私の好きな讃美歌 四九三番「いつくしみ深い」

○ぶどうの枝第62号(2025年6月29日発行)に掲載(執筆者:YT)

 いつくしみ深い 友なるイエスは
 うれいも罪をも ぬぐい去られる。
 悩み苦しみを かくさず述べて、
 重荷のすべてを み手にゆだねよ。

 いつくしみ深い 友なるイエスは
 われらの弱さを 共に負われる。
 嘆き悲しみを ゆだねて祈り
 つねに励ましを 受けるうれしさ。

 いつくしみ深い 友なるイエスは
 愛のみ手により 支え、みちびく。
 世の友われらを 捨てさるときも
 祈りに応えて なぐさめられる。
      *
 私が初めて行った教会の礼拝で賛美した曲で、以前から好きな讃美歌です。そのときの様子を今も感慨深く思い出します。
 一九九五年、夫の転勤先の静岡で受洗し、礼拝や結婚式、葬儀等、様々な場面でこの曲をたくさんの人々と賛美する機会が与えられました。
 その都度心が癒やされ、喜びは増し、悲しみや苦しみは軽減され、心に安らぎと平安が与えられてきました。
 心が騒ぎ不安を感じる弱さの中にいるときも、楽しく幸せなときにも自然と口ずさんでおります。
 詩や旋律に神様の深い愛といつくしみを感じ、困難な中にあっても、乗り越える勇気を与えられ感謝です。
 「重荷のすべてをみ手にゆだねよ」と口ずさみ安らぎを得ております。
 神様が私に信仰を与えてくださいました恵みを深く感謝し、賛美しております。

2025年7月の主日聖書日課から

7月6日
○申命記26章1-11節
 あなたの神、主が嗣業の土地として得させるために与えられる土地にあなたが入り、そこに住むときには、あなたの神、主が与えられる土地から取れるあらゆる地の実りの初物を取って籠に入れ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所に行きなさい。あなたは、そのとき任に就いている祭司のもとに行き、「今日、わたしはあなたの神、主の御前に報告いたします。わたしは、主がわたしたちに与えると先祖たちに誓われた土地に入りました」と言いなさい。祭司はあなたの手から籠を受け取って、あなたの神、主の祭壇の前に供える。
 あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。
 「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」
 あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏し、あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。

○マタイによる福音書5章21-37節
 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

7月13日
○イザヤ書49章14-21節
 シオンは言う。
 主はわたしを見捨てられた
 わたしの主はわたしを忘れられた、と。
 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
 母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
 たとえ、女たちが忘れようとも
 わたしがあなたを忘れることは決してない。
 見よ、わたしはあなたを
   わたしの手のひらに刻みつける。
 あなたの城壁は常にわたしの前にある。
 あなたを破壊した者は速やかに来たが
 あなたを建てる者は更に速やかに来る。
 あなたを廃虚とした者はあなたを去る。
 目を上げて、見渡すがよい。
 彼らはすべて集められ、あなたのもとに来る。
 わたしは生きている、と主は言われる。
 あなたは彼らのすべてを飾りのように身にまとい
 花嫁の帯のように結ぶであろう。
 破壊され、廃虚となり、荒れ果てたあなたの地は
 彼らを住まわせるには狭くなる。
 あなたを征服した者は、遠くへ去った。
 あなたが失ったと思った子らは
   再びあなたの耳に言うであろう
 場所が狭すぎます、住む所を与えてください、と。
 あなたは心に言うであろう
 誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか
 わたしは子を失い、もはや子を産めない身で
 捕らえられ、追放された者なのに
 誰がこれらの子を育ててくれたのか
 見よ、わたしはただひとり残されていたのに
 この子らはどこにいたのか、と。

