2022年8月の主日聖書日課から

8月7日
○民数記11章24-29節
 モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から七十人を集め、幕屋の周りに立たせた。主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。宿営に残っていた人が二人あった。一人はエルダド、もう一人はメダドといい、長老の中に加えられていたが、まだ幕屋には出かけていなかった。霊が彼らの上にもとどまり、彼らは宿営で預言状態になった。一人の若者がモーセのもとに走って行き、エルダドとメダドが宿営で預言状態になっていると告げた。若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言った。モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」

○マルコによる福音書9章33-41節
 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」

8月14日
○申命記10章12-18節
 イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。

○マルコによる福音書9章42-50節
 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」

8月21日
○イザヤ書54章1-8節
 喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。
 歓声をあげ、喜び歌え
 産みの苦しみをしたことのない女よ。
 夫に捨てられた女の子供らは
 夫ある女の子供らよりも数多くなると
 主は言われる。
 あなたの天幕に場所を広く取り
 あなたの住まいの幕を広げ
 惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。
 あなたは右に左に増え広がり
 あなたの子孫は諸国の民の土地を継ぎ
 荒れ果てた町々には再び人が住む。
 恐れるな、もはや恥を受けることはないから。
 うろたえるな、もはや辱められることはないから。
 若いときの恥を忘れよ。
 やもめのときの屈辱を再び思い出すな。
 あなたの造り主があなたの夫となられる。
 その御名は万軍の主。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
 全地の神と呼ばれる方。
 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
 主はあなたを呼ばれる。
 若いときの妻を見放せようかと
 あなたの神は言われる。
 わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
 ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
 とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
 あなたを贖う主は言われる。

○マルコによる福音書10章13-16節
 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

8月28日
○ミカ書6章1-8節
 聞け、主の言われることを。
 立って、告発せよ、山々の前で。
 峰々にお前の声を聞かせよ。
 聞け、山々よ、主の告発を。
 とこしえの地の基よ。
 主は御自分の民を告発し
 イスラエルと争われる。
 「わが民よ。
 わたしはお前に何をしたというのか。
 何をもってお前を疲れさせたのか。
 わたしに答えよ。
 わたしはお前をエジプトの国から導き上り
 奴隷の家から贖った。
 また、モーセとアロンとミリアムを
 お前の前に遣わした。
 わが民よ、思い起こすがよい。
 モアブの王バラクが何をたくらみ
 ベオルの子バラムがそれに何と答えたかを。
 シティムからギルガルまでのことを思い起こし
 主の恵みの御業をわきまえるがよい。」
 何をもって、わたしは主の御前に出で
 いと高き神にぬかずくべきか。
 焼き尽くす献げ物として
 当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
 主は喜ばれるだろうか
 幾千の雄羊、幾万の油の流れを。
 わが咎を償うために長子を
 自分の罪のために胎の実をささげるべきか。
 人よ、何が善であり
 主が何をお前に求めておられるかは
 お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し
 へりくだって神と共に歩むこと、これである。

○マルコによる福音書10章46-52節
 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2022」(日本キリスト教団出版局、2021年12月10日発行)より作成

2022年8月 教会学校ニュース12号

 生徒の皆さんは、夏休みをどのように過ごしているでしょうか。
 暑い季節ですが、教会学校は開いています。
 8月の礼拝のお話しは、モーセに導かれたイスラエル民族のエジプト脱出についてです。
 ぜひご出席ください。

神の導きを信じるヨセフの信仰 創世記四五章一~二八節

○ぶどうの枝第56号(2022年6月26日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 今まで、自分の身をあかそうとしなかったヨセフはいよいよ兄たちに身をあかしました。また、同時にヨセフはこれまでの人生に起こった出来事を振り返って、神の視点から自分の人生を再発見することができました。それはどんなことだったのでしょうか。
 兄たちの悔い改める姿を見て、ヨセフは自分を抑えきれなくなりました。そして、家来たちを部屋から出させて、声をあげて泣きました。ヨセフは、兄たちが以前とは違って、末の弟ベニヤミンを守ろうとした姿を見て、二十二年前に自分を見捨てたときの兄たちとは違うことが、よく分かったわけです。そして、ようやく自分がヨセフであることを兄弟たちに告白します(三節)。当然ながら、兄たちは驚きのあまり、答えることができませんでした。また、同時にかつて自分たちがヨセフに対して犯した罪のことを思い出し、ヨセフの復しゅうを恐れていました。驚き恐れる兄たちにヨセフは、「わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と言っています(五節)。ヨセフは兄たちをゆるしていました。かつて兄たちに憎まれてエジプトに売られたことを一切言わないで、逆に兄たちのことを心配し、気遣っているのです。
 では、ヨセフはどうして兄たちをゆるすことができたのでしょうか。それは、ヨセフが神の方を見ていたからです。兄たちからされた理不尽なこと、売られた者としての悲しみ、奴隷としてのつらい生活、ポティファルの家で誤解された者としての孤独、そして無実の罪によって監禁されなければならなかったときの絶望感など、ヨセフの人生は悲しいもの、つらいもの、そして傷に満ちたものでした。その心の傷はエジプトの総理大臣になったとしても、消えることはありませんでした。そのように、人だけを見ていたら、恨みつらみが湧いてきて、心の傷を忘れずに、根に持ってしまうのです。
 しかし、ヨセフは神の方を見ていました。神の視点から自分の人生を見ようとするとき、そこに起こるすべての出来事が、神の導きの中にあることを信じるようになりました。「なぜ、自分がエジプトに売られてこなければならなかったのか」「なぜ、自分が理不尽な苦しみが絶え間ない人生を過ごさなければならなかったのか」。自分の人生のすべての「なぜ」に意味があったことに目覚める瞬間でした。

