2023年9月の主日聖書日課から

9月3日
○箴言25章2-7a節
 ことを隠すのは神の誉れ
 ことを極めるのは王の誉れ。
 天の高さと地の深さ、そして王の心の極め難さ。
 銀から不純物を除け。
 そうすれば細工人は器を作ることができる。
 王の前から逆らう者を除け。
 そうすれば王位は正しく継承される。
 王の前でうぬぼれるな。
 身分の高い人々の場に立とうとするな。
 高貴な人の前で下座に落とされるよりも
 上座に着くようにと言われる方がよい。

○ルカによる福音書14章7-14節
 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

9月10日
○サムエル記下18章31節-19章1節
 そこへクシュ人が到着した。彼は言った。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました。」王はクシュ人に、「若者アブサロムは無事か」と尋ねた。クシュ人は答えた。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」
 ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」

○ルカによる福音書14章25-35節
 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
 「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」

9月17日
○創世記37章12-28節
 兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、イスラエルはヨセフに言った。
 「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」
 「はい、分かりました」とヨセフが答えると、更にこう言った。
 「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。」
 父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き、野原をさまよっていると、一人の人に出会った。その人はヨセフに尋ねた。
 「何を探しているのかね。」
 「兄たちを探しているのです。どこで羊の群れを飼っているか教えてください。」
 ヨセフがこう言うと、その人は答えた。
 「もうここをたってしまった。ドタンへ行こう、と言っていたのを聞いたが。」
 ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。
 兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した。
 「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」
 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。
 「命まで取るのはよそう。」
 ルベンは続けて言った。
 「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」
 ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。
 ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。
 彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。ユダは兄弟たちに言った。
 「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」
 兄弟たちは、これを聞き入れた。
 ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。

○ルカによる福音書15章11-32節
 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

9月24日
○アモス書8章4-7節
 このことを聞け。
 貧しい者を踏みつけ
 苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
 お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。」
 主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
 「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
 いつまでも忘れない。」

○ルカによる福音書16章1-13節
 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』
 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2023」(日本キリスト教団出版局、2022年9月28日発行)より作成

2023年9月 教会学校ニュース25号

 夏休みが終わり、学校が再開します。
 夏の暑さはまだ続いていますが、朝夕には涼しさも感じられるようになりました。
 学校での学びとともに、教会学校において主イエス・キリストによる神様の救いを学びませんか。

2023年8月の主日聖書日課から

8月6日
○出エジプト記22章20-26節
 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
 寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。
 もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。

○ルカによる福音書10章25-42節
 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

8月13日
○エゼキエル書12章21-28節
 また、主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、イスラエルの土地について伝えられている、『日々は長引くが、幻はすべて消えうせる』というこのことわざは、お前たちにとって一体何か。それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。『わたしはこのことわざをやめさせる。彼らは再びイスラエルで、このことわざを用いることはない』と。かえって彼らにこう語りなさい。『その日は近く、幻はすべて実現する。』もはや、イスラエルの家には、むなしい幻はひとつもない。気休めの占いもない。なぜなら、主なるわたしが告げる言葉を告げるからであり、それは実現され、もはや、引き延ばされることはない。反逆の家よ、お前たちの生きている時代に、わたしは自分の語ることを実行する、と主なる神は言われる。」
 主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、イスラエルの家は言っているではないか。『彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである』と。それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される、と主なる神は言われる。」

○ルカによる福音書12章35-48節
 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

8月20日
○アモス書5章18-24節
 災いだ、主の日を待ち望む者は。
 主の日はお前たちにとって何か。
 それは闇であって、光ではない。
 人が獅子の前から逃れても熊に会い
 家にたどりついても
 壁に手で寄りかかると
 その手を蛇にかまれるようなものだ。
 主の日は闇であって、光ではない。
 暗闇であって、輝きではない。
 わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。
 祭りの献げ物の香りも喜ばない。
 たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても
 穀物の献げ物をささげても
 わたしは受け入れず
 肥えた動物の献げ物も顧みない。
 お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。
 竪琴の音もわたしは聞かない。
 正義を洪水のように
 恵みの業を大河のように
 尽きることなく流れさせよ。