○マタイによる福音書6章22-34節
 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

7月20日
○歴代誌下6章12-21節
 彼は、イスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を伸ばした。境内の中央に縦五アンマ、横五アンマ、高さ三アンマの青銅の台を造らせてあったので、ソロモンはその上に立ち、イスラエルの全会衆の前でひざまずき、両手を天に伸ばして、祈った。「イスラエルの神、主よ、天にも地にもあなたに並ぶ神はありません。心を尽くして御前を歩むあなたの僕たちに対して契約を守り、慈しみを注がれる神よ、あなたはその僕、わたしの父ダビデになさった約束を守り、御口をもって約束なさったことを、今日このとおり御手をもって成し遂げてくださいました。イスラエルの神、主よ、今後もあなたの僕、父ダビデに約束なさったことを守り続けてください。あなたはこう仰せになりました。『あなたがわたしの前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、わたしの律法に従って歩むなら、わたしはイスラエルの王座につく者を絶たず、わたしの前から消し去ることはない』と。
 イスラエルの神、主よ、あなたの僕ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。
 神は果たして人間と共に地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、昼も夜もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが御名を置くと仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天から耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。

○マタイによる福音書7章1-14節
 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

7月27日
○エレミヤ書7章1-7節
 主からエレミヤに臨んだ言葉。
 主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。
 「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。

○マタイによる福音書7章15-29節
 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。か。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2025」(日本キリスト教団出版局、2024年12月20日発行)より作成

2025年6月28日 講演会「メサイアの聖書的背景」

 佐倉メサイアをうたう会主催により、次のとおり講演会「メサイアの聖書的背景 -聖書の世界観・言語・ヘブライズムとヘレニズムの融合-」が開かれます。

1 日 時  2025年6月28日(土) 17時30分~18時30分
2 場 所  日本キリスト教団佐倉教会礼拝堂
3 講 師  菊地  実(東京基督教大学教員)
4 参加費  無料

 どなたでもご参加いただけます。

2025年6月の主日聖書日課から

6月1日
○エレミヤ書10章1-10a節
 イスラエルの家よ、主があなたたちに語られた言葉を聞け。
 主はこう言われる。
 異国の民の道に倣うな。
 天に現れるしるしを恐れるな。
 それらを恐れるのは異国の民のすることだ。
 もろもろの民が恐れるものは空しいもの
 森から切り出された木片
 木工がのみを振るって造ったもの。
 金銀で飾られ
 留め金をもって固定され、身動きもしない。
 きゅうり畑のかかしのようで、口も利けず
 歩けないので、運ばれて行く。
 そのようなものを恐れるな。
 彼らは災いをくだすことも
 幸いをもたらすこともできない。

 主よ、あなたに並ぶものはありません。
 あなたは大いなる方
 御名には大いなる力があります。
 諸国民の王なる主よ
 あなたを恐れないものはありません。
 それはあなたにふさわしいことです。
 諸国民、諸王国の賢者の間でも
 あなたに並ぶものはありません。
 彼らは等しく無知で愚かです。
 木片にすぎない空しいものを戒めとしています。
 それはタルシシュからもたらされた銀箔
 ウファズの金、青や紫を衣として
 木工や金細工人が造ったもの
 いずれも、巧みな職人の造ったものです。

 主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。

○ルカによる福音書24章44-53節
 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

6月8日
○ヨエル書2章23節-3章2節
 シオンの子らよ。
 あなたたちの神なる主によって喜び躍れ。
 主はあなたたちを救うために
 秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる。
 元のように、秋の雨と春の雨をお与えになる。
 麦打ち場は穀物に満ち
 搾り場は新しい酒と油に溢れる。

 わたしがお前たちに送った大軍
 すなわち、かみ食らういなご
 移住するいなご、若いいなご
 食い荒らすいなごの
 食い荒らした幾年もの損害をわたしは償う。
 お前たちは豊かに食べて飽き足り
 驚くべきことを
 お前たちのために成し遂げられた主
 お前たちの神なる主の御名を
 ほめたたえるであろう。
 わたしの民は、とこしえに恥を受けることはない。
 イスラエルのうちにわたしがいることを
 お前たちは知るようになる。
 わたしはお前たちの神なる主、ほかに神はいない。
 わたしの民は、とこしえに恥を受けることはない。