 神の大きなご計画

 エジプトに売られる前のヨセフの言動を見ると、ヨセフもはじめは父親に甘やかされた、生意気な人間でした。しかし、ヨセフは今「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と言っています。つまり、自分がエジプトに売られたのは、神の導きによるものであると受け止めることができたのです。このヨセフの言葉は、神の視点から自分の人生を見ようとするとき、どのような素晴らしい変化が起こるかを私たちに教えています。
 なお、六節以下を見ると、飢きんはあと五年続くことが、ヨセフに示されていました。家族がその飢きんを生き延びるために、先にエジプトに来た自分が権力者となって、家族をここに招くように、神様が取り計らってくださったと言うのです。九節、一〇節に「急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます』」とあります。
 確かにヨセフがエジプトに来たのは、兄たちがヨセフを憎んだからでした。でも、そのことも神の方から見れば、神様の大きなご計画の中でなされたことだと、ヨセフは受け止めたのです。こうしてヨセフは兄弟たちに、父と家族を連れて、このエジプトに移り住んでくださいと、彼らを招待します。
 その後、ヨセフの兄弟たちがエジプトに来たという知らせは、ファラオの宮廷にも伝えられました。それを聞いて、「ファラオも家来たちも喜んだ」とあります(一六節)。なんとファラオが自分のことのように喜んだのです。そして、ファラオは最高のもてなしをして、ヨセフの家族をエジプトに迎えようとしました。
 ファラオの命令に従って、ヨセフは兄たちに車と食糧を与え、さらに晴れ着をそれぞれに与え、父の贈り物も用意されました。やがて兄たちは、父親の元に戻り、すべてを報告します。「ヨセフがまだ生きています。しかも、エジプト全国を治める者になっています」(二六節)。これを聞いて、ヤコブは「気が遠くなった」とあります。信じることができなかったのです。しかし、ヨセフから自分を乗せるために送った車を見て、気を取り直すことができたのです。それほどヤコブにとっては衝撃的な報告でした。ですから、ヤコブが「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい」と言ったときには、死んだと思っていた息子に会いたい一心であったのです(二八節)。こうして、ヤコブはエジプトに向かうことを決心しました。

 神の視点から再発見

 今日の箇所において、ヨセフは、自分の人生のすべての出来事が、神の導きの中にあったことを信じるようになりました。ですから、ヨセフは、五節の後半で「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と告白しています。
 また、七節に「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは」とあります。そして、八節、九節で「わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました」と証しているのです。これが、ヨセフの信仰でした。神の導きを信じる信仰です。神の導きを信じることは、自分の人生の全ての出来事を神の視点から再発見することです。人生に起こる喜怒哀楽の全てを神の視点から見ようとするとき、意味のない苦しみは一つもないことにつながります。ヨセフの場合、かつて見た夢のことも、兄たちに憎まれてエジプトに売られたことも、また、牢獄に入れられて、そこで二人の役人に出会ったこと、そしてエジプトの総理大臣になって、今兄たちと再会を果たしたことも、全部つながっていたのです。
 その背後には神様の導きがあったのです。私たちもそれぞれにいろんな不思議な出会いや出来事があって、今につながっているのです。「わたしをここへ遣わしたのはあなたたちではなく、神です」と言ったヨセフの信仰は、神の導きを信じる信仰です。その神に全てを委ねて、残された人生を全うすることができますよう、祈り願います。

受洗者より 受洗祝福の言葉に感激

○ぶどうの枝第56号(2022年6月26日発行)に掲載(執筆者:NH)

