随想 お空にいったんだよ ひ孫に見送られた母

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:MO)

 「ママのおかあちゃんのおかあちゃん(おばあちゃんのこと)お骨になってかわいちょう。」
 四才のみいちゃんが言うとお兄ちゃんのゆうちゃん(六才)が「お空に行ったからかわいそうじゃないんだよ。魂になってお空から見ていてくれるんだよ。」と優しく言うとまだ熱い熱気を放つ骨になった母を小さな手を組み、祈りのポーズで二人はじっと見ていたのです。
 火葬場での出来事に私は小さい二人が怖がるのではないかと少し心配していたので驚きました。真剣に手を組み見ている二人に、どこでそのようなことを教えてもらったのだろうと思いました。主人が「ゆうちゃんはストレッチャーで窯に入っていくのをずっと手を振って見送っていたよ。」と教えてくれました。
 後日少し落ち着いたときに娘にそのことを尋ねるとおばあちゃんの状態が良くないと聞いたときから この本をチビ二人には読み聞かせていたんだ。と教えてくれました。
 絵本は、「わすれられない贈り物」(作・絵スーザン・バーレイ、訳小川仁央)です。
 賢くて、いつもみんなの頼りにされているアナグマ。大変歳をとっていて、知らないことはないというぐらい物知りです。だからこそ、自分が死ぬのがそう遠くはないことも、知っていたのです。アナグマは死ぬのを恐れてはいません。だけど、残していく友達のことが気がかりです。みんなへの手紙を書き残したその夜、アナグマは不思議な、そして素晴らしい夢を見たのでした。
 年齢を重ね、経験が増えていくと「死」というものが残された人のものであるということがよくわかっていきます。そして「死の悲しみ」は説明できることなんかじゃない、ということも。
 この絵本は、残していく者と残されていく者を丁寧に描きます。死を迎えるということは、どういうことなのか。亡くなった人とどう向き合っていけばいいのか。正解なんかないからこそ、それぞれが読み解き「アナグマの死」を通して愛情や友情、知恵を受け継ぐ大切さ、それぞれの生き方を考え、悲しみを乗り越える力となる一つの「きっかけ」となるのを願って書かれたと思います。娘が絵本を通して小さい子供たちと話を重ねていたから子供たちも小さいなりに理解し考え、ゆうちゃんが「お空に行って見ていてくれる。」と安心して手を組み見送ってくれたのだと分かりました。
 娘は小さいときから本が大好きで母がたくさん本を買ってくれました。お人形を手作りして娘のお洋服とお人形の花ちゃんのお洋服はいつもおそろいでした。たくさんの愛情をもらって育った娘が 母のひ孫にあたる、みいちゃんとゆうちゃんに本を読み聞かせ、二人が小さな手を組み、ひいおばあちゃんを見送ってくれた。お空から魂になって見ていてくれる、と理解して。これは幸せの循環だと思いました。
 父が亡くなり千葉へ転居した母は、東京にいる孫、ひ孫に会う機会が増え幸せな晩年だったと思います。佐倉教会に転入させていただき教会に居場所があるというのはとても安心すると言っていました。同年代のお友達もできて良い交わりをさせていただき感謝しております。
 特に、TKさんとは同じ施設に入居して知らない土地で生活する上での心細さを埋めていただき有り難いことでした。Kさんに、みいちゃんとゆうちゃんのママである娘と息子のMは中学・高校時代、英文法を習っており、母はKさんと自分の孫の話もできたのです。なんという幸せ。いろんな交わりの中で過ごした母は幸せであったと思います。

随想 私の一日の始まり 万事が共に働いて益となる

○ぶどうの枝第59号(2023年12月24日発行)に掲載(執筆者:SK)