○ルカによる福音書13章10-17節
 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

8月27日
○出エジプト記23章10-13節
 あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない。
 あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。
 わたしが命じたことをすべて、あなたたちは守らねばならない。他の神々の名を唱えてはならない。それを口にしてはならない。

○ルカによる福音書14章1-6節
 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」彼らは、これに対して答えることができなかった。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2023」(日本キリスト教団出版局、2022年9月28日発行)より作成

2023年8月 教会学校ニュース24号

 暑さの厳しい夏となりました。
 夏休みの間も教会では、毎日曜日、教会学校を開いています。
 ぜひ夏休みの間に一度、教会において神様が私たちに与えてくださったイエス・キリストの福音に耳を傾けませんか。

 

2023年度 年間行事

時刻集会・行事
4910:30イースター合同礼拝
5510:30さつまいもの苗を植える会
52810:30ペンテコステ
61110:30花の日合同礼拝
72211:00さつまいもの観察・流しそうめんの会
91710:30敬老・子ども祝福合同礼拝
1022礼拝後教会修養会
11510:30召天者記念礼拝
11514:00墓前礼拝
112610:30教会創立記念礼拝
122410:30クリスマス合同礼拝
1224イブ礼拝
1225午後子どもクリスマス会
1710:30新年礼拝
211礼拝後お餅つき会

恐れることはない ただ信じなさい 主イエスに委ねて歩む ルカによる福音書八章四〇~五六節

○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)

 二〇二〇年から始まった新型コロナウイルス感染症によって、約三年間、いろいろな活動や計画が中断されました。今日の聖書箇所に出てくる会堂長ヤイロも、そうした計画を中断された一人です。
 イエス様がゲラサの地からガリラヤ湖を通って、戻ってこられると、群衆は喜んで迎えました。またそれだけではなく、待っていたのです。その中、ヤイロという人が来て、イエス様の足もとにひれ伏し、自分の家に来てくださるように願いました。それは、十二歳ぐらいの一人娘が死にかけていたからです。そして、イエス様がそこに向かう途中で、群衆が周りに押し寄せて来ました。一分一秒を争う中、群衆が道を阻むわけです。
 そこに、一人の女性まで現れます。彼女は十二年間も出血が止まらない病を患っていました。当時、そのような病気の女性は、ユダヤの律法によって、汚れている病気とされて、言わば日陰者のような生活を強いられました。自分の病気が治らず、絶望の中を生きていたのです。医者に全財産を使い果たしましたが、誰からも治してもらえなかったのです。そういうときに彼女は、イエス様と出会ったのです。彼女はこの方によって、病気を癒やしていただけると思い、群衆の中に紛れ込んで、後ろからイエス様の服の房に触れたのです。
 彼女は必死でした。イエス様の服の房に触れたときに、その出血が止まったのです。癒やされたのです。彼女は、その癒しを自分自身感じながらも、一切秘密にして、このまま去ろうと思っていました。しかし、イエス様は自分の内から力が出ていったのを感じて、「わたしに触れたのはだれか」と言われました(四五節)。周りの人はびっくりしました。皆、「私ではない」と答えます。すると、ペトロが見かねて「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言いました。つまり、これほど密になっているのだから、誰が主イエスに触れたのか分かるはずがない、と言いたかったのです。
 では、イエス様はなぜこの人を探すのでしょうか。また、イエス様が「わたしに触れたのはだれか」と尋ねていますが、イエス様は本当に分からなかったのでしょうか。そうではないと思います。ここでイエス様はある意図があって「わたしに触れたのはだれか」と尋ねていたのです。それは、彼女を公の場に引き出して、励まし信仰を育てるためです。
 四七節に「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した」とあります。この女は皆の前で、証をしたのです。なぜ主イエスに触ったのか、その理由とたちまち癒やされた次第を証しました。この十二年間どんな思いで、人生を歩んできたのか。その中、主イエスの服に触れれば治るという必死の思いをもって、イエスの服の房に触ったときに、出血が止まったことを証しました。この証は、彼女の信仰告白となりました。
 その信仰の証を表した彼女に、イエス様は言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(四八節)。 このイエス様の言葉は、共同体の生活に復帰するために、必要な宣言でした。こうして十二年間も、出血の止まらない病を患っていた一人の女が、イエス様と出会い救われました。癒やされました。

