2024年12月の主日聖書日課から

12月1日
○イザヤ書2章1-5節
 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
 終わりの日に
 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
 どの峰よりも高くそびえる。
 国々はこぞって大河のようにそこに向かい
 多くの民が来て言う。
 「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
 主はわたしたちに道を示される。
 わたしたちはその道を歩もう」と。
 主の教えはシオンから
 御言葉はエルサレムから出る。
 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼
 らは剣を打ち直して鋤とし
 槍を打ち直して鎌とする。
 国は国に向かって剣を上げず
 もはや戦うことを学ばない。
 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

○マタイによる福音書24章36-44節
 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

12月8日
○イザヤ書59章12-20節
 御前に、わたしたちの背きの罪は重く
 わたしたち自身の罪が不利な証言をする。
 背きの罪はわたしたちと共にあり
 わたしたちは自分の咎を知っている。
 主に対して偽り背き
 わたしたちの神から離れ去り
 虐げと裏切りを謀り
 偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく。
 こうして、正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。
 まことは広場でよろめき
 正しいことは通ることもできない。
 まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。
 主は正義の行われていないことを見られた。
 それは主の御目に悪と映った。
 主は人ひとりいないのを見
 執り成す人がいないのを驚かれた。
 主の救いは主の御腕により
 主を支えるのは主の恵みの御業。
 主は恵みの御業を鎧としてまとい
 救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい
 熱情を上着として身を包まれた。
 主は人の業に従って報い
 刃向かう者の仇に憤りを表し
 敵に報い、島々に報いを返される。
 西では主の御名を畏れ
 東では主の栄光を畏れる。
 主は激しい流れのように臨み
 主の霊がその上を吹く。
 主は贖う者として、シオンに来られる。
 ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると
 主は言われる。

○マタイによる福音書13章53-58節
 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

12月15日
○士師記13章2-14節
 その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」女は夫のもとに来て言った。「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神の御使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした。ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないようにとおっしゃいました。」
 そこでマノアは、主に向かってこう祈った。「わたしの主よ。お願いいたします。お遣わしになった神の人をもう一度わたしたちのところに来させ、生まれて来る子をどうすればよいのか教えてください。」神はマノアの声をお聞き入れになり、神の御使いが、再びその妻のところに現れた。彼女は畑に座っていて、夫マノアは一緒にいなかった。妻は急いで夫に知らせようとして走り、「この間わたしのところにおいでになった方が、またお見えになっています」と言った。マノアは立ち上がって妻について行き、その人のところに来て言った。「この女に話しかけたのはあなたですか。」その人は、「そうです」と答えた。マノアが、「あなたのお言葉のとおりになるのでしたら、その子のためになすべき決まりとは何でしょうか」と尋ねると、主の御使いはマノアに答えた。「わたしがこの女に言ったことをすべて守りなさい。彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や強い飲み物も飲んではならない。また汚れた物を一切食べてはならない。わたしが彼女に戒めたことは、すべて守らなければならない。」

○マタイによる福音書11章2-19節
 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
 あなたの前に道を準備させよう』
と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。
 今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
 『笛を吹いたのに、
 踊ってくれなかった。
 葬式の歌をうたったのに、
 悲しんでくれなかった。』
 ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

12月22日
○イザヤ書7章10-14節
 主は更にアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」
 しかし、アハズは言った。
 「わたしは求めない。
 主を試すようなことはしない。」
 イザヤは言った。
 「ダビデの家よ聞け。
 あなたたちは人間に
   もどかしい思いをさせるだけでは足りず
 わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
 それゆえ、わたしの主が御自ら
 あなたたちにしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶ。

○マタイによる福音書1章18-23節
 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

12月25日(前夜)
○ミカ書5章1-3節
 エフラタのベツレヘムよ
 お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
 お前の中から、わたしのために
 イスラエルを治める者が出る。
 彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
 まことに、主は彼らを捨ておかれる
 産婦が子を産むときまで。
 そのとき、彼の兄弟の残りの者は
 イスラエルの子らのもとに帰って来る。
 彼は立って、群れを養う
 主の力、神である主の御名の威厳をもって。
 彼らは安らかに住まう。
 今や、彼は大いなる者となり
 その力が地の果てに及ぶからだ。

