2019年6月16日「医者と病人」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書2章13-17節

 私たちの信仰生活には、神様を見失い、繰り返し、間違った場所で探していることはないでしょうか。そのとき、自分の頑なさに蓋をして、どんなに周りを探してみても、あまり役に立ちません。神様を見失った場所で探さなくてはいけません。
 本日の聖書箇所は、神様を見失った人の話です。神様から離れ、心頑なになってしまった人のお話です。それは、徴税人や罪人のことではありません。ファリサイ派の律法学者たちのことです。
 イエス様は収税所に座っているレビを見かけて「わたしに従いなさい」と言われました。すると、レビは立ち上がって、すぐに主イエスに従ったのです。イエス様の招きに応えて弟子となったレビの家で、イエス様は弟子たちと多くの徴税人や罪人と共に食事の席に着かれました。彼らは当時、ユダヤ社会を根底から支えていた律法を守ることができず、不品行な生活を行っていると見なされました。
 この人たちがイエス様と一緒に食卓を囲んでいるということは、ファリサイ派の律法学者たちにとっては、理解しがたいことでした。そして、弟子たちに「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と責めます。
 この批判に対して、イエス様は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えます。
 ファリサイ派の律法学者たちは、自分たちにこそ主イエスが必要であるということに、気付かないのです。彼らは神を見失いました。神様にとって、正しい人は一人もいないのです。人間はその事に気づかないので、律法学者のように、文句を言いたくなってしまうのです。自分が罪人であることを分からないからです。
 私たちは、もう一度、罪人を招くために来られた主の慈しみと恵み、その愛を覚えたいものです。

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