 会堂長ヤイロの恐れ

 ところが、この救いの出来事を目撃した会堂長ヤイロは、心の中で「イエス様、一人娘が死にかけているんです。早く切り上げて、私の家に向かっていきませんか」と叫んでいたと思います。そして、何が起きるのでしょうか。「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。『お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。』」(四九節)。ヤイロは家から来た人から、お嬢さんは亡くなったという知らせを聞くのです。これを聞いたときのヤイロの反応は、聖書に書いてありません。むしろ、イエス様が傍らで驚いているヤイロに、直ちに語りかけるのです。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
 恐れというのは、心配することです。今ヤイロは、イエス様なら助けてくれるかも知れない、癒やしてくれるかもしれない、その望みをかけて出かけてきたのです。それなのに、途中で十二年間も出血が止まらない女が現れ、彼女から「イエス様」と呼び止めたわけでもないのに、誰かがわたしに触れたとイエス様の方から、探し出すわけです。ヤイロにとっては、この割り込み、中断さえなければ、助かったかもしれない、そう思ったのかもしれません。
 私たちの人生の中でも、このように中断せざるを得ない出来事、想定外の出来事が起こります。まさに三年間続いたコロナ禍がそういうことです。そのコロナ禍によって、私たちは活動を制限され、立てた計画を中止、変更され続けてきました。そのときに、「なぜですか」と問うのが私たちであります。しかし、想定外のことで計画などが中断されるときに、神様は私たちの目をご自身に向けさせるのです。そして、言われるのです。「恐れることはない。ただ信じなさい。」
 今ヤイロは、イエス様から「恐れることはない。ただ信じなさい」という言葉、また彼の家から来た人から「娘は死んだ。もうイエス様には来てもらう必要はない」という言葉、この二つの言葉を同時に聞いています。このとき皆さんがヤイロなら、どちらを選ぶでしょうか。目の前の現実に苦しみ、悩み、恐れても、イエス様の言葉を選んでいくのが信仰です。この後、イエス様はヤイロの家に向かっていきます。つまり、ヤイロはイエス様の言葉を選んだのです。そして、そこで娘が命を吹き返すことを体験することができました。
 三年間のコロナ禍を通ってきた佐倉教会は、二回の教会員懇談会を経て、今年から新しく選出された役員と共に、新しい歩みを始めようとしています。高齢化の中、誰がご奉仕できるのか、という不安の声もありますが、こういうときこそ、何を信じ、どんな言葉に耳を傾けるのかが問われます。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」(四八節)。これからの歩みの中、想定外の出来事が起こるかもしれません。でも先のことを神に、主イエスに委ねていこうではありませんか。そして、「恐れることはない。ただ信じなさい」と語りかけてくださる主イエスの言葉に耳を傾けつつ、またその言葉に励まされて、共に歩んでいきたいと思います。

転入会者より 初めまして お世話になります

○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:YS)

 御名を讃美します。ユーカリが丘教会から新規転入会しましたYSと申します。
 昭和十四年六月十八日に旧満州国撫順市(ぶじゅんし)にて出生、父の病死に伴い家族四人で鹿児島市へ帰国。ラサール高校二年時にウイルキンソン宣教師の司式で鹿児島バブテスト鴨池教会において受洗しました。
 一浪した後、京都大学薬学部に入学。卒業後武田薬品工業研究所に就職。六年の勤務の後、一念発起して大阪大学蛋白質研究所に戻りました。
 二年間の研究所生活を経て、星薬科大学の衛生化学研究室に就職。ドイツフンボルト財団の給費でドイツギーセン大学薬理学研究所へ二年間留学しました。
 ドイツではギーセン教会のワイデマン牧師ほか皆様にお世話になりました。二年後に帰国。その後ユーカリが丘教会を経てこの度転入会いたしました。

