随想 委ねるとは 一輪の花に教えられて

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:FI)

 「神様に全てをお委ねします」と簡単に祈ってしまう自らの無知と愚かさに、はっと気付いたときがありました。
 慌ただしく過ごしていたある夏の日、庭に咲く一輪の花に目が留まりました。少しの風に揺れて、花びらは気持ち良さそうに、風に弄ばれているように、自然体で喜んでいるようにさえ見えました。
 明日はしおれてしまうこの瞬間をこの花は花びらを精一杯広げ、無心に咲き続けている姿に感動したのです。そしてこんなにも美しく咲かせてくださっている神様のみ業の気高さの前に我が身を恥じました。
 まず自らの思いや考えを優先して、その後で「お委ねします」と祈る不遜な私に、一輪の花は気付きを与えてくれました。
 置かれたありのままの状況の中で、何も考えず、意志も感情も全くなくした心の状態をつくることができたら、それが「委ねる」ことなのだと感じました。私もあの花のように、精一杯無心な心で咲ききりたいと願いました。
 「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(マタイによる福音書六章二九、三〇節)
 「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」(士師記一八章六節)