2022年1月23日「ヤコブの脱走」

○金 南錫牧師   創世記31章1-21節

 創世記の31章に入りました。ヤコブが多くの財産を所有するようになって、ラバンの息子たちは「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」と言いました。また、ヤコブはラバンの態度も、以前とは変わっていたことに、気づきました。その時、主なる神様はヤコブに「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる」と告げます(3節)。このことはすでに、ヤコブの心にあった思いでしたが、神様はさらにはっきりと今がその時だと示されました。ヤコブは家族を連れてラバンのもとを出て行こうと、決意を固めました。

 ヤコブは二人の妻、ラケルとレアを家畜の群れがいる野原に呼び寄せて、自分の決意を伝えます。5節以下にヤコブが妻たちに「最近、気づいたのだが、あなたたちのお父さんは、わたしに対して以前とは態度が変わった。しかし、わたしの父の神は、ずっとわたしと共にいてくださった。あなたたちも知っているように、わたしは全力を尽くしてあなたたちのお父さんのもとで働いてきたのに、わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった」と言って、今まで妻たちに秘密にしていたことを明かしたのです。しまのやぎ、ぶちのやぎが増えて、ヤコブを富ませた不思議な業は、主なる神が夢の中で教えてくださったとおりに従って得た報酬であると妻たちに知らせました。ヤコブは自分に注いでくださった神の恵みを妻たちに証してはっきりと、神様が命じられた御言葉を告げました。

 これを聞いた妻たちは、15節、16節に「わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください」と言って、ヤコブの決断を支持しました。こうして、ヤコブは家族を連れて、ラバンのもとで手にしたすべての財産を携えて、父イサクのいるカナンの地を目指して出発します(18節)。最後の20節に「ヤコブもアラム人ラバンを欺いて、自分が逃げ去ることを悟られないようにした」とあるように、ヤコブはラバンに気づかないようにして、ラバンのもとから脱走します。

 今日のところから、神様が定めてくださる時があることが分かります。30章25節で、ヤコブは自分の思いから「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください」とラバンに願い出ましたが、31章3節で、主なる神が「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる」と言ってくださるのです。神様は御言葉を通して、ヤコブに一番、良い「時」を備えてくださったのです。

2022年1月2日「み手にゆだねて」

○金 南錫牧師   創世記29章31-30章24節

神様はレアが疎んじられているのを見て、レアの胎を開いてくださいます(29:31)。そして、レアは四人の男の子を生むことになります。一方、ラケルは、自分には一人の子供もいないために、姉を妬むようになりました。そして、ラケルは自分の女奴隷ビルハによって、子供を得ようとして、二人の男の子を与えられます。姉レアのほうも、女奴隷ジルパによって、二人の男の子を与えられます。その後、恋なすびの取引によって、二人の男の子と一人の女の子が与えられ、レアには9人もの子供たちが与えられました。

一方、ラケルは姉だけが祝福されていると思い、その苦しい思いを神様に訴え、神の助けと憐れみを祈り求めました。そのラケルのことを御心に留めておられた神様は、ラケルを通して、ヨセフが生まれるようになります。ここまで見ると、神様はレアとラケルのことをご覧になっておられました。29章31節には「主は、レアが疎んじられているのを見て」、30章22節には「神はラケルも御心に留め」とあります。同様に、神様は私たちのことも覚えてくださるのです。2022年、祈りを持って、すべてを神の御手にゆだねていくとき、神様は私たちを支え、導いてくださるのでしょう。

2021年12月26日「ほんの数日のように」

○金 南錫牧師   創世記29章1-30節

 ヤコブは旅を続けて、母リベカの故郷ハランの地までやってきました。そこで彼は、最初に井戸のところに向かいます。そこにラケルがやって来ます。ヤコブはラケルに、自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子であることを打ち明けて、ラバンの家に招かれます(12、13節)。ヤコブがラバンの家に来て、一か月ほど経って、ラバンがヤコブにどんな報酬が欲しいか尋ねられ、ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」と申し出ます(18節)。ラバンはこの申し出を受け入れて、ヤコブは七年間ラバンに仕えます。「ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた」(20節)。この言葉には、ラケルと結婚できる喜びに胸をふくらませているヤコブの姿を伺うことができます。

 ついに約束の七年が経ちました。ところが、ラバンは「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ」と言い、もう七年間仕えることを求めたのです(27節)。ここまでの出来事をみると、人生は計画した通りにはなかなかいかないものであることが分かります。しかし、そのような試練に対して、どうやって受け止めるのか、その姿勢が大切です。絶望して落胆すると、試練に陥ってしまいますが、信仰によって祈って、希望を失わない限り、いつかは良い日を迎えることができるのです。

2021年12月19日「さあ、ベツレヘムに行こう」

○金 南錫牧師  ルカによる福音書2章1-20節

 救い主の誕生は、最初に貧しい羊飼いたちに知らされました。彼らは羊の群れと一緒に、町の外で野宿をしていました。また、礼拝をする安息日にも、羊の番をしなければならなかったので、みんなから、羊飼いたちは救いから遠いと思われていました。その羊飼いたちに、天使たちが現れ、こう告げます。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(10-11節)。羊飼いたちは「あなたがたのために」この言葉がとても嬉しかったでしょう。自分のことを見てくださるお方がおられることで、本当に嬉しかったと思います。

 天使たちの知らせを聞いた羊飼いたちは、立ち上がりました。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」この言葉を聞いて、立ち上がったのです。そして、「さあ、ベツレヘムに行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合ったのです(15節)。では、今日のベツレヘムはどこでしょうか。御子キリストがおられる場所です。御言葉が語られる場所です。そこに教会があります。