転入会者より 生まれ育った信仰は恵み 何度も生を与えられた人生

○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:MT)

 本年四月の復活祭礼拝において、佐倉教会に転会させていただきました。それは私にとっては、新たなる生を与えられた日でもありました。転入式の間に、私の命は神さまに与えられていると確信しました。
 明治時代初期に曽祖父母が同時に受洗してからのクリスチャンファミリー第四世代として、七十五年前に最初の生を与えられた私は、二年後に教団戸山教会(東京・新宿)にて幼児洗礼を受けました。
 幼児期から日曜学校に通い、兄弟姉妹のいない一人っ子であった私は、そのまま大人の礼拝に「参加」していたのです。当時、十歳ほど年上で、戸山教会の現役長老によると、私が礼拝中、皆が讃美歌を歌っているときですら、礼拝堂内を「自由に」歩き回っていても、それは誰からもとがめられていなかったそうです。
 アメリカ人宣教師が、聖書研究会で講話をしてくれたときには、それを父が通訳していました。私は、その始まりには母の膝の上に「おとなしく」座っていましたが数分すると、そこからするりと降りて、勝手気ままに大人たちの間を動いていたそうです。恥ずかしながら、私の信仰生活はそのように始まっていたのです。
 ともあれ、私が今回の転入式の最中に思い出したことがあります。日曜学校の先生から、「クリスチャンがイエスさまの誕生と復活をお祝いするのは、私たち人間はそれぞれの人生の中で、何度も生まれる経験をする。それは神さまからの祝福の印なのだよ」という趣旨のことを話してくれたことです。
 私は日曜学校のほか、クエーカー系の幼稚園に通いました。現在に至るまで影響を受けています。公立中学卒業にあたって、父の勧めで青山学院(曽祖父仙が創立者の一人)高等部を受験することになりました。幸い合格はしましたが、高等部入学よりも中学卒業の頃で思い出すことがあります。その頃、一人の親戚から、卒業というのは「これで終わり」ということではなく、英語でコメンスメントと言い表されるように、今から始まる」の意味なのだ、というのを学んだことです。言い換えれば、入学式だけではなく卒業式も「新たな生」を与えられるときだったのです。その意味では、何事につけ終了する、修了する、別れる、死去するなどは全て、生まれることでもあるのでしょう。
 青学高等部は授業の合間に礼拝のある学校でした。宗教部に入った私は「大人の聖書」を読むようになりました。三年生のときでしたか、講堂に集められた全校生や教員の前で、証しをする機会を与えられました。多人数の前で話をする最初の経験でした。何を話したかは覚えていません。
 堅信礼(教団戸山教会)を受けたのもその頃でした。私がキリストにあって生まれる(生きる)意義を強烈に体感したのは、宗教部の夏休みの活動、「キャラバン」でした。埼玉、千葉、神奈川など近隣地方都市や農村へ、教員(物理の先生でした)に引率され「キャラバン」と称して、そのときの日曜学校のプログラムを担ったのでした。自分たちと年齢差のある小中学生と接することで、教えることは教えられることを学びました。
 青山学院大学教育学科に進学しました。教師になりたいということよりも、教育というものの社会的意味と可能性について関心があったからです。教会ではなぜか、青年会長を務めていました。キリスト教界というコミュニティにどっぷりつかった「ごく普通の真面目な青年キリスト者」でした。
 私の人生観を大きく揺るがしたのは、やはり大学一年夏(一九六六年)のことでありました。国際エキュメニカルワークキャンプを体験したからでした。世界各国の青年たちが集いました。東京奥多摩にて、福祉施設の敷地整備をし、汗を流したのです。宗派を超え、国際基督教大学チャップレン夫妻、イエズス会神父、カトリック修道女は日本人でしたが、三、四名の日本人学生以外は国際色豊かな若者たちでした。共に祈り、支え合い、丸二週間、寝食を共にしたのです。毎日が新発見の連続でした。幾つもの言語が飛び交っていましたが、共通語は多様ながらも英語でした。