 その後
 わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
 あなたたちの息子や娘は預言し
 老人は夢を見、若者は幻を見る。
 その日、わたしは
 奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。

○マタイによる福音書12章14-21節
 ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。
 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「見よ、わたしの選んだ僕。
 わたしの心に適った愛する者。
 この僕にわたしの霊を授ける。
 彼は異邦人に正義を知らせる。
 彼は争わず、叫ばず、
 その声を聞く者は大通りにはいない。
 正義を勝利に導くまで、
 彼は傷ついた葦を折らず、
 くすぶる灯心を消さない。
 異邦人は彼の名に望みをかける。」

6月15日
○イザヤ書6章1-8節
 ウジヤ王が死んだ年のことである。
 わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
 「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
 主の栄光は、地をすべて覆う。」
 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った。
 「災いだ。わたしは滅ぼされる。
 わたしは汚れた唇の者。
 汚れた唇の民の中に住む者。
 しかも、わたしの目は
   王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
 「見よ、これがあなたの唇に触れたので
 あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
 「誰を遣わすべきか。
 誰が我々に代わって行くだろうか。」
 わたしは言った。
 「わたしがここにおります。
 わたしを遣わしてください。」

○マタイによる福音書11章25-30節
 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

6月22日
○エゼキエル書18章25-32節
 それなのにお前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

○マタイによる福音書3章1-6節
 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』」
 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

6月29日
○イザヤ書60章19-22節
 太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず
 月の輝きがあなたを照らすこともない。
 主があなたのとこしえの光となり
 あなたの神があなたの輝きとなられる。
 あなたの太陽は再び沈むことなく
 あなたの月は欠けることがない。
 主があなたの永遠の光となり
 あなたの嘆きの日々は終わる。
 あなたの民は皆、主に従う者となり
 とこしえに地を継ぎ
 わたしの植えた若木、わたしの手の業として
 輝きに包まれる。
 最も小さいものも千人となり
 最も弱いものも強大な国となる。
 主なるわたしは、時が来れば速やかに行う。

○マタイによる福音書5章13-16節
 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
 
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2025」(日本キリスト教団出版局、2024年12月20日発行)より作成

2025年度 年間行事

時刻集会・行事
42010:30イースター合同礼拝
42012:00イースター祝会
53111:00サツマイモの会(苗植え付け)
6810:30ペンテコステ・花の日合同礼拝
8310:30賛美礼拝
92110:30敬老・子ども祝福合同礼拝
11210:30召天者記念礼拝
11214:00墓前礼拝
111511:00サツマイモの会(収穫)
112310:30教会創立記念礼拝
122110:30クリスマス合同礼拝
122112:00祝会
122419:00クリスマスイブ礼拝
122513:30子どもクリスマス会
1410:30新年礼拝
2812:00お餅つき会

2025年5月の主日聖書日課から

5月4日
○列王記上17章17-24節
 その後、この家の女主人である彼女の息子が病気にかかった。病状は非常に重く、ついに息を引き取った。彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはわたしにどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」エリヤは、「あなたの息子をよこしなさい」と言って、彼女のふところから息子を受け取り、自分のいる階上の部屋に抱いて行って寝台に寝かせた。彼は主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか。」彼は子供の上に三度身を重ねてから、また主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。エリヤは、その子を連れて家の階上の部屋から降りて来て、母親に渡し、「見なさい。あなたの息子は生きている」と言った。女はエリヤに言った。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」
 
