2024年9月の主日聖書日課から

9月1日
○エレミヤ書28章1-17節
 その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の五月に、主の神殿において、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前でわたしに言った。
 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである。」
 そこで、預言者エレミヤは主の神殿に立っていた祭司たちとすべての民の前で、預言者ハナンヤに言った。預言者エレミヤは言った。
 「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように。どうか主があなたの預言の言葉を実現し、主の神殿の祭具と捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように。だが、わたしがあなたと民すべての耳に告げるこの言葉をよく聞け。あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることが分かる。」
 すると預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた。そして、ハナンヤは民すべての前で言った。
 「主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。」
 そこで、預言者エレミヤは立ち去った。
 預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
 「行って、ハナンヤに言え。主はこう言われる。お前は木の軛を打ち砕いたが、その代わりに、鉄の軛を作った。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる。彼らはその奴隷となる。わたしは野の獣まで彼に与えた。」
 更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。
 「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ。」
 預言者ハナンヤは、その年の七月に死んだ。

○ヨハネによる福音書8章37-47節
 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
 彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」

9月8日
○エレミヤ書50章4-7節
 その日、その時には、と主は言われる。
 イスラエルの人々が来る
 ユダの人々も共に。
 彼らは泣きながら来て
 彼らの神、主を尋ね求める。
 彼らはシオンへの道を尋ね
 顔をそちらに向けて言う。
 「さあ、行こう」と。
 彼らは主に結びつき
 永遠の契約が忘れられることはない。
 わが民は迷える羊の群れ。
 羊飼いたちが彼らを迷わせ
   山の中を行き巡らせた。
 彼らは山から丘へと歩き回り
 自分の憩う場所を忘れた。
 彼らを見つける者は、彼らを食らった。
 敵は言った。
 「我々に罪はない。
 彼らが、まことの牧場である主に
 先祖の希望であった主に罪を犯したからだ」と。

○ヨハネによる福音書10章1-6節
 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
 
9月15日
○歴代誌下7章11-16節
 ソロモンは主の神殿と王宮を完成し、この神殿と王宮について、行おうと考えていたすべての事を成し遂げた。その夜、主はソロモンに現れ、こう仰せになった。
 「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。

○ヨハネによる福音書10章22-30節
 そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」

9月22日
○箴言3章13-20節
 いかに幸いなことか
 知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
 知恵によって得るものは
   銀によって得るものにまさり
 彼女によって収穫するものは金にまさる。
 真珠よりも貴く
 どのような財宝も比べることはできない。
 右の手には長寿を
 左の手には富と名誉を持っている。
 彼女の道は喜ばしく
 平和のうちにたどって行くことができる。
 彼女をとらえる人には、命の木となり
 保つ人は幸いを得る。
 主の知恵によって地の基は据えられ
 主の英知によって天は設けられた。
 主の知識によって深淵は分かたれ
 雲は滴って露を置く。

○ヨハネによる福音書10章31-42節
 ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒瀆している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。
 イエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された。多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。

9月29日
○ダニエル書12章1-4節
 その時、大天使長ミカエルが立つ。
 彼はお前の民の子らを守護する。
 その時まで、苦難が続く
 国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
 しかし、その時には救われるであろう
 お前の民、あの書に記された人々は。
 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
 ある者は永遠の生命に入り
 ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
 目覚めた人々は大空の光のように輝き
 多くの者の救いとなった人々は
   とこしえに星と輝く。
 ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」

○ヨハネによる福音書11章1-16節
 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成

2024年8月の主日聖書日課から

8月4日
○士師記6章36-40節
 ギデオンは神にこう言った。「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます。」
 すると、そのようになった。翌朝早く起き、彼が羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。ギデオンはまた神に言った。「どうかお怒りにならず、もう一度言わせてください。もう一度だけ羊の毛で試すのを許し、羊の毛だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください。」その夜、神はそのようにされた。羊の毛だけは乾いており、土には一面露が置かれていた。

○ヨハネによる福音書7章1-17節
 その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
 しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。
 祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。