○ルカによる福音書2章1-20節
 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

12月25日(日中)
○イザヤ書9章1節、5-6節
 闇の中を歩む民は、大いなる光を見
 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
 
 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
 権威が彼の肩にある。
 その名は、「驚くべき指導者、力ある神
 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
 ダビデの王座とその王国に権威は増し
 平和は絶えることがない。
 王国は正義と恵みの業によって
 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
 万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

○ヨハネによる福音書1章1-14節
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

12月29日
○イザヤ書60章1-6節
 起きよ、光を放て。
 あなたを照らす光は昇り
 主の栄光はあなたの上に輝く。
 見よ、闇は地を覆い
 暗黒が国々を包んでいる。
 しかし、あなたの上には主が輝き出で
 主の栄光があなたの上に現れる。
 国々はあなたを照らす光に向かい
 王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
 目を上げて、見渡すがよい。
 みな集い、あなたのもとに来る。
 息子たちは遠くから
 娘たちは抱かれて、進んで来る。
 そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き
 おののきつつも心は晴れやかになる。
 海からの宝があなたに送られ
 国々の富はあなたのもとに集まる。
 らくだの大群
 ミディアンとエファの若いらくだが
 あなたのもとに押し寄せる。
 シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。
 こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

○マタイによる福音書2章1-12節
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成

2024年クリスマス諸集会のご案内

 佐倉教会の2024年のクリスマス諸集会をご案内いたします。
 主イエス・キリストのご降誕をご一緒にお祝いしましょう。
 ご家族の皆様共々、ご出席ください。
 
○クリスマス合同礼拝
 12月22日(日)午前10時30分より11時45分頃まで。

○クリスマス祝会
 12月22日(日)の礼拝後、正午より午後2時まで(2時間)
 
○クリスマスイブ礼拝
 12月24日(火)午後7時~午後8時(1時間)。
 
○子どもクリスマス会
 12月25日(水)午後1時30分より午後3時30分まで(2時間)。

2024年11月の主日聖書日課から

11月3日
○イザヤ書44章6-17節
 イスラエルの王である主
 イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。
 わたしは初めであり、終わりである。
 わたしをおいて神はない。
 だれか、わたしに並ぶ者がいるなら
 声をあげ、発言し、わたしと競ってみよ。
 わたしがとこしえの民としるしを定めた日から
 来るべきことにいたるまでを告げてみよ。
 恐れるな、おびえるな。
 既にわたしはあなたに聞かせ
 告げてきたではないか。
 あなたたちはわたしの証人ではないか。
 わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。
 わたしはそれを知らない。
 偶像を形づくる者は皆、無力で
 彼らが慕うものも役に立たない。
 彼ら自身が証人だ。
 見ることも、知ることもなく、恥を受ける。
 無力な神を造り
 役に立たない偶像を鋳る者はすべて
 その仲間と共に恥を受ける。
 職人も皆、人間にすぎず
 皆集まって立ち、恐れ、恥を受ける。
 鉄工は金槌と炭火を使って仕事をする。
 槌でたたいて形を造り、強い腕を振るって働くが
 飢えれば力も減り、水を飲まなければ疲れる。
 木工は寸法を計り、石筆で図を描き
 のみで削り、コンパスで図を描き
 人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り
   神殿に置く。
 彼は林の中で力を尽くし
 樅を切り、柏や樫の木を選び
 また、樅の木を植え、雨が育てるのを待つ。
 木は薪になるもの。
 人はその一部を取って体を温め
 一部を燃やしてパンを焼き
 その木で神を造ってそれにひれ伏し
 木像に仕立ててそれを拝むのか。
 また、木材の半分を燃やして火にし
 肉を食べようとしてその半分の上であぶり
 食べ飽きて身が温まると
 「ああ、温かい、炎が見える」などと言う。
 残りの木で神を、自分のための偶像を造り
 ひれ伏して拝み、祈って言う。
 「お救いください、あなたはわたしの神」と。