2021年12月12日「天からの階段」

○金 南錫牧師  創世記28章10-22節

 兄エサウが殺意さえ抱いていることを知ったヤコブは、エサウの怒りが治まるまで、母リベカの故郷に逃れることになります。「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった」(10節)。ヤコブはいよいよハランの地へと旅立ちました。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことになったのです。近くにあった手ごろな石を取って、それを枕にして、横たわりました。石を枕とする自分自身を見ながら、さすがのヤコブも、自分の失敗や過ちに少しは目を向けていたかもしれません。神様はヤコブに、一つの夢を見せられました。天まで達する階段が地に向かって伸びていて、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしているのです。また、神様がヤコブの傍らに立って、こう言われました。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(15節)。眠りから覚めたヤコブは、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」と言いました(16節)。ヤコブは一人孤独な旅に出ることになった時に、初めて神様に出会うことができたのです。

2021年12月5日「ヤコブの逃亡」

○金 南錫牧師  創世記27章30-28章9節

 エサウはおいしい料理を作って、お父さんのところへ持って来ます。そして「わたしのお父さん。あなた自身の祝福をわたしに与えてください」と言いました(30節)。ところが、イサクから「お前は誰なのか」と言われてしまいます。そこでイサクは初めてヤコブに騙されたことに気付きました。しかしイサクは、ヤコブに与えた祝福を取り消そうとしませんでした。むしろ、神の介入に対して恐れおののいたイサクは激しく体を震わせて「…実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている」と言っています(33節)。ここでイサクは、神の選びというのは、神様がお決めになることをはっきりと知りました。

 一方で、祝福を奪われたエサウは激しく泣きました。「祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください。わたしのお父さん」と叫んで、懇願しました(38節)。それでも、イサクはヤコブへの祝福を変えることはしませんでした。騙されたことをわかったエサウは怒り狂って、ヤコブを恨み、殺そうとしました。そのことを知った母リベカはヤコブの命を救うために、彼女の兄ラバンのところに逃れさせようとしました。ヤコブの逃亡の始まりです。

2021年11月28日「祝福を奪い取ったヤコブ」

○金 南錫牧師  創世記26章34-27章29節

 イサクは年をとり、目がかすんできました。そこで長男のエサウを呼んで、最後の祝福を与えようとしました。ところがリベカは、次男のヤコブに祝福を受けさせようと策略を巡らします(5-17節)。ヤコブは母リベカに言われた通りに、エサウの晴れ着を着て、毛皮をまとって、美味しい料理をもって、お父さんのところに行きます。

 ヤコブが「長男のエサウです。どうぞ、わたしの獲物を召し上がり、祝福を与えてください」と言います。イサクはその息子を近寄らせて、「触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい」と言いました。イサクは触りながら、「声をヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ」と言い、もう一度、「お前は本当にわたしの子エサウなのだな」と問うと、「もちろんです」とヤコブは答えます。ここに、うそや偽りなど、ヤコブが犯した間違いがありました。こうして、父親を欺いたヤコブが、神様の祝福を受けることになりました。

2021年11月21日「イサクの生き方」

○金 南錫牧師  創世記26章1-33節

  イサクは飢饉に遭い、約束の地カナンを出て、豊かなエジプトに逃れようとしました。その時に、神様はイサクに現れて、ゲラルの地に寄留することを命じました。また、「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」と約束されます(4節)。この約束に励まされて、イサクはエジプトには行かないで、ゲラルの町に滞在することになります。

  イサクはゲラルの町で非常に「豊かになり、ますます富み栄える」ようになります(13節)。ところが、ゲラルの王アビメレクは、イサクがどんなに嫌がらせを受けて、井戸を奪われても、別の場所に移って、黙々と井戸を掘り続けた姿を見ていました。そして、ますます栄えていく様子を見ていたのです。アビメレクは、神がイサクと共におられることをよく分かったのです。それで、平和条約を結ぶことを申し出ます。イサクはその申し出を受け入れて、契約を結びました。ここに争わずに、忍耐をもって、平和を実現するイサクの生き方が示されています。

2021年11月14日「なぜ、ヤコブなのか」

○金 南錫牧師  創世記25章19-34節

 イサクの妻リベカは身ごもりました。先に出てきた子は「赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので」、エサウと名付けられました。一方その後に出てきた子は、先に出て来たエサウのかかとをつかんでいました。その様子から、「ヤコブ」と名付けられました。

 ある時、エサウが疲れきって野原から帰って来た時、弟ヤコブは天幕の中でレンズ豆の煮物をしていました。エサウはヤコブの煮ているうまそうな煮物を見るや否や、「そこの赤いものを食べさせてほしい」と要求します。それを聞いてヤコブは、すかさずこう言いました。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください」(31節)。兄が持っている長子の権利と引き換えるなら、この煮物を与えると条件を出しました。エサウは「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」と答え、長子の権利をヤコブに譲ってしまいました。こうして、アブラハム、イサクと引き継がれていった神の祝福は、兄エサウではなく、弟ヤコブの方に流れていきます。

 しかし、ここで人によっては「なぜ、ヤコブなのか」と疑問を持つ人もいます。23節に「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる」とあります。この時、エサウもヤコブもまだ生まれていないのですから、エサウの何かが悪く、ヤコブの何かが良いという以前のことです。この時既に、神様は弟ヤコブが祝福を受けるようになることを語られました。ここに「神様の一方的な選び」というものがあります。