 教育学専攻の私は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に興味を持つようになりました。当時の私の夢は、ユネスコ職員になることでした。それはそれとして(実現しませんでしたが)、日本ユネスコ連盟という団体が学生国際交流の一環として、韓国訪問ツアー計画のあることを知ったのです。早速応募しました。それは、いわゆる日韓条約締結の一九六五年十二月から一年も経過していないときでした。
 滞在は一週間ほどでしたが、生まれて初めての外国で、韓国人学生やホストファミリーの温かい対応に恵まれました。一つ、ビジュアルに私の記憶に残っているのは、ソウルの夜の街中にたくさんの灯り付きの十字架が輝いている風景です。
 帰国後、父にそういった報告をしました。そこで初めて知らされたことがありました。「明治十四年、朝鮮朝廷は新生日本に使節団を派遣した。アンジョンスは農業担当であったため、農学者仙(私の曽祖父)を訪問。仙は農業事情講義のあと、〈山上の垂訓〉の掛け軸の寄贈を申し出た。アンは朝鮮では基督教が禁止されているためと、辞退した。ともあれ、そういう交流が、朝鮮にキリスト教(プロテスタンティズム)がもたらされる契機となった」とのことです。私は不思議なつながりを感じました。
 さて、私は大学二年の春休み(一九六八年)に一人、米国とカナダをバスで一周する旅をしました。六六年夏のエキュメニカルキャンプ、親交、そして信仰を深め合った仲間を訪ねながら移動したのです。ちょうどベトナム戦争の真っただ中でもありました。各地の大学キャンパスでは、反戦と和平のための運動が盛んでした。男子学生とっては自分たち、女子大生にとってはボーイフレンドの命に関わる切実な問題だったのです。ベトナムに行けば死ぬかもしれない、敵を殺すかもしれないのが戦争であることを現実として認識していたのです。
 同じアジアの隣国ベトナムが南北に分断され、戦争を起こしていたのです。そこに生きている人々について、知識も関心も全く持っていなかったこと、つまりは平和ボケしている日本人である自分に気付かされました。
 更に強い印象を受けたのが、アメリカ人、カナダ人を問わず学生たちに見られる、キリスト教諸宗派のみならず、宗教の壁を超え、「無神論者」をも含めて、和平の実現を求める姿勢のあることでした。
 以上述べてきた様々な見聞があり、大学卒業までには、少しばかり、日本人らしくない日本人(?!)、クリスチャンらしからぬクリスチャン(?!)になっていたようです。
 卒業後に決意した私の進路は、フィリピン国立大学大学院への進学でした。日本人留学生はほとんどいませんでしたが、ホストファミリーに恵まれました。たまたま、フィリピンは国民の九割近くがクリスチャンという、アジア最大の「キリスト教国」でしたので、私はまたまた新しい社会に生まれることになりました。文字通り、エキュメニズムの精神をもって社会変革をしていこうとする強い人々に出会ったのです。生涯の友となる配偶者も与えられました。
 それからおよそ五十二年間がたちました。生を幾度も与えられている恵みに感謝するこの頃です。
 私たちは転入会したり入学したりするだけでなく、卒業する、修了する、終了する、別れる、など生きているうちには、何度でも生まれるのです。確実に一回だけの出来事は死去することです。しかしそれが天国に召される(召天する)ときなのでしょう。

奨励 最も影響を受けたヒト 闘病生活の中での確信と喜び

○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:FH)

