○ぶどうの枝第50号(2019年6月30日発行)に掲載(執筆者:MO)
徳島に住んでいた父が昨年三月に亡くなり、遺品の整理をしていた弟が「道子からの手紙」と書いた箱を送ってくれました。父が保管していたもので、病気をした私が父に出した手紙やその手紙を受け取ったときの父の気持ちが書かれたメモが入っていました。
その中に島津先生からの手紙もあり、父が私のことを心配して島津先生に様子を尋ねて出した手紙のお返事が何通もありました。手紙のことは初めて知り、父がどれほど私のことを心配してくれていたかを想像でき、涙が出ました。
病気の私を父が心配してお薬だけでは治らないと、当時のJR佐倉駅前にあった電話BOXに置いてある電話帳で日本基督教団佐倉教会を調べ、島津先生にアポイントを取りました。私の嫁ぎ先が代々続いた田舎の家でしたので(当時主人の祖父母も健在でした)、義父母に宗教の自由は憲法で定められているので教会に連れていきます、と言い、私を佐倉教会に連れていってくれました。
父の名前は神戸三宮教会の牧師先生がつけてくださり、小学校六年間日曜学校は一度も休んだことがないと話してくれたことがありました。父は、カトリック系の六甲学園旧制中学三年生のとき、神戸が空襲で焼けてしまったため、父親の里である徳島の山間部に疎開しました。それから徳島で過ごし、教会生活から離れてしまいました。しかし、私が病気になったことで神様を思い出してくれました。
島津先生は私の様子を知らせてくださり、父にも教会に通うよう勧めてくださっていたようです。私は田舎の長男の嫁ということで、洗礼を受けることは考えていませんでした。無理だと思ったからです。しかし、島津先生が家族の文化を大切に敬い共存していけば、神様が良い時により良いようにしてくださいます、と導いてくださり、気がつくと本当に私も洗礼を受けることができました。
父は亡くなる一年前くらいから寝たきりに近い生活になっておりましたが、詩編の写真集や聖書の言葉に慰められていたことが亡くなってから分かりました。島津先生がいつもご両親はお元気ですか、と聞いてくださっていたのですが、こんなことがあったとは知らず、島津先生には感謝の気持ちで一杯です。
その後、母の転会と共に、金先生、役員の方々の御理解をいただき、召天者礼拝では父も名前を読み上げていただきました。父と佐倉教会を訪ねたときには、将来このような日が来ることを想像もしておりませんでしたが、すべては神様の御計画だと思いました。島津先生がお元気でしたら、とても喜んでくださったのではないかと残念に思います。
箱の中には会堂建築会計のKTさんからの領収書と献金に対するお礼のお手紙がありました。懐かしいTさんのお名前に、長い年月が過ぎたことを実感しました。島津先生、本当にありがとうございました。