○マタイによる福音書12章38-42節
 すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」

5月11日
○ネヘミヤ記2章1-18節
 アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。わたしは王の前で暗い表情をすることはなかったが、王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して、王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」すると王は、「何を望んでいるのか」と言った。わたしは天にいます神に祈って、王に答えた。「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」王は傍らに座っている王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」と尋ねた。わたしの派遣について王が好意的であったので、どれほどの期間が必要なのかを説明し、更に、わたしは王に言った。「もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。」神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。
 こうして、わたしはユーフラテス西方の長官のもとに到着する度に、王の書状を差し出すことができた。王はまた将校と騎兵をわたしと共に派遣してくれた。ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた。
 わたしはエルサレムに着き、三日間過ごしてから、夜、わずか数名の者と共に起きて出かけた。だが、エルサレムで何をすべきかについて、神がわたしの心に示されたことは、だれにも知らせなかった。わたしの乗ったもののほか、一頭の動物も引いて行かなかった。夜中に谷の門を出て、竜の泉の前から糞の門へと巡って、エルサレムの城壁を調べた。城壁は破壊され、城門は焼け落ちていた。更に泉の門から王の池へと行ったが、わたしの乗っている動物が通る所もないほどであった。夜のうちに谷に沿って上りながら城壁を調べ、再び谷の門を通って帰った。
 役人たちは、わたしがどこに行き、何をしたか知らなかった。それまでわたしは、ユダの人々にも、祭司にも、貴族にも、役人にも、工事に携わる他の人々にも、何も知らせてはいなかった。やがてわたしは彼らに言った。「御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない。」神の御手が恵み深くわたしを守り、王がわたしに言ってくれた言葉を彼らに告げると、彼らは「早速、建築に取りかかろう」と応じ、この良い企てに奮い立った。

○ヨハネによる福音書11章17-27節
 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

5月18日
○サムエル記下1章17-27節
 ダビデはサウルとその子ヨナタンを悼む歌を詠み、「弓」と題して、ユダの人々に教えるように命じた。この詩は『ヤシャルの書』に収められている。
 イスラエルよ、「麗しき者」は
 お前の高い丘の上で刺し殺された。
 ああ、勇士らは倒れた。
 ガトに告げるな
 アシュケロンの街々にこれを知らせるな
 ペリシテの娘らが喜び祝い
 割礼なき者の娘らが喜び勇むことのないように。
 ギルボアの山々よ、いけにえを求めた野よ
 お前たちの上には露も結ぶな、雨も降るな。
 勇士らの盾がそこに見捨てられ
 サウルの盾が油も塗られずに見捨てられている。
 刺し殺した者たちの血
 勇士らの脂をなめずには
 ヨナタンの弓は決して退かず
 サウルの剣がむなしく納められることもなかった。

 サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人
 鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。
 命ある時も死に臨んでも
   二人が離れることはなかった。
 泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。
 紅の衣をお前たちに着せ
 お前たちの衣の上に
   金の飾りをおいたサウルのために。
 ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。
 ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。
 あなたを思ってわたしは悲しむ
 兄弟ヨナタンよ、まことの喜び
 女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。

 ああ、勇士らは倒れた。
 戦いの器は失われた。

○ヨハネによる福音書14章1-11節
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

5月25日
○列王記上18章20-39節
 アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。エリヤは更に民に向かって言った。「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。
 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたたちは大勢だから、まずあなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない。」彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。真昼ごろ、エリヤは彼らを嘲って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。
 エリヤはすべての民に向かって、「わたしの近くに来なさい」と言った。すべての民が彼の近くに来ると、彼は壊された主の祭壇を修復した。エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルである」と告げられたヤコブの子孫の部族の数に従って、十二の石を取り、その石を用いて主の御名のために祭壇を築き、祭壇の周りに種二セアを入れることのできるほどの溝を掘った。次に薪を並べ、雄牛を切り裂き、それを薪の上に載せ、「四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ」と命じた。彼が「もう一度」と言うと、彼らはもう一度そうした。彼が更に「三度目を」と言うと、彼らは三度同じようにした。水は祭壇の周りに流れ出し、溝にも満ちた。献げ物をささげる時刻に、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」
 すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。

○マタイによる福音書6章1-15節
 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。
 『天におられるわたしたちの父よ、
 御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
 御心が行われますように、
   天におけるように地の上にも。
 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
 わたしたちの負い目を赦してください、
   わたしたちも自分に負い目のある人を
   赦しましたように。
 わたしたちを誘惑に遭わせず、
   悪い者から救ってください。』
 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2025」(日本キリスト教団出版局、2024年12月20日発行)より作成