 昨年三月、不注意によるけがで車椅子の生活を、そして今年二月悪性リンパ腫が発見、ようやく杖歩行ができるようになったのに、歩く力がぐっとなくなり、現在歩行器を使って、日常生活を送っています。
 といっても、たくさんの方々の支えによる生活です。紆余曲折を経て、今は民営の高齢者介護の施設で生活をしています。年齢を重ねることの大変さとともに、初めて経験することがたくさんある生活でもあります。一人で歩き、一人で食事を作り食べる当たり前の生活ができていた頃にはとても思いつかない生活です。
 ご病気の方からの便りに対して、「手を合わせて主に祈ることはできます」などと書いていましたが、さて、自分での歩行が難しく、一人で生活が困難になったとき、手を合わせることはできても、祈ることができませんでした。祈る心が出てこないのです。一体私の信仰は何だったのでしょうか。若いときからの信仰は、…恥ずかしい限りです。
 ある日、礼拝に出席できずにいた私に電話です。呼び覚まされた感じでした。「私のことを心にかけてくださる人が…」と、まず主に依り頼み祈ること、そして聖書を読もうと、さらに、礼拝説教(CD)が大きく後押ししてくれました。
 何度も繰り返し聞いた「ヨセフ物語」の説教は、正に「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています」(聖書協会共同訳、ローマ八章二八節)、そのものです。
「私の息子たちを遠くから、娘たちを地の果てから連れて帰させよ。
 それは、私の名で呼ばれるすべての者
 私の栄光のために創造し、
 形づくり、私が造り上げた者。」
  (聖書協会共同訳、イザヤ四三章六~七節)
 わたしもその中の一人として造られた者なのです。感謝しかありません。朝、カーテンをあけ、向こうに見える小さな丘に向かって
「わたしは山々に向かって目をあげる。
 わたしの助けはどこから来るのか」
  (聖書協会共同訳、詩編一二一編一節)
 と自然に口ずさんでいます。こうして私の一日は始まります。ようやくたどりついたこの頃です。

2023年12月24日 クリスマス集会

 10時30分から大人と子どもが共にお祝いするクリスマス合同礼拝、12時から祝会、午後7時からクリスマスイブ礼拝を行いました。
 主イエスのご降誕を大勢の方と共にお祝いすることができ、感謝です。

クリスマス合同礼拝後に記念撮影をしました

 

大勢の方が祝会に出席してくださいました

 

降誕劇です。天使がマリアに語りかけます

 

天使が羊飼いたちに救い主の誕生を告げます

 

三人の学者たちが幼子を拝みます

 

サンタさんの登場です

 

子どもたちにプレゼントを渡します

 

クリスマスイブ礼拝では主イエスご降誕の聖書朗読と賛美が中心です

 

クリスマスイブ礼拝のプログラム

2024年1月の主日聖書日課から

1月7日
○イザヤ書42章1-9節
 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
 わたしが選び、喜び迎える者を。
 彼の上にわたしの霊は置かれ
 彼は国々の裁きを導き出す。
 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
 傷ついた葦を折ることなく
 暗くなってゆく灯心を消すことなく
 裁きを導き出して、確かなものとする。
 暗くなることも、傷つき果てることもない
 この地に裁きを置くときまでは。
 島々は彼の教えを待ち望む。
 主である神はこう言われる。
 神は天を創造して、これを広げ
 地とそこに生ずるものを繰り広げ
 その上に住む人々に息を与え
 そこを歩く者に霊を与えられる。
 主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
 あなたの手を取った。
 民の契約、諸国の光として
 あなたを形づくり、あなたを立てた。
 わたしは主、これがわたしの名。
 わたしは栄光をほかの神に渡さず
 わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。
 見よ、初めのことは成就した。
 新しいことをわたしは告げよう。
 それが芽生えてくる前に
 わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

○ヨハネによる福音書1章29-34節
 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。

1月14日
○サムエル記上3章1-10節
 少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。
 主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

○ヨハネによる福音書1章35-51節
 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

1月21日
○出エジプト記33章12-23節
 モーセは主に言った。「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。あなたは、また、『わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す』と言われました。お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、わたしはどのようにして、あなたがわたしに御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」主が、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言われると、モーセは主に言った。「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」
 主はモーセに言われた。「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」
 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」

○ヨハネによる福音書2章1-11節
 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

1月28日
○ヨブ記22章11-28節
 また、暗黒に包まれて何も見えず
 洪水があなたを覆っているのであなたは言う。
 「神がいますのは高い天の上で
 見よ、あのように高い星の群れの頭なのだ。」
 だからあなたは言う。
 「神が何を知っておられるものか。
 濃霧の向こうから裁くことができようか。
 雲に遮られて見ることもできず
 天の丸天井を行き来されるだけだ」と。
 あなたは昔からの道に
 悪を行う者の歩んだ道に気をつけよ。
 彼らは時ならずして、取り去られ
 流れがその基までぬぐい去った。
 神に向かって彼らは言っていた。
   「ほうっておいてくれ
 全能者と呼ばれる者に何ができる。」
 それに対してあなたは言った。
 「神はその彼らの家を富で満たされる。
 神に逆らう者の考えはわたしから遠い。」
 神に従う人なら見抜いて喜び
 罪のない人なら嘲笑って言うであろう。
 「彼らの財産は確かに無に帰し
 残ったものも火になめ尽くされる。」
 神に従い、神と和解しなさい。
 そうすれば、あなたは幸せになるだろう。
 神が口ずから授ける教えを受け
 その言葉を心に納めなさい。
 もし、全能者のもとに立ち帰り
 あなたの天幕から不正を遠ざけるなら
   あなたは元どおりにしていただける。
 黄金を塵の中に
 オフィルの金を川床に置くがよい。
 全能者こそがあなたの黄金
 あなたにとっての最高の銀となり
 あなたは全能者によって喜びを得
 神に向かって顔を上げ
 あなたが祈れば聞き入れられ
 満願の献げ物をすることもできるだろう。
 あなたが決意することは成就し
 歩む道には光が輝くことだろう。