8月11日
○ヨブ記28章12-28節
 では、知恵はどこに見いだされるのか
 分別はどこにあるのか。
 人間はそれが備えられた場を知らない。
 それは命あるものの地には見いだされない。
 深い淵は言う
 「わたしの中にはない。」
 海も言う
 「わたしのところにもない。」
 知恵は純金によっても買えず
 銀幾らと価を定めることもできない。
 オフィルの金も美しい縞めのうも
 サファイアも、これに並ぶことはできない。
 金も宝玉も知恵に比べられず
 純金の器すらこれに値しない。
 さんごや水晶は言うに及ばず
 真珠よりも知恵は得がたい。
 クシュのトパーズも比べられず
 混じりない金もこれに並ぶことはできない。
 では、知恵はどこから来るのか
 分別はどこにあるのか。
 すべて命あるものの目にそれは隠されている。
 空の鳥にすら、それは姿を隠している。
 滅びの国や死は言う
 「それについて耳にしたことはある。」

 その道を知っているのは神。
 神こそ、その場所を知っておられる。
 神は地の果てまで見渡し
 天の下、すべてのものを見ておられる。
 風を測って送り出し
 水を量って与え
 雨にはその降る時を定め
 稲妻にはその道を備えられる。
 神は知恵を見、それを計り
 それを確かめ、吟味し
 そして、人間に言われた。
 「主を畏れ敬うこと、それが知恵
 悪を遠ざけること、それが分別。」

○ヨハネによる福音書7章40-52節
 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。
 さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」

8月18日
○出エジプト記34章4-9節
 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

○ヨハネによる福音書8章3-11節
 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕

8月25日
○出エジプト記13章17-22節
 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

○ヨハネによる福音書8章12-20節
 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成

わたしの家は祈りの家でなければならない 祈りの重要性を思う ルカによる福音書一九章四一~四八節

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:牧師 金 南錫)

 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエス様は泣いておられたのです。そしてこうおっしゃいました。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」(四三、四四節)。
 これはイエス様の預言の言葉です。これから四十年後に、エルサレムの都はローマ軍によって、崩壊してしまうのです。そのことを「お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」と予告しているわけです。そして、なぜそのようなことが起こるか、「それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」とあります(四四節b)。
 つまり、イエス様がエルサレムを訪れようとしている今が、神の訪れのときなのに、エルサレムの人々はそれをわきまえなかったのです。それどころか、これからイエス様を十字架につけて、殺してしまうのです。イエス様はそのような未来を見据えながら、今、涙を流しておられるのです。
 四五節以下は、エルサレムの未来を見据えながら、泣いておられるイエス様が、エルサレム神殿に入って、行われた出来事が記されています。イエス様がエルサレム神殿の境内に入って、最初になさったことは商売人たちを追い出すことでした。当時、神殿には両替人がいました。というのは、いろんなところから集まってくるユダヤ人たちは、普段使っているお金をユダヤの貨幣に両替して、神殿にささげる必要がありました。そのときに、商売人たちは手数料を取るわけです。また、神殿で祈りをささげるには、いけにえの動物が必要でした。しかし、その動物を自分の家から連れてくるというのは至難の業です。ですから、エルサレム神殿の境内で、何倍ものする値段で買うようになります。
 このように、神殿の境内で商売をしていた人々は、神殿にやってくる人たちのお金を奪い取ったのです。祈りの家である神殿が商売のために変わってしまったのです。その姿を見て、イエス様は神殿の境内で商売をしていた人々を追い出して、言われました。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(四六節)。祈りの家としての神殿は、神様の御心を受け取って、悔い改めて、自分を変えていただく場所です。ところが、その神殿が、神様を利用して、自分の願いを成し遂げようとする強盗の巣になってしまったのです。イエス様は商売人たちを追い出して、神殿を清められました。そして、毎日、イエス様は神殿の境内で教えておられました。それまでお金を奪い取られた人たちは、もう「夢中になってイエス様の話に、聞き入るようになった」とあります(四八節)。
 このようにして、イエス様は強盗の巣になってしまったエルサレム神殿を祈りの家として、回復しようとなさいました。教会は祈りの家です。それでは、その祈りというのは、どういうことでしょうか。「自分の願いを聞いてください」とお願いする、そういう祈りなのでしょうか。イエス様が「わたしの家は、祈りの家でなければならない」と言われたときの「祈り」は、そういう祈りではないと思います。自分の願いを祈る、それも大事でありますが、それ以上に、神様の願いは何であるのか、神様の御心はどこにあるのか、それを祈ることです。そのために、神様が私たちを取り扱われる方法は、私たちの限られた頭脳では理解できないことが多いのです。むしろ私たちの願いに逆らって行われることが多いのではないでしょうか。「応えられた祈り」という詩があります。
 「功績を立てようと、神に力を祈り求めたのに、謙遜に服従するようにと、弱さを与えられた。より大きなことをしようと、健康を祈り求めたのに、より良いことをするようにと、病気を与えられた。幸福になるようにと、富を祈り求めたのに、賢くなるようにと、貧しさを与えられた。人々の賞賛を得ようと、力を祈り求めたのに、神の必要を感じるようにと、弱さを与えられた。人生を楽しもうと、あらゆるものを祈り求めたのに、あらゆるものを楽しむようにと、人生を与えられた。祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに、実は私が望んでいたすべてのものが与えられた。」
 この祈りのように、神様が私たちを取り扱われる方法は、私たちの願いに逆らって行われることが多いのです。しかし、結局のところ、私たちの祈りはいつも聞かれているのです。神様の導きによって、私たちは「祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに、実は私が望んでいたすべてのものが与えられた」という恵みにあずかるのです。また、その神の導きの中で、自分の願いではなくて、神様の願い、神様の御心を受け取っていくのです。

