2024年3月17日「ムナのたとえ」

○金 南錫牧師   ルカによる福音書19章11-27節

ある立派な家柄の主人は、自分が遠い国に行って、不在の間に、十人の僕に一ムナずつ渡したのです。そして、主人が帰ってくると、僕たちを呼んで、どれだけ利益を上げて増やしたかを調べるのです。一つ目の僕は一ムナを十ムナにしました。二人目の僕は一ムナを五ムナにしました。しかし、三番目の僕は一ムナを布に包んでそのままにしておきました。この僕は、託されたムナを用いることをしませんでした。だから、取り上げられてしまうのです。

この一ムナを巡って、ある方は信仰だと言います。またある方は愛だと言います。また命だという人もいます。神様から等しく与えられた一ムナ、それは信仰であったり、愛であったり、命であったりそれぞれ言えると思います。しかし、何よりも私たちに等しく託された一ムナは「聖書の言葉」ではないかと思います。その聖書の言葉をどう用いていくのか、それが問われているのです。そして、私たちはその聖書の言葉によって生かされています。何があっても、この聖書の言葉を大切に用いて行きたいと思います。