○マタイによる福音書23章25-36節
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」

11月10日
○創世記13章1-18節
 アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。
 アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
 ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。
 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。
 「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」
 アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。

○マタイによる福音書3章7-12節
 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

11月17日
○申命記18章15-22節
 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」あなたは心の中で、「どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉ではないということを知りうるだろうか」と言うであろう。その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。

○マタイによる福音書5章38-48節
 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

11月24日
○ミカ書2章12-13節
 ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め
 イスラエルの残りの者を呼び寄せる。
 わたしは彼らを羊のように囲いの中に
 群れのように、牧場に導いてひとつにする。
 彼らは人々と共にざわめく。
 打ち破る者が、彼らに先立って上ると
 他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。
 彼らの王が彼らに先立って進み
 主がその先頭に立たれる。

○マタイによる福音書25章31-46節
 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成

2024年10月の主日聖書日課から

10月6日
○ヨブ記42章1-6節
 ヨブは主に答えて言った。

 あなたは全能であり
 御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
 「これは何者か。知識もないのに
 神の経綸を隠そうとするとは。」
 そのとおりです。
 わたしには理解できず、わたしの知識を超えた
 驚くべき御業をあげつらっておりました。
 「聞け、わたしが話す。
 お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
 あなたのことを、耳にしてはおりました。
 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
 自分を退け、悔い改めます。

○ヨハネによる福音書11章28-44節
 マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

10月13日
○士師記11章29-40節
 主の霊がエフタに臨んだ。彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた。エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。彼はアロエルからミニトに至るまでの二十の町とアベル・ケラミムに至るまでのアンモン人を徹底的に撃ったので、アンモン人はイスラエルの人々に屈服した。
 エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」彼女は更に言った。「わたしにこうさせていただきたいのです。二か月の間、わたしを自由にしてください。わたしは友達と共に出かけて山々をさまよい、わたしが処女のままであることを泣き悲しみたいのです。」彼は「行くがよい」と言って、娘を二か月の間去らせた。彼女は友達と共に出かけ、山々で、処女のままであることを泣き悲しんだ。二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。彼女は男を知ることがなかったので、イスラエルに次のようなしきたりができた。来る年も来る年も、年に四日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのである。

○ヨハネによる福音書11章45-54節
 マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
 それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。

10月20日
○エレミヤ書29章1、4-14節
 以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れて行った長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である。
 
 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。
 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。彼らは、わたしの名を使って偽りの預言をしているからである。わたしは、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる。
 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。

○ヨハネによる福音書17章13-26節
 しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。
 また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

10月27日
○箴言8章1、22-36節
 知恵が呼びかけ
 英知が声をあげているではないか。
 
 主は、その道の初めにわたしを造られた。
 いにしえの御業になお、先立って。
 永遠の昔、わたしは祝別されていた。
 太初、大地に先立って。
 わたしは生み出されていた
 深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが
 わたしは生み出されていた。
 大地も野も、地上の最初の塵も
 まだ造られていなかった。
 わたしはそこにいた
 主が天をその位置に備え
 深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
 主が上から雲に力をもたせ
 深淵の源に勢いを与えられたとき
 この原始の海に境界を定め
 水が岸を越えないようにし
 大地の基を定められたとき。
 御もとにあって、わたしは巧みな者となり
 日々、主を楽しませる者となって
 絶えず主の御前で楽を奏し
 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
 人の子らと共に楽しむ。
 
 さて、子らよ、わたしに聞き従え。
 わたしの道を守る者は、いかに幸いなことか。
 諭しに聞き従って知恵を得よ。
 なおざりにしてはならない。
 わたしに聞き従う者、日々、わたしの扉をうかがい
 戸口の柱を見守る者は、いかに幸いなことか。
 わたしを見いだす者は命を見いだし
 主に喜び迎えていただくことができる。
 わたしを見失う者は魂をそこなう。
 わたしを憎む者は死を愛する者。」

○マタイによる福音書10章28-33節
 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成

2024年9月15日 講演「日本史の中のジェンダー(社会的性差)」

 虹の会(信徒懇話会)の主催により、小島道裕さん(前国立歴史民俗博物館教授、教会員)から「日本史の中のジェンダー(社会的性差)」についてお話を伺いました。
 古代から第二次世界大戦後まで、分かりやすく、興味深いお話を聞くことができました。