 百二十周年を迎えた佐倉教会

 今年、佐倉教会がこの地に建てられて、百二十周年を迎えます。この百二十年の歩みの中、佐倉教会は、戦前、戦後、時代の流れと共に様々な荒波や、混乱を乗り越えて、今日に至っています。改めて、佐倉教会の創立八十周年記念誌や、百周年記念誌を読みながら、石川キク先生時代、島津虔一先生時代、有馬尊義先生時代、黒田直人先生時代、それぞれの時代に、本当に多くの信徒たちの支えと祈りがあったからこそ、佐倉教会が今日までに至っていると思わされました。
 一九八四年、佐倉教会八十周年記念誌に、STさんが「祈りの大切さ」という短い文章を書いてくださいました。
 「埼玉県の礼拝出席者数が毎週五十名を超す教会で、高校生活、青年会を経験し、一家を持って当教会にお世話になっては早や十七年。移った当時は、故石川キク牧師、薄暗い会堂で、女性ばかりのもの静かな老人の教会という印象だった。私も信仰的にピンチだったため、しばらく遠ざかっていたが、やがて石川先生の神への信頼度一〇〇%の信仰に打たれ、己の愚かな態度を猛省し、再び礼拝に出席するようになったが、今でも私のどこかで先生がおられるような気がしてはならない。そして今の島津先生に引き継がれ現在至っているが、この佐倉教会は、確かに主にあって守られ、導かれている教会、牧師であることを感じる今である。さらに尚更祈りの重要性を思う。」
 STさんが四十年前に書いた文章です。その中で最後に「さらに尚更祈りの重要性を思う」と書いてありますが、その文章を読んでいるとき、まさに今佐倉教会に求められていることではないかと、思わされました。教会員一人一人が、自分の願いではなく、主の御心を求めていくときに、佐倉教会は「祈りの家」として変えられていくのでしょう。
 「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」
 教会はまさに祈りの家です。毎週、私たちはこの祈りの家に招かれて祈るのですが、それは、自分の願いばかりではなく、神様の願いは何であるのか、神様の御心はどこにあるのか、そう祈ることによって、自分も変えられていくし、佐倉教会も祈りの家へと変えられていくのです。それが「祈りの家」である教会の本来の姿ではないでしょうか。この恵みに生かされて、祈る人として共に歩んでいきたいと思います。

