○金 南錫牧師 ルカによる福音書15章25-32節
弟息子は失われた息子でした。財産を相続して遠い国に行って、そこで放蕩の限りを尽くして、全財産を使い果たしてしまったのです。ところが、兄息子はどこにも出かけてないのです。ずっと父親の家で真面目に働いて来ました。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」(27-28節)
この兄息子が言っていることは分からないわけではありません。正しいことを言っていると思います。私たちは放蕩を尽くした弟息子よりも、兄息子のほうに似ているかも知れません。正しい自分は真面目に父親に仕えて来たあの家出した弟息子とは違うということを言いたいのです。この兄息子に、父親は「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と言うのです。父親のすぐ近くにいるのに、その父の愛が分かりませんでした。この意味で、兄息子は父から遠く離れた失われた息子でした。