○ヨハネによる福音書8章21-36節
 そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。
 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2024」(日本キリスト教団出版局、2023年12月20日発行)より作成

2023年クリスマス集会のご案内

 イエス・キリストがお生まれになったクリスマスを共にお祝いしましょう。佐倉教会の2023年クリスマス集会をご案内します。お気軽にご出席ください。

○クリスマス合同礼拝
日時 12月24日(日)午前10時30分~11時45分
 大人と子どもが一緒にクリスマスのメッセージを聞きます。

○クリスマス祝会 
日時 12月24日(日)正午~午後1時30分
 軽食、イエス・キリストの降誕劇、賛美などにより、大人も子どももクリスマスをお祝いするひとときを持ちます。

○クリスマス・イブ礼拝
日時 12月24日(日)午後7時~午後8時
 賛美、聖書、メッセージを通してクリスマスの喜びを分かち合います。

2023年12月の主日聖書日課から

12月3日
○イザヤ書52章1-10節
 奮い立て、奮い立て
 力をまとえ、シオンよ。
 輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ。
 無割礼の汚れた者が
 あなたの中に攻め込むことは再び起こらない。
 立ち上がって塵を払え、捕らわれのエルサレム。
 首の縄目を解け、捕らわれの娘シオンよ。
 主はこう言われる。
 「ただ同然で売られたあなたたちは
 銀によらずに買い戻される」と。
 主なる神はこう言われる。初め、わたしの民はエジプトに下り、そこに宿った。また、アッシリア人は故なくこの民を搾取した。そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。わたしの民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、わたしの名は常に、そして絶え間なく侮られている、と主は言われる。それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るであろう。それゆえその日には、わたしが神であることを、「見よ、ここにいる」と言う者であることを知るようになる。
 いかに美しいことか
 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
 救いを告げ
 あなたの神は王となられた、と
   シオンに向かって呼ばわる。
 その声に、あなたの見張りは声をあげ
 皆共に、喜び歌う。
 彼らは目の当たりに見る
   主がシオンに帰られるのを。
 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。
 主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
 主は聖なる御腕の力を
   国々の民の目にあらわにされた。
 地の果てまで、すべての人が
   わたしたちの神の救いを仰ぐ。
 
○ヨハネによる福音書7章25-31節
 さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。

12月10日
○列王記上22章6-17節
 しかし同時にヨシャファトはイスラエルの王に、「まず主の言葉を求めてください」と言った。イスラエルの王は、約四百人の預言者を召集し、「わたしはラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか」と問うた。彼らは、「攻め上ってください。主は、王の手にこれをお渡しになります」と答えた。しかし、ヨシャファトが、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と問うと、イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」ヨシャファトは、「王よ、そのように言ってはなりません」といさめた。そこでイスラエルの王は一人の宦官を呼び、「イムラの子ミカヤを急いで連れて来るように」と言った。
 イスラエルの王はユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場で、それぞれ正装して王座に着いていた。預言者たちは皆、その前に出て預言していた。ケナアナの子ツィドキヤが数本の鉄の角を作って、「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言うと、他の預言者たちも皆同様に預言して、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った。
 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言って、王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」

○ヨハネによる福音書5章36-47節
 しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
 わたしは、人からの誉れは受けない。しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」

12月17日
○マラキ書3章19-24節
 見よ、その日が来る
 炉のように燃える日が。
 高慢な者、悪を行う者は
 すべてわらのようになる。
 到来するその日は、と万軍の主は言われる。
 彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
 義の太陽が昇る。
 その翼にはいやす力がある。
 あなたたちは牛舎の子牛のように
 躍り出て跳び回る。
 わたしが備えているその日に
 あなたたちは神に逆らう者を踏みつける。
 彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。
 わが僕モーセの教えを思い起こせ。
 わたしは彼に、全イスラエルのため
 ホレブで掟と定めを命じておいた。
 見よ、わたしは
 大いなる恐るべき主の日が来る前に
 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
 彼は父の心を子に
 子の心を父に向けさせる。
 わたしが来て、破滅をもって
 この地を撃つことがないように。
 
○ヨハネによる福音書1章19-28節
 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
 「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
 『主の道をまっすぐにせよ』と。」
 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

