百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった」とあります(3、4節)。次第に水はひいて、ノアの箱舟はアララト山の頂に止まりました。ノアは何もできませんでした。ただ彼は、洪水の中で、この箱舟を御心に留めてくださる方がいるということを信じて、箱舟の中に踏み止まっただけです。そして、気がついたら、箱舟はアララト山の頂に着いていたのです。信仰生活も同様です。試練の中で、私たちを見守ってくださる方がいるということを信じて、また、信じるから待つのです。そして、あるとき気がつけば、今まで見たことがない高い世界に引き上げられている。これが私たちの信仰生活ではないでしょうか。

2021年4月25日「神が閉ざされ」

○金 南錫牧師 創世記7章1-16節

  本日の聖書箇所は、有名な「ノアの洪水」と呼ばれるところです。この洪水のことを、今日の11節に「ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日」という具体的な日付とともに、「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」というふうに書かれています。すでに6章で見ましたように、この洪水は神の裁きでありました。地上に人の悪が増していて、人は常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になった神様が、地上に人を造ったことを後悔しました。そして、地上のすべてのものを滅ぼすことを決意なさったことによって起こった出来事、それが「ノアの洪水」であります。しかし、神様はその世代の中で、ノアを救いの担い手として選び出しました。

  1節に神様はノアに「あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい」と命じておられます。ノアはこの神の命令を真剣に受け止めて従っていきます。「ノアは、すべて主が命じられたとおりにした」とある通りです(5)。そして、ノア一家と動物たちが箱舟に入った後、「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」のです(16)。今日の私たちもノアの箱舟に入った者として、私たちの後の戸を、主がしっかりと閉じてくださり、コロナ禍の中にも、私たち一人一人を守ってくださるように、祈り願います。

2021年4月18日「箱舟を造り」

○金 南錫牧師 創世記6章9-22節

  アダムとエバが、エデンの園から追放された以来、この地は神の前に堕落し、不法に満ちていました。その世代の中に、ノアだけは神に従う無垢な人であり、神と共に歩んでいました(9)。そこで、神はノアに言われました。「見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい」(13-14)。箱舟は「長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマ」の3階建ての船であります(15)。1アンマは肘から中指の先までの長さで、約45センチです。そうすると、長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルとなります。

 当時、ノアの家族はこのような箱舟を造るには、どのくらいの期間がかかったのでしょうか。また、この世界が全部沈んでしまうような大洪水が、果たして起こるのか、常識では考えられないということで、誰も相手にする人はいなかったのです。その中、ノアの三人の息子とその妻たち、そして、ノア夫婦、8人だけで巨大な箱舟を造っていきました。山の森の中に大きな船を造っているノア一家は、おそらく世の笑いものになっていたのでしょう。しかしノアは神の言葉に従いました。ノアは、大洪水をもって、世界に満ちた悪をすべて滅ぼすという神の決意を真剣に受け止めたのです。

2021年4月11日「しかし、ノアは」

○金 南錫牧師 創世記6章1-8節

 「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(5、6) ここで「悪」とは、アダムとエバ、カインとアベルのところに出てくる人間の悪、また、カインの子孫レメクの復讐心などのことを指しています。さらに、今日のところに出てくる「神の子ら」と「人の娘たち」による「ネフィリム」が産まれたことをも指していると思います。このように、人の悪は地に増していました。また、人は常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になった神様は、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛めました。なお、7節に「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」とあるように、人間の悪は神に創造主としての業さえも、後悔させ、心を痛ませるほどに重いものでした。そのようにして、大洪水を起こされるのです。

 「しかし、ノアは主の好意を得た」とあります(8)。神様は一人の義人、ノアを心に留めておられるのです。そして、ノアを救いの器として選び出し、新しい創造を始められるのです。時が良くても、悪くても、最善を為さる神を信じ、その神にすべてをゆだねて、神と共に歩んでいこうではありませんか。