随想 緑奏でる主の庭を目指して 庭造りを始めて半世紀

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:KH)

 私たち夫婦が和と洋の庭造りを始め、半世紀以上になります。住居は佐倉市南部にある農村和田地区に位置し、国道五十一号線のそば、佐倉インターに三分。成田空港へは約十五分。国内外旅行には大変便利で快調と若い頃には喜んでおりました。しかし昭和五十年頃でしょうか、佐倉第三工業団地に大きな会社群が姿を見せ始め、巨大な建物が庭先から見えるようになってきました。いずれは、我が家の近くまで迫ってくるであろうことに一抹の不安を持たずにはいられませんでした。
 そのようなとき、当時主人が勤務していた佐倉市役所内に園芸部が発足。毎年市長さんはじめ職員家族を交え、大型バスにて埼玉県川口市の植木の町・安行(あんぎょう)や東京神代植物園等の緑化視察を兼ね、出かけるたび珍しい植物・植木等を買い求めては植えました。繰り返すうちに、我が家の自主緑化が進み、日本庭園造りに発展しました。
 後、私は四十半ばで職を辞し、茶道・生花教室を自宅にて開き、出稽古等に忙しく、充実感に満ちていました。本来ならこのような働きができることをまず神様に感謝すべきところですが、私は全く神様から離れていたのです。
 そのような折、永く兼業農家をしつつ会社勤めをしていた義母が六十歳定年を迎え、退職をした翌日、「この畑は和子さんに譲るから」と宣言。退職日さえ知らされていなかった私は、びっくり噓のような出来事でした。それでは花畑にでも、とのんびり気分でいました。しかし、現実は厳しく、肥沃な畑は手を加えなければ草は容赦なく生え、伸び茂ります。約二百坪ある畑を前に既に思考回路は断たれ、それでも自力本願でどうにかしなければと畑の前にたたずむことの日々。だんだん肩の荷が重くなり、うつ気味に。そんなある日、ふと「これは神様が私に与えてくれた畑」と素直に受け入れた時、不思議に(汝思い煩うことなかれ……主は耐えらぬ試練を与えられることはない、空の鳥を見なさい)等々主のいたわりある御言葉が次々と私を覆い包んでくれました。涙があふれ、感謝の祈りをしたことを今もはっきりと覚えています。本当に苦しいとき、主は祈りに応えてくれることを実感しました。
 その後、体調も徐々に回復。固まっていた頭も快調、創作意欲も全開。私たちの庭は「神様から預かった庭」をコンセプトに造っていこうと思い、取り組みました。
 主人は造形物を造るのが上手な人で注文した物をしっかりと造り上げてくれ、二人三脚でどんどん庭は変化していきました。
 五月の洋風の庭は、バラを中心に様々な草花が咲き乱れ、多種の蝶やトンボ、かわいらしい小鳥が庭を舞います。また、和風の庭は四季折々、木々に花をつけ、落ち着いた心静まる場となります。
 私は詩篇二三編が大好きです。
 「主は我が牧者なり我乏しきことあらじ、主は我を緑の野にふさせ憩いの汀に伴い給う 主は我が魂を 生き返らせたもう」 と 私たちの庭を訪れてくださる方たちが、安らかな気持ちで、ここにとどまってくれたら本当にうれしいです。
 庭も年数を重ね、充実期を迎えつつあるとき、英国The NGS(ナショナルガーデンスキム) 母体のNGSジャパンより庭園福祉活動を通しての協力依頼を受け、庭を開放し十年になります。
 主が「あなたの隣人を愛しなさい」と教えられたことを大切に思い、主人と共に造りあげてきた庭です。しかし、神様から預かった物はいずれ神様に返す日がきます。後はどうしようと思い煩うことなく、神様に委ね、これからも守っていきたいと思います。

随想 「ゆうゆうの里」の聖書を読む会 施設開設と同時に発足

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:YA)

