2023年10月22日「礼拝の本質」

○金 南錫牧師 レビ記1章1-4節

1節から4節まで最も多く出てくる言葉があります。それは「ささげる、献げ物」という言葉です。「あなたたちのうちの誰かが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる」(2-3節)。ここで、4回も「献げ物、ささげる」という言葉が出て来ます。ここで気づくのは、礼拝は受けることではなく、献げるということなのです。

3節を見ると、「牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる」とあります。「無傷」ということは、体に何の異常もない完全なものを指しています。ところが、無傷のものを探すのは、易しいことではありません。ですから、献げ物を献げる人は時に苦労しなければなりません。傷のないものを見つけるためには、努力しなければなりません。目に触れるどんな牛でも引いて行けばよい、ということではなく、献げ物を慎重に選んで、心をこめて献げなげればならないのです。つまり、礼拝者の精一杯の献身が求められていたのです。