 年内に受洗しなくてはと、命も終わるのではと、牧師先生のご指導で日にちも定まり、受洗できました。八十一歳です。
 両親の伝道所のお陰で、家には男女年齢問わず集まり、にぎやかでした。中学生の頃より奉仕活動に参加。楽しかったことは、土曜日讃美歌の練習会です。好奇心旺盛な頃で帰り道に、先生のお宅には珍しい物や、あんなのがあった、あれは何する物?とか。勉強は苦手でしたが、十二年間我が家姉妹は全員皆勤でした。
 貧乏生活でしたが、両親は一生懸命でしたから、何の不足も感じず、頑丈な体を作っていただきました。友だちもたくさん、今も続いています。結婚が決まったときに、母からNという名前は、お父さんと一緒に考え、正しことを宣べる子どもになってほしいからNとしたと聞き、「大丈夫だよ、悪いことはしないから」と言いました。そのときに「キリストの道」と分かりましたが、聖書は思うように進まず今になりましたが、行く先々で教会は探してきました。これから一年生になりましたことを母に伝えて、先の見えた毎日を大切に頑張ります。
 金牧師ありがとうございました。佐倉教会の皆様が暖かく見守り励まし、受洗後の祝福のうれしいお言葉を大勢の皆様からいただきました。名前と顔がまだ分からずごめんなさい。感謝です。車に乗ってから感激の涙でした。うれしい、思い出の深い受洗でした。
 ありがとうございました。これからもよろしくご指導ください。神様と共に歩もうと主に仕える志をいただき、感謝いたします。乱筆失礼。

随想 MIさんとの思い出 「ばあちゃんドクターヘリに乗る」

○ぶどうの枝第56号(2022年6月26日発行)に掲載(執筆者:MO)

 MIさんが天に召されとても寂しくなりました。Iさんとの思い出はたくさんありますが、一番の思い出は「ありがとう神様」の本をいただいたことから始まりました。その中には、Iさんが急性心筋梗塞の発作を起こし、ドクターヘリで運ばれた経験を書かれた「ばあちゃん ドクターヘリに乗る」が載っていました。
 当時私は、N大学C病院、内科医局秘書として勤務しており、研修医の先生方が読まれたら、きっと良い参考になると思いました。ドクターヘリで運ばれた患者目線で書かれたリアルな文章だったからです。
 研修医は、二年間の間に進む専門を決めます。医局には各自の机のほかにソファーとテーブルがあり、外来が終わった後など、休憩できるようになっています。そのテーブルの上に「ありがとう神様」の本を置いておきました。すると何人かの研修医が興味深く読んでおられました。
 それなら救命救急に配属されている研修医こそ、ご参考になるのではと思い、救命救急の秘書さんにお願いして医局に置いていただきました。何日かたって救命救急の秘書さんから、「M先生がこれはとても良い。HEM―Netに掲載したいから原稿のデータが欲しいとおっしゃっている」と伺い、驚きました。
 M先生は、当時千葉北総病院の救命救急教授で、ドクターヘリを立ち上げた先生です。救急ヘリ病院ネットワークHEM―Netとは、ドクターヘリによる医療システムの普及を目的として活動している組織です(現在のようにドクターヘリが全国的に知られておらず、普及にご苦労されていた時期でした)。
 研修医の先生に、患者さん目線でのIさんの作品はきっと何かを感じてくださるだろう、良いお医者様になっていただきたい、そんな軽い気持ちでの行動でしたので、私も驚きましたがうれしくて、すぐにIさんに連絡を取りましたが、Mさんはお留守で、電話に出られたI先生からは、「データはありません」とのお返事。
 データでお渡しできなければ、掲載はできないとのことで、それは残念なので、私が入力して提出することにしました。
 HEM―NeTに掲載されたIさんの「ばあちゃんドクターヘリに乗る」を私も拝見しとてもうれしく思っていたところに、Iさんからご家族がとても喜んでくださったと伺い、より一層うれしかったことを思い出しました。
 医局秘書の仕事は、先生方の事務的なことから多種多様です。若い先生は息子や娘の年代でもありいろいろ相談も受けました。
 そんな先生方がご立派になられる成長過程を拝見できるのは、日々神経を使う仕事でもありましたが、楽しい仕事でもありました。そんな中で「ありがとう神様」を読んでいただきたいと思ったもう一つの理由としては、前編にI先生の「マタイによる福音書」が載っていますので、聖書との出会いになればとの思いもありました。そのときの研修医の先生がお一人、急命救急に進まれ現在活躍されております。私は勝手にIさんの本との出会いが少しあるのでは……とひそかに思っています。

