○金 南錫牧師 詩編23編1-6節
この詩編は、私の羊飼いである神様を信じて生きる生涯が、どれほど恵みに満ちたものであるかを教えています。この詩の冒頭に「賛歌、ダビデの詩」と書いてあります。ダビデは旧約聖書の時代の王様であり、元々は羊飼いをしておりました。その経験を通して、羊飼いと羊の関係はまさに、神様と自分との関係に通じるところがあると思ったのです。
1節、2節に「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い」とあります。羊にとって「青草の原、水のほとり」は、日々、不可欠なものです。では、私たち人間にとって不可欠なもの、それは何でしょうか。聖書には「人はパンだけでは生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と記されています。その意味で、主なる神は人を日々、聖書の言葉を持って導いてくださるのです。
3節、4節に「魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」とあります。羊飼いである主が先頭に立って、迷いやすい私たちを「正しい道に導かれる」のです。また時として、「死の陰の谷」を通るような試練の時があるかもしれません。そのような試練があっても、「わたしは災いを恐れない」のです。なぜなら、羊飼いである神がいつも共にいてくださり、守り導いてくださるからです。