2021年6月6日「天まで届く塔」

○金 南錫牧師 創世記11章1-9節

 本日の聖書箇所には、この世界に多くの言語があるのは何故か、という人間の素朴な疑問に答えようとするところでありますが、そこには、深い意味が隠されています。1節に「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」とあるように、人々は同じ言葉を使い、広い一つの場所に住むようになりました。そして「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた」とあります(2節)。

 バラバラであった人々が一つの場所に集まって、共に力を合わせて生きるようになりました。さらに、彼らは「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言いました(4節)。天とは神がおられる場所のことを象徴します。ですから、神がおられる高さにまで到達しようとすることは、人間が自分自身を神の座に据えようとすることで、人間の高慢さを表しています。

 神様は、自分たちの能力や知恵で、自分たちの高い塔を建てようとした人々を散らされました。そのために、彼らの言葉を混乱させたのです。「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」(8節、9節)。

 バベルの地には、完成しない中途半端な塔がきっとしばらくの間は、残っていたことに違いありません。また、バベルの人々は中途半端なバベルの塔を見る度に、神なしの世界を作ろうとした時に起こった自分たちの惨めな姿に気付かされたのでしょう。人間が世界の主人公であることを明らかにしようと思って作ったバベルの塔でしたが、完成しなかったバベルの塔は、世界の主人公は神であることを明らかにするシンボルになりました。