2022年7月 教会学校ニュース11号

 7月に入りました。
 暑さの厳しい日が続きますが、子どもたちにはまもなく楽しい夏休みが始まります。
 佐倉教会では、小見川での北総分区合同夏期学校と中高生向けの千葉支区JSサマーキャンプに参加します。
 夏休みの思い出づくりに、ぜひご参加ください。

2022年7月の主日聖書日課から

7月3日
○アモス書7章10-15節
 ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる。』」アマツヤはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。

○マルコによる福音書6章6-13節
 そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

7月10日
○エステル記5章1-8節
 それから三日目のことである。エステルは王妃の衣装を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。王は言った。「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」エステルは答えた。「もし王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。」王は、「早速ハマンを来させなさい。エステルの望みどおりにしよう」と言い、王とハマンはエステルが準備した酒宴に赴いた。王はぶどう酒を飲みながらエステルに言った。「何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」「私の望み、私の願いはと申しますと」とエステルは言った。「もし王のお心に適いますなら、もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いをお聞き入れくださるのでございましたら、私は酒宴を準備いたしますから、どうぞハマンと一緒にお出ましください。明日、仰せのとおり私の願いを申し上げます。」

○マルコによる福音書6章14-29節
 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

7月17日
○エレミヤ書23章25-32節
 わたしは、わが名によって偽りを預言する預言者たちが、「わたしは夢を見た、夢を見た」と言うのを聞いた。いつまで、彼らはこうなのか。偽りを預言し、自分の心が欺くままに預言する預言者たちは、互いに夢を解き明かして、わが民がわたしの名を忘れるように仕向ける。彼らの父祖たちがバアルのゆえにわたしの名を忘れたように。夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。
 もみ殻と穀物が比べものになろうかと
 主は言われる。
 このように、わたしの言葉は火に似ていないか。岩を打ち砕く槌のようではないか、と主は言われる。
 それゆえ、見よ、わたしは仲間どうしでわたしの言葉を盗み合う預言者たちに立ち向かう、と主は言われる。見よ、わたしは自分の舌先だけで、その言葉を「託宣」と称する預言者たちに立ち向かう、と主は言われる。見よ、わたしは偽りの夢を預言する者たちに立ち向かう、と主は言われる。彼らは、それを解き明かして、偽りと気まぐれをもってわが民を迷わせた。わたしは、彼らを遣わしたことも、彼らに命じたこともない。彼らはこの民に何の益ももたらさない、と主は言われる。

○マルコによる福音書8章14-24節
 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。

7月24日
○列王記上10章4-9節
 シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、また食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官、それに王が主の神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、息も止まるような思いであった。女王は王に言った。「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じてはいませんでした。しかし、わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立ってあなたのお知恵に接している家臣たちはなんと幸せなことでしょう。あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです。」

○マルコによる福音書8章22-26節
 一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。

7月31日
○サムエル記上17章41-50節
 ペリシテ人は、盾持ちを先に立て、ダビデに近づいて来た。彼は見渡し、ダビデを認め、ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったので、侮った。このペリシテ人はダビデに言った。「わたしは犬か。杖を持って向かって来るのか。」そして、自分の神々によってダビデを呪い、更にダビデにこう言った。「さあ、来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。

○マルコによる福音書9章16-29節
 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2022」(日本キリスト教団出版局、2021年12月10日発行)より作成

2022年6月5日 洗礼式

 ペンテコステ礼拝の中で、洗礼式が行われました。
 主イエス・キリストとともに歩む新しい人生が始まります。
 一同の上にも大きな喜びがありました。
 主の豊かな恵みと平安がありますように。

2022年6月の主日聖書日課から

6月5日
○ヨシュア記1章1-9節
 主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

○マルコによる福音書3章20-30節
 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

6月12日
○申命記6章4-9節
 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

○マタイによる福音書1章9-11節
 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

6月19日
○歴代誌下15章1-8節
 オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ。彼はアサの前に進み出て言った。「アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、わたしに耳を傾けなさい。あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちに御自分を示してくださる。しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる。長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった。しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らに御自分を示してくださった。そのころこの地のすべての住民は甚だしい騒乱に巻き込まれ、安心して行き来することができなかった。神があらゆる苦悩をもって混乱させられたので、国と国、町と町が互いに破壊し合ったのだ。しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。」アサはこの言葉と預言者オデドの預言を聞いて、勇気を得、ユダとベニヤミンの全土から、またエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の前廊の前にある主の祭壇を新しくした。

○マルコによる福音書1章29-39節節
 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

6月26日
○サムエル記上16章14-23節
 主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

○マルコによる福音書5章11-20節
 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2022」(日本キリスト教団出版局、2021年12月10日発行)より作成