12月24日
○ゼカリヤ書2章14-17
 娘シオンよ、声をあげて喜べ。
 わたしは来て
 あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
 その日、多くの国々は主に帰依して
 わたしの民となり
 わたしはあなたのただ中に住まう。
 こうして、あなたは万軍の主がわたしを
   あなたに遣わされたことを知るようになる。
 主は聖なる地の領地として
 ユダを譲り受け
 エルサレムを再び選ばれる。
 すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。
 主はその聖なる住まいから立ち上がられる。」

○ルカによる福音書1章57-66節
 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

12月25日
(キリストの降誕 前夜)
○イザヤ書7章10-14節
 主は更にアハズに向かって言われた。
 「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。
 深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」
 しかし、アハズは言った。
 「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」
 イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。
 あなたたちは人間に
   もどかしい思いをさせるだけでは足りず
 わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
 それゆえ、わたしの主が御自ら
   あなたたちにしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶ。
 
○ルカによる福音書2章1-20節
 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

(キリストの降誕 日中)
○イザヤ書62章6-7節、10-12節
 エルサレムよ、あなたの城壁の上に
   わたしは見張りを置く。
 昼も夜も決して黙してはならない。
 主に思い起こしていただく役目の者よ
 決して沈黙してはならない。
 また、主の沈黙を招いてはならない。
 主が再建に取りかかり
 エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。
 
 城門を通れ、通れ、民の道を開け。
 盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え
 石を取り除け。
 諸国の民に向かって旗を掲げよ。
 見よ、主は地の果てにまで布告される。
 娘シオンに言え。
 見よ、あなたの救いが進んで来る。
 見よ、主のかち得られたものは御もとに従い
 主の働きの実りは御前を進む。
 彼らは聖なる民、主に贖われた者、と呼ばれ
 あなたは尋ね求められる女
 捨てられることのない都と呼ばれる。
 
○ヨハネによる福音書1章1-14節
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

12月31日
○イザヤ書11章1-10節
 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
 その根からひとつの若枝が育ち
 その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊
 思慮と勇気の霊
 主を知り、畏れ敬う霊。
 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
 目に見えるところによって裁きを行わず
 耳にするところによって弁護することはない。
 弱い人のために正当な裁きを行い
 この地の貧しい人を公平に弁護する。
 その口の鞭をもって地を打ち
 唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
 正義をその腰の帯とし
 真実をその身に帯びる。

 狼は小羊と共に宿り
 豹は子山羊と共に伏す。
 子牛は若獅子と共に育ち
 小さい子供がそれらを導く。
 牛も熊も共に草をはみ
 その子らは共に伏し
 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
 幼子は蝮の巣に手を入れる。
 わたしの聖なる山においては
 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
 水が海を覆っているように
 大地は主を知る知識で満たされる。
 その日が来れば
 エッサイの根は
   すべての民の旗印として立てられ
 国々はそれを求めて集う。
 そのとどまるところは栄光に輝く。
 
○マタイによる福音書2章1-12節
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2023」(日本キリスト教団出版局、2022年9月28日発行)より作成

2023年12月 教会学校ニュース28号

 佐倉教会では、12月24日(日)10時30分から、クリスマス合同礼拝として、大人と子どもが一緒に礼拝を守ります。
 また、礼拝後、12時から2階集会室においてクリスマスお祝いの会を開きます。
 子どもたちには、軽食に加えて、お菓子とプレゼントを用意します。
 クリスマスには、ぜひ教会にいらしてください。

2023年11月23日 チャーチ・コンサート

 平山丈夫さんをお招きして第14回チャーチ・コンサートを開きました。
 ユーモアを交えた証しと素晴らしい賛美を聞かせていただき、感謝です。
 また、52名の方が来てくださり、チャイルド・ファンド・ジャパンへの募金19,650円をいただきました。
 厚く御礼申し上げます。

ユーモアを交えた語り口で分かりやすくお話しいただきました
柔らかい響きのある声による賛美です
ギターの弾き語り
身振り手振りを交えた楽しい歌もありました

2023年11月11日 さつまいもを収穫する会

 穏やかな好天に恵まれ、5月に苗を植え付けたさつまいもを収穫しました。
 びっくりするほどの立派な大きなさつまいもでした。
 畑の世話をしてくださったご夫妻に感謝します。
 収穫の後は、お庭の散策、柿もぎ、ふかしいも、昼食など楽しみました。

賛美と祈りを持って収穫作業を始めます
参加者の自己紹介を行いました
掘れば立派なサツマイモがぞろぞろ
穏やかな好天に恵まれました
立派なサツマイモをご覧あれ
ふかしたサツマイモと昼食を食べて一息。皆様お疲れ様でした