2019年12月1日「口先と心」

○金 南錫牧師 マルコ7章1-23節

 ユダヤ人が外の汚れから身を清めることに懸命であったのに対し、イエス様は人を汚す汚れは私たちの内にある、心にあると指摘されたのです。
 また、イエス様は「人間の心から、悪い思いが出てくるからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と言われます(21-23節)。
 ここで、人間の心から出てくる悪い思いを自分に当てはめてみると、どうでしょうか。どれも私たちの罪の心から出てくる悪です。イエス様はここで、人間はみな罪人なのだと宣言されたのです。聖書は、すべての者は罪を犯していると言っています。
 しかし、それで失望するのではなく、そのような私たちであるからこそ、テサロニケの信徒への手紙一4章7節に「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです」と言ってくださっているのです。私たちは聖なる生活のために、日々自分の罪を認め、悔い改めなければなりません。