○金 南錫牧師 創世記40章1-41章13節
今日の箇所には、牢獄の中で、ひたすら忍耐の日々を送るヨセフの姿が記されています。ヨセフは給仕役の長の夢を解き明かしたのち、彼に「あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください」と切実に願いました(14節)。しかし、ヨセフの解き明かしの通り、給仕役の長はもとの職務に復帰しましたが、彼はヨセフのことをすっかり忘れてしまうのです。つまり、ヨセフはさらに二年間、牢獄の中に置かれたのです。それが41章1節の「二年の後」という言葉で分かります。
この間、ヨセフはどういう日々を送ったのでしょうか。牢獄の中で2年という長い期間を過ごしながら、ヨセフであったとしても、厳しい状況であったと思います。しかし、この時、ヨセフは主が共にいてくださるという信仰を失いませんでした。創世記41章16節に、ヨセフがファラオの夢を解き明かした時、「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです」とあります。ヨセフはファラオの前で、直ちに神に対する信仰を告白したのです。ヨセフは牢獄の中にいても、決して自分を見捨てないで、共にいてくださる神に信頼して、忍耐をもって、生き続けようと努力したのです。