中世が専門の小島講師。知らなかったことがたくさんありました
プロジェクターを使い、分かりやすく説明していただきました
講演のレジュメです

教会バザー(9月29日日曜日)

 来る9月29日(日)12:00~15:00、佐倉教会1階ホールにおいて、バザーを開催いたします。日用雑貨、中古衣類、おもちゃなどを販売いたします。
 また、駐車場においてコーヒーコーナーを設けます。
 皆様、ぜひご来場ください。

2024年9月の主日聖書日課から

9月1日
○エレミヤ書28章1-17節
 その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の五月に、主の神殿において、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前でわたしに言った。
 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである。」
 そこで、預言者エレミヤは主の神殿に立っていた祭司たちとすべての民の前で、預言者ハナンヤに言った。預言者エレミヤは言った。
 「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように。どうか主があなたの預言の言葉を実現し、主の神殿の祭具と捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように。だが、わたしがあなたと民すべての耳に告げるこの言葉をよく聞け。あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることが分かる。」
 すると預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた。そして、ハナンヤは民すべての前で言った。
 「主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。」
 そこで、預言者エレミヤは立ち去った。
 預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
 「行って、ハナンヤに言え。主はこう言われる。お前は木の軛を打ち砕いたが、その代わりに、鉄の軛を作った。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる。彼らはその奴隷となる。わたしは野の獣まで彼に与えた。」
 更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。
 「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ。」
 預言者ハナンヤは、その年の七月に死んだ。

○ヨハネによる福音書8章37-47節
 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
 彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」

9月8日
○エレミヤ書50章4-7節
 その日、その時には、と主は言われる。
 イスラエルの人々が来る
 ユダの人々も共に。
 彼らは泣きながら来て
 彼らの神、主を尋ね求める。
 彼らはシオンへの道を尋ね
 顔をそちらに向けて言う。
 「さあ、行こう」と。
 彼らは主に結びつき
 永遠の契約が忘れられることはない。
 わが民は迷える羊の群れ。
 羊飼いたちが彼らを迷わせ
   山の中を行き巡らせた。
 彼らは山から丘へと歩き回り
 自分の憩う場所を忘れた。
 彼らを見つける者は、彼らを食らった。
 敵は言った。
 「我々に罪はない。
 彼らが、まことの牧場である主に
 先祖の希望であった主に罪を犯したからだ」と。

○ヨハネによる福音書10章1-6節
 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
 
9月15日
○歴代誌下7章11-16節
 ソロモンは主の神殿と王宮を完成し、この神殿と王宮について、行おうと考えていたすべての事を成し遂げた。その夜、主はソロモンに現れ、こう仰せになった。
 「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。

○ヨハネによる福音書10章22-30節
 そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」

9月22日
○箴言3章13-20節
 いかに幸いなことか
 知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
 知恵によって得るものは
   銀によって得るものにまさり
 彼女によって収穫するものは金にまさる。
 真珠よりも貴く
 どのような財宝も比べることはできない。
 右の手には長寿を
 左の手には富と名誉を持っている。
 彼女の道は喜ばしく
 平和のうちにたどって行くことができる。
 彼女をとらえる人には、命の木となり
 保つ人は幸いを得る。
 主の知恵によって地の基は据えられ
 主の英知によって天は設けられた。
 主の知識によって深淵は分かたれ
 雲は滴って露を置く。

○ヨハネによる福音書10章31-42節
 ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒瀆している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。
 イエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された。多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。

9月29日
○ダニエル書12章1-4節
 その時、大天使長ミカエルが立つ。
 彼はお前の民の子らを守護する。
 その時まで、苦難が続く
 国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
 しかし、その時には救われるであろう
 お前の民、あの書に記された人々は。
 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
 ある者は永遠の生命に入り
 ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
 目覚めた人々は大空の光のように輝き
 多くの者の救いとなった人々は
   とこしえに星と輝く。
 ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」

○ヨハネによる福音書11章1-16節
 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成