 今から三十六年前の一九八八年五月、「佐倉ゆうゆうの里」の開所式に佐倉教会の島津虔一牧師が出席したと、記録にあります。施設の建設が計画されたとき、浜松の聖隷福祉事業団がその構想に関わったことに由来します。
 聖隷福祉事業団の始まりは一九三〇年に長谷川保青年をリーダーとする若いキリスト者たちが結核で苦しむ人たちを助けるために起こしたもので、彼らは資金も援助もない中で結核患者らの食べ残した食事を大鍋で煮て食べながら働いた、と言われています。長谷川保はその後もイエス・キリストの教えを実践する生涯を送り、後に参議院議員にもなりました。聖隷福祉事業団はその後も「ゆうゆうの里」に有形無形の支援をしてきました。「ゆうゆうの里」は設立当初からキリスト教とのつながりがあったのです。
 開設と同時に「聖書を学ぶ会」が発足しました。その翌年には入居者のFGさんが島津牧師によって受洗しました。さらに一九九四年十二月から九か月間、佐倉教会が新会堂建設の期間中、「ゆうゆうの里」の施設を借りて礼拝を行った歴史があります。以後、この集会は「賛美歌と聖書の会」、「賛美歌の会」と呼称を変えながら、有馬尊義牧師、黒田直人牧師の指導に引き継がれて、金南錫牧師の今日に至ります。
 現在は毎月第二火曜日の午前十時三十分から一時間、集会室を借りて「聖書を読む会」を開いています。昨年の出席者は平均十四名/月で、そのうちの半数が佐倉教会の会員、半数が入居者です。その月の誕生日の人を歌でお祝いしてケーキをいただきます。呼び物はその日の聖書の箇所を再現するパフォーマンスです。寸劇の演出は某教会員、配役は某牧師と夫人及び某教会員と夫人、その熱演はここだけにしておくのはもったいないほどです。さらにクリスマス特別集会などには佐倉教会の有志の皆さんや追加の入居者の参加があり、正に教会の伝道の一端となっていると言ってもよいでしょう。これは紛れもなく宗教活動であり通常の公共施設では問題視されても仕方がないはずです。なのに「ゆうゆうの里」は佐倉教会のこの活動には寛容であるばかりでなくスタッフの皆さんは大変協力的です。それは先にご紹介したようにこの施設がスタートしたときからキリスト教の理念を胚胎していたことを知れば不思議ではないでしょう。
 以上、簡単ながら「ゆうゆうの里」の「聖書を読む会」のご紹介をしました。佐倉教会の皆様のお出でを歓迎します。余談になりますが聖隷佐倉市民病院は国立病院であったものが民営化されたときに浜松の聖隷福祉事業団が経営に参画するようになりました。その故に、この病院の増築工事の起工式などの式典には必ず佐倉教会の牧師が招かれているのです。

随想 父と共に生かされて 皆様の祈りに支えられる

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:YK)