2025年4月の主日聖書日課から

4月6日
○創世記25章29-34節
 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。
 「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。ヤコブは言った。
 「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。
 「では、今すぐ誓ってください。」
 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。

○マタイによる福音書20章20-28節
 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

4月13日
○哀歌5章15-22節
 わたしたちの心は楽しむことを忘れ
 踊りは喪の嘆きに変わった。
 冠は頭から落ちた。いかに災いなことか
   わたしたちは罪を犯したのだ。
 それゆえ、心は病み
 この有様に目はかすんでゆく。
 シオンの山は荒れ果て、狐がそこを行く。
 主よ、あなたはとこしえにいまし
 代々に続く御座にいます方。
 なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ
 果てしなく見捨てておかれるのですか。
 主よ、御もとに立ち帰らせてください
 わたしたちは立ち帰ります。
 わたしたちの日々を新しくして
 昔のようにしてください。
 あなたは激しく憤り
 わたしたちをまったく見捨てられました。

○マタイによる福音書27章32-56節
 兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。

4月20日
○創世記1章1-5節
 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
 「光あれ。」
 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
 
○創世記1章26-31節
 神は言われた。
 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神は御自分にかたどって人を創造された。
 神にかたどって創造された。
 男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 神は言われた。
 「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
 そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

○マタイによる福音書28章1-10節
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

○イザヤ書12章1-6節
 その日には、あなたは言うであろう。
 「主よ、わたしはあなたに感謝します。
 あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが
 その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。
 見よ、わたしを救われる神。
 わたしは信頼して、恐れない。
 主こそわたしの力、わたしの歌
 わたしの救いとなってくださった。」
 あなたたちは喜びのうちに
   救いの泉から水を汲む。
 その日には、あなたたちは言うであろう。
 「主に感謝し、御名を呼べ。
 諸国の民に御業を示し
 気高い御名を告げ知らせよ。
 主にほめ歌をうたえ。
 主は威厳を示された。
 全世界にその御業を示せ。
 シオンに住む者よ
   叫び声をあげ、喜び歌え。
 イスラエルの聖なる方は
   あなたたちのただ中にいます大いなる方。」

○ヨハネによる福音書20章1-18節
 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。
 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

4月27日
○イザヤ書65章17-25節
 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
 初めからのことを思い起こす者はない。
 それはだれの心にも上ることはない。
 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。
 わたしは創造する。
 見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
 その民を喜び楽しむものとして、創造する。
 わたしはエルサレムを喜びとし
 わたしの民を楽しみとする。
 泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
 そこには、もはや若死にする者も
 年老いて長寿を満たさない者もなくなる。
 百歳で死ぬ者は若者とされ
 百歳に達しない者は呪われた者とされる。
 彼らは家を建てて住み
 ぶどうを植えてその実を食べる。
 彼らが建てたものに他国人が住むことはなく
 彼らが植えたものを
   他国人が食べることもない。
 わたしの民の一生は木の一生のようになり
 わたしに選ばれた者らは
 彼らの手の業にまさって長らえる。
 彼らは無駄に労することなく
 生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。
 彼らは、その子孫も共に
 主に祝福された者の一族となる。
 彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
 まだ語りかけている間に、聞き届ける。
 狼と小羊は共に草をはみ
 獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし
 わたしの聖なる山のどこにおいても
 害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。

○マタイによる福音書28章11-15節
 婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
 
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2025」(日本キリスト教団出版局、2024年12月20日発行)より作成

2025年2月16日 虹の会(信徒懇話会)

 2月16日(日)の礼拝後、虹の会(信徒懇話会)では、小島道裕さんを講師として「うどんとうどん屋の歴史」についてお話しを伺いました。
 おうどんをいただいた後、屏風絵に残されている「うどん屋の看板」のことなど、興味深いお話しを伺いました。

うどんをいただいた後、うどんの歴史について興味深いお話しを伺いました
講師の小島道裕さん(元国立歴史民俗博物館教授)
うどん屋にてうどんを食べている様子が描かれています