2019年12月22日「クリスマスの困惑」

○金 南錫牧師 マタイによる福音書1章18節-2章3節

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う最も喜ばしい時です。しかし、どうでしょうか。私たちが生活している現代の社会は、愛と平和、希望に満ちているのでしょうか。
 今年も、悲しい出来事が日本中、世界中で数々ありました。実に、聖書におけるイエス様の誕生も、喜びの中で迎えられたのではなく、とんでもない不安と困惑の中で受け止められたことを語っています。
 ヘロデ王はユダヤに新しい王が誕生したしるしである星を見て、その王を拝むためにユダヤにやってきたという東方の学者たちのことを耳にして、大きな不安に襲われました。そして、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺させたのです。
 しかし、ヨセフはどうだったのでしょうか。婚約者マリアの妊娠を知ったとき、ヨセフはがく然とし、不安と困惑に襲われたに違いありません。ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心したのです。
 ところが、ヨセフは夢を見ました。夢の中で、主の天使により、神の御言葉を聞いたのです。そして、ヨセフは神の御言葉を信じ、妻マリアを御言葉通り受け入れることによって、ヨセフもクリスマスを担う一人となったのです。