 「同期二十四人のうち、元気なのはあと三人になりました。N君は元気ですか?」長く勤めた職場の同期の方から、今年九十歳になった父宛てに電話がありました。その方とは同じ囲碁の趣味を持ち、親しくさせていただいたようです。体は徐々に弱って思うように動けないですが、神さまが守ってくださり、長く生かされているのだと改めて実感しました。
 母は二〇一六年一月、天に召されました。ある寒い朝、胸が強く痛むと救急車で病院に運ばれ、その日のうちに旅立ってしまいました。あまりに突然でした。父はその時期に腸が悪く、開腹手術を受けたばかりで入院中でした。「きょう悦子(母の名前)は来ないの?」父からの問いかけに、母の死を告げるのが何ともつらかったです。腸の病でやせ細った体を震わせて、病院のベッドで号泣していました。父を支える存在が急にいなくなってしまったので、そこから私と父が共に暮らす日々が始まりました。最初は要介護三でしたが、今では要介護五になりました。父と二人暮らし、はや七年。八年目に入ります。
 今より体が動かせた頃は、佐倉教会の礼拝に月に一、二度出席しておりました。「教会に行こう」と言うと、うれしそうに準備をしていたのがついこの前のようです。牧師の説教を聞き、讃美歌を歌い、安心したような表情をしていました。デイサービスに「今日は行きたくないなあ」と言ったことはありましたが、「今日は教会に行きたくない」と言ったことは不思議と一度もありませんでした。最近は礼拝のYouTube配信を視聴させていただいております。
 父は温厚な性格です。腹を立てず不平不満を言ったことがなく、人の悪口を言うのを聞いたこともありません。若い頃は何とも思っていなかったのですが、最近は父の人柄をいとおしく感じます。神様が私に与えてくださった大切な存在であると素直に思えるのです。
 数年前に私自身の体調が悪くなり、うまく睡眠も取れなくなり、体のあちこちが痛くなり、痛み止めの薬が手放せなくなった時期がありました。父の介護はもう無理かもしれないと諦めかけたこともありましたが、進むべき道へお導きくださいと祈りました。諦めかけた頃、不思議と体調が回復して痛みが減り、生きる力が湧いてきたのです。また介護生活が順調にいくようになりました。神さまが導いてくださったのだと心から感じました。
 この生活をいつまで続けられるか、先が見えないことは心配ごとの一つではあります。悩むことも多いですが、人の力で悩みを解決しようとしても、解決できたことはほとんどない気がします。神さまを信頼して祈り、すべてをお任せすることが大切だと思っています。
 とはいいつつ、理想通りにいかないことも多々あります。自分自身の欲深いところ、自分の現状に不平不満を感じるところ、イライラすること、人のことを羨む心、日々反省しています。謙虚さと感謝の気持ちを忘れず生活していくのが目標です。
 金牧師、会員の方々が自宅訪問をしてくださることに心より感謝しています。神様、教会、会員の方々とつながっていると感じます。皆様の祈りに支えられています。小さな存在でも愛されていることを教えていただく機会が多いです。
 父は外出できなくなり、礼拝には出席できませんが、神さまのことは忘れず生活しております。神様どうか穏やかな心で過ごせますようにお守りください。
(KNさんは、二〇二四年六月十七日、天に召されました)

随想 東京基督教大学での四年目の学び 神様の召しに応えて

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:SK)