 私が佐倉教会に転入会を許されたのは二〇二一年八月で、その前年の九月に埼玉から千葉へ引っ越してきました。そして、その契機は、二〇一六年二月に妻が五十二歳で天に召されたことにあります。
 妻は四十二歳で乳がんと診断され、四十四歳のときに胸腰椎に転移が見付かりました。乳がんと診断されたときは、看護師だったせいか、病名を聞いても大きな動揺はなく冷静に受け止めることができたと言っていましたが、転移が見付かった際には、これだけの痛みや苦しみに耐えて治療を進めてきたのに再発してしまった、もう完治は望めないのではないかという脱力感が大きかったように見えました。
 召される一年くらい前から痛み止めにモルヒネを常用するようになり、半年前には一人で通院することも難しくなりました。
 一月に入って、主治医から「打つ手がなくなってきている」と告げられた際には「まだ心の準備ができていません。でも、主に叫んで助けを求め続けていくしかありません。どうぞ共に祈ってください。」と何人かの方々へメールしていました。また月末に緊急入院して「腫瘍マーカーが三週間で三倍になっている」と言われたときには「体が辛いと気持ちが萎えそうなりますが、そばにいてくださるイエスさまに安心して、癒やしの御手を信じて過ごします」「やはり神様を信じるクリスチャンとして神様に呼ばれたときは穏やかに従いたいと思います。それが私の生き方だから。」とメールしていました。
 召される十日ほど前に、私は担当医から「余命数ヶ月、今の状態だと数日でもおかしくない」と話をされ「会わずじまいになっている友だちにも近況報告をしたら?」と説得して、妻の想いを私が口述筆記した手紙は「今後のことは、よく解りませんが、全て御存知で壮大な御計画をされている神様を信じて、一日一日を過ごそうと思います。不安や恐れがないと言えば嘘になりますが、不思議に心は平安です。出会いを作ってくださった神様の恵みに心から感謝しています。本当に、ありがとうございました。」と結んでいました。たぶん、状況が解っていたのでしょう。
 新約聖書の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一 五章一六~一八節)は、妻が『私の葬儀の備え』にメモしていた箇所です。妻は、最期の一~二年、少し聖書を読み祈って就寝することを習慣にしていました。がんになって、失ったものは測り知れなかったと思いますが、神様がいつも一緒にいてくださるという確信と喜び、今日一日を何事もなく送れたという安堵と感謝を心の底から感じるようになったように見えました。
 もう一か所、旧約聖書の「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書二九章一一節)もメモしてありました。「どうして自分がなったんだろうなぁ」といった思いが、聖書を読み祈る中で、人間の目には災いと見えても、神様が私たちのために立てられた計画には、全て平安と希望があると信じられるようになっていったのだと思います。
 私自身「ナゼ妻をお取り去りになったのですか?僕が自分のことしか頭になく、妻に想いが至らなかったせいですか?」と何回となく祈り尋ねました。答えがおぼろげながら浮かんでくることはあっても、ほとんどの場合、神様は沈黙されたままです。しかし、人生を歩む中で、時にナゼと問わざるを得ないことが起こっても、たとえ神様は沈黙されたままであっても、いつでも祈り尋ねることができる唯一無二の方がいらっしゃること、そして喜びのときも悲しみのときもその方が共に人生の歩みを担ってくださっていることは、本当に有り難いことです。
 今、私は新しい家族との歩みを始めています。新しいパートナーとは、お互い五十年、六十年と生きてきたわけですから、それぞれの生活習慣や価値観があって、時にぶつかることもあります。でも、全て神様が立てられた計画、妻も応援してくれているに違いないと信じ、思い悩んだら信頼できる唯一無二の方に祈り尋ねることを繰り返しながら、乗り越えていこうと思っています。
 そして、妻のように、喜びと感謝を絶やさない揺るぎないクリスチャンになれればと思っています。
 (本稿は、本年二月十二日におけるHさんの礼拝奨励からご寄稿いただきました)