 佐倉教会の皆様、お久しぶりです。現在は、八千代聖書教会という八千代市にある教会で礼拝生活を送っています。長期休みの際に佐倉教会に戻るといつも「何年生になったの?」と声を掛けていただく機会があります。私は大学四年生になりました。小学生のときからいつもそのように話しかけていただいていました。答えるといつも、「もうそんなに大きくなったのね!前はこんなに小さかったのに!」と言っていただいていたのを覚えています。自分自身、大きくなったなと実感することはあまり多くなかったように思いますが、皆様に成長を見守っていただけたことはとてもうれしいことです。しかし、最近は「大学四年生になりました」と言っている自分に大変驚きます。この間まで自分はあんなに小さかったのに……。皆様の気持ちがやっと分かるようになりました。(笑)
 さて、私は二〇二一年に東京基督教大学に入学をしました。時がたつのはあっという間で、もう四年生、最終学年です。と言っても同大学の大学院に進みたいと願っているので学生生活はもう少し続きそうです。ただ、学部の学びは最終学年になるので昨年よりも少し特別な思いを持っています。入学する前は聖書を一人で読むことなんてあり得なかった私が今では、聖書を書かれたそのままの言語で、つまり旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で読むことができるように勉強しています。また、今年は卒業研究にも取り組んでいます。「幼児洗礼」についての研究を進めたいと考えています。まだテーマを絞る作業をしている途中なのですが、私自身もこの佐倉教会で幼児洗礼を授けられ、教会に育てられましたので実存的なテーマでもありとても楽しく研究を進めています。
 東京基督教大学はとてもユニークな場所です。年齢、国籍、性格、また教会の教派、信仰の背景などそれぞれ全く異なる人たちが同じ神様を見上げて学んでいます。社会での働きを経験してから学ばれている人生の先輩が同じ学年の仲間として与えられています。先輩なのか、友達なのか、はたまた兄弟のように感じる瞬間もあり、共に祈り支え合いながら学んでいます。また、留学生の割合は全体の三分の一ほどとなっており、英語を使ってコミュニケーションを取る機会も割と多くあります。英語を話せるようになったのか……会話は理解してもらえる程度……と表現するのがよいでしょうか。(笑)拙い英語ではありますが、コミュニケーションを取ることができ、留学生と信仰や神様の話をすることもあります。言語の壁を越えて、同じ神様を賛美し礼拝できる喜びがあります。
 また、「賛美」は新しい世界に出会った感覚があります。「ワーシップソング」と呼ばれる讃美歌のよりポップな音楽があります。ギターやドラムなどバンド演奏を用いて賛美をささげます。母が教会でオルガンを弾いていますが、私は「カホン」という箱のような形をしたドラムのような役割をする楽器で奏楽をすることがあります。また今は「ギター」や「ドラム」などの楽器を練習しています。賛美にも様々な形があるのだなということを教えられ、それぞれに良さがあって、神様を賛美することにも多様性があり、神様が与えてくださった「賛美」の恵みの深さを体験しています。
 もっと皆様にお話ししたいことがたくさんあるのですが、そろそろまとめに入らなければいけないようです。私は牧師になるために学んでいます。いずれはどこかの教会に遣わされ、送り出していただくことになります。ずっと佐倉教会にいたい気持ちもありますが、神様の召しに応えてこの身を献げたいと願います。どこで働くとしても、この佐倉教会を通して私が神様に育てていただいたことは変わりがありません。神様を理解することは本当に難しいことであると、学んでいる中で度々思います。しかし、私が信頼できるのは神様しかいないことも教えられています。佐倉教会の皆様お一人お一人にも神様は触れてくださり、日々御言葉を語ってくださっています。神様と共に歩む人生が祝福され、喜びのあるものとなりますように心から祈ります。
「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
 そうすれば
 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」
 (箴言三章五、六節))

随想 一枚の宝物の絵葉書 「神様はどんな時でも」

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:KO)

 今、私の手元に一枚の古びた絵葉書があります。何年もの間、私の暮しの中で大切にしてきたものです。私の「宝物」といってもいいでしょう。
 いつの頃だったか定かではありませんが、ある人が「お元気ですか?」という言葉を添えて、送ってくれたものです。はじめは私が育った瀬戸内の海の、波がひたひたと寄せては、静かにすーっと返す浜辺の情景を思い起こして懐かしく、手にするのがうれしい一枚でしたが、その絵葉書の波打ち際に続く一筋の足跡が、ブラジル人の詩人アデマール・デ・パロスの『神われらと共に(浜辺の足跡)』に基づく情景であることに気づくのにそう時間はかかりませんでした。その詩の全文を知りたいと思いながら、時は過ぎましたが、セピア色に色あせはじめたある日、曽野綾子の『老いの才覚』を読んでいて、『神われらと共に(浜辺の足跡)』の全文をとうとう発見したのです。「これだ!」と私は心の中で狂喜しました。
 『神様はどんな時でも共に居てくださる』
 佐倉を離れ、所沢で過ごした五年間は、壁のよく見えるところにその絵葉書を貼って、その詩を思い浮かべながら日々眺めて暮らしていました。近くに教会はなく、コロナ禍の上に体調不良が重なり、出歩くこともままならなかった五年間の中で、この一枚はセピア色に色を変えながら、私にとっての支えになってくれました。
 『神様はどんな時でも共に居てくださる』
 その思いをより深めてくれ、そして〝祈り〟へと導いてくれたのです。そして今、再び佐倉に戻り、すっかりセピア色に変わってしまったその絵葉書を壁に貼って、部屋の窓から、そよ風に揺らぐ新緑の木々の向こうの遠くの空を眺めながら、加齢にあらがうことなく、神様に導かれるままに、平穏な一日一日を暮らしたいと願っているところです。

随想 母との時間 神様からのプレゼント

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:MO)

 昨年十月に母が亡くなり、千葉に連れてきて我が家で一緒に暮らした部屋をいろんな想いを抱えながら整理しています。暖かくなるのを待って四月に父が待つ霊園に納骨しました。この霊園は日当たりがよく長男である弟の家の方を眺める高台だから気に入っているとまだ父が元気だった頃、帰省した私を連れていき説明され、お墓の日当たりねえ……と思ったことを思い出しました。霊園の近くには賀川豊彦記念館やドイツ人捕虜収容所であったドイツ館もあり、父につながる思い出が多い所でなるほどと納得したものでした。
 納骨すれば気持ちに区切りがつくと思っていましたが逆にいろんな思い出が湧き出てきて部屋の整理も心の整理も全くできなくなりました。今でも部屋のボードに「蒸気船堂浦防潮堤に描く」という新聞の記事が貼ってあります。私の友人が送ってくれた新聞記事で、鳴門市の海辺の町で八十五才まで育った母には懐かしい記事であり、私には蒸気船が定期船として就航していたことを初めて知り驚いた出来事でした。
 母の字で眉山丸、鶴羽丸、と書いてあり、四泊五日、伊勢、京都、奈良、大阪と書いてあります。とてもきれいな字を書く母でしたが、九十才を過ぎてからは指が曲がってしまい字が書けないと悲しんでいました。この船に乗って小学校のときに伊勢、京都などの修学旅行に行ったことや、二〇一八年十二月の『ぶどうの枝』に「転入者より」として書かせていただいた中で、小学校三年生のときに友達に誘われ初めてキリスト教の家庭集会に出席し教会が大好きになり、女学校一年生の十二月八日、太平洋戦争が勃発し家庭集会が中止になるまで、町から船に乗って港に着かれる牧師先生を出迎えていた、その船であることを私は知ることができました。絵を見ることでイメージが湧き、歴史的なことも知り、母が小学生の頃から家庭集会に行っていたことは何も知らなかったので驚きでした。そのことで母が洗礼を受ける下地を持っていたことが理解でき、これは母が父の亡き後、千葉に来てくれなければ分からなかったことでした。
 まだ元気で毎晩電話をかけてきていたとき、話が終わると二人で一緒に「主の祈り」を唱えます。ろれつが回らなくなってからも母は、使徒信条までスラスラ言うので驚くと「言えるよ」と得意な声で言いました。その母の声が心に残っています。
 まだいろんな思いが交錯しますが、母と過ごした千葉での生活は、子供の頃に忙しかった母との時間を埋めてくれた幸せな時間であり、神様からのプレゼントだったと思います。
 体調のこともあり、まだ気持ちの安定が伴わない日々ですが、良き思い出に支えられながら焦らず整えていけたらと願っています。

報告 虹の会(信徒懇話会)発足の経緯 開かれた集いを目指して

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:FI)

 佐倉教会は二〇二二年まで、「麦の会」(壮年男性)、「婦人会」の二つのグループに希望者が毎月集い、学びと情報交換の交わりの場がありました。しかし、コロナ禍と同時に高齢化も進み、二つの会の出席者数も減少したことに加え、今日的理由として、男性・女性のどちらにも当てはまらない性、LGBTQが一般的に広く認識されるようになり、佐倉教会も性別を超え、どのような人でも自由に参加できる居場所が用意された、キリストの愛に根差した教会でありたいとの願いから、協議の上で合同に至りました。
 次に、会の名称を募集しましたが、三件の応募があり、多数決で「虹の会」と決まりました。「虹」という言葉は、創世記九章一二~一三節、「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。」から来ています。
 私たちの二つの会に希望の虹が架けられ、前途を祝福されているように思えました。
 発足後の会は、信徒に限らず希望者が集い、近況報告や考えなど自由に発言して交流しています。最近は新来会者も加わって裾野が広がりつつあり、ジェンダー平等の観点からも、佐倉教会の開かれた集いとなっています。会の始めに歌う讃美歌は、どなたかにリクエストしていただいていることも話題のきっかけになっています。
 「男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤの信徒への手紙三章二八節)
 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソの信徒への手紙二章一四~一六節)