| 月 | 日 | 時刻 | 集会・行事 |
|---|---|---|---|
| 4 | 9 | 10:30 | イースター合同礼拝 |
| 5 | 5 | 10:30 | さつまいもの苗を植える会 |
| 5 | 28 | 10:30 | ペンテコステ |
| 6 | 11 | 10:30 | 花の日合同礼拝 |
| 7 | 22 | 11:00 | さつまいもの観察・流しそうめんの会 |
| 9 | 17 | 10:30 | 敬老・子ども祝福合同礼拝 |
| 10 | 22 | 12:10 | 教会修養会 |
| 11 | 5 | 10:30 | 召天者記念礼拝 |
| 11 | 5 | 14:00 | 墓前礼拝 |
| 11 | 11 | 10:30 | さつまいもを収穫する会 |
| 11 | 23 | 13:30 | 教会コンサート |
| 11 | 26 | 10:30 | 教会創立記念礼拝 |
| 12 | 24 | 10:30 | クリスマス合同礼拝・祝会 |
| 12 | 24 | 19:00 | イブ礼拝 |
| 1 | 7 | 10:30 | 新年礼拝 |
| 2 | 11 | 礼拝後 | お餅つき会 |
| 3 | 29 | 10:30 | 受難日礼拝 |
| 3 | 31 | 10:30 | イースター合同礼拝 |
2023年6月25日 ヘセドシンガーズの賛美
礼拝後、韓国のヘセドシンガーズの皆さんの賛美を聞きました。
4年前の2019年6月のご奉仕に続き、2回目です。
美しい、心のこもった賛美を感謝します。


恐れることはない ただ信じなさい 主イエスに委ねて歩む ルカによる福音書八章四〇~五六節
○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:金 南錫牧師)
二〇二〇年から始まった新型コロナウイルス感染症によって、約三年間、いろいろな活動や計画が中断されました。今日の聖書箇所に出てくる会堂長ヤイロも、そうした計画を中断された一人です。
イエス様がゲラサの地からガリラヤ湖を通って、戻ってこられると、群衆は喜んで迎えました。またそれだけではなく、待っていたのです。その中、ヤイロという人が来て、イエス様の足もとにひれ伏し、自分の家に来てくださるように願いました。それは、十二歳ぐらいの一人娘が死にかけていたからです。そして、イエス様がそこに向かう途中で、群衆が周りに押し寄せて来ました。一分一秒を争う中、群衆が道を阻むわけです。
そこに、一人の女性まで現れます。彼女は十二年間も出血が止まらない病を患っていました。当時、そのような病気の女性は、ユダヤの律法によって、汚れている病気とされて、言わば日陰者のような生活を強いられました。自分の病気が治らず、絶望の中を生きていたのです。医者に全財産を使い果たしましたが、誰からも治してもらえなかったのです。そういうときに彼女は、イエス様と出会ったのです。彼女はこの方によって、病気を癒やしていただけると思い、群衆の中に紛れ込んで、後ろからイエス様の服の房に触れたのです。
彼女は必死でした。イエス様の服の房に触れたときに、その出血が止まったのです。癒やされたのです。彼女は、その癒しを自分自身感じながらも、一切秘密にして、このまま去ろうと思っていました。しかし、イエス様は自分の内から力が出ていったのを感じて、「わたしに触れたのはだれか」と言われました(四五節)。周りの人はびっくりしました。皆、「私ではない」と答えます。すると、ペトロが見かねて「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言いました。つまり、これほど密になっているのだから、誰が主イエスに触れたのか分かるはずがない、と言いたかったのです。
では、イエス様はなぜこの人を探すのでしょうか。また、イエス様が「わたしに触れたのはだれか」と尋ねていますが、イエス様は本当に分からなかったのでしょうか。そうではないと思います。ここでイエス様はある意図があって「わたしに触れたのはだれか」と尋ねていたのです。それは、彼女を公の場に引き出して、励まし信仰を育てるためです。
四七節に「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した」とあります。この女は皆の前で、証をしたのです。なぜ主イエスに触ったのか、その理由とたちまち癒やされた次第を証しました。この十二年間どんな思いで、人生を歩んできたのか。その中、主イエスの服に触れれば治るという必死の思いをもって、イエスの服の房に触ったときに、出血が止まったことを証しました。この証は、彼女の信仰告白となりました。
その信仰の証を表した彼女に、イエス様は言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(四八節)。 このイエス様の言葉は、共同体の生活に復帰するために、必要な宣言でした。こうして十二年間も、出血の止まらない病を患っていた一人の女が、イエス様と出会い救われました。癒やされました。
会堂長ヤイロの恐れ
ところが、この救いの出来事を目撃した会堂長ヤイロは、心の中で「イエス様、一人娘が死にかけているんです。早く切り上げて、私の家に向かっていきませんか」と叫んでいたと思います。そして、何が起きるのでしょうか。「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。『お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。』」(四九節)。ヤイロは家から来た人から、お嬢さんは亡くなったという知らせを聞くのです。これを聞いたときのヤイロの反応は、聖書に書いてありません。むしろ、イエス様が傍らで驚いているヤイロに、直ちに語りかけるのです。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
恐れというのは、心配することです。今ヤイロは、イエス様なら助けてくれるかも知れない、癒やしてくれるかもしれない、その望みをかけて出かけてきたのです。それなのに、途中で十二年間も出血が止まらない女が現れ、彼女から「イエス様」と呼び止めたわけでもないのに、誰かがわたしに触れたとイエス様の方から、探し出すわけです。ヤイロにとっては、この割り込み、中断さえなければ、助かったかもしれない、そう思ったのかもしれません。
私たちの人生の中でも、このように中断せざるを得ない出来事、想定外の出来事が起こります。まさに三年間続いたコロナ禍がそういうことです。そのコロナ禍によって、私たちは活動を制限され、立てた計画を中止、変更され続けてきました。そのときに、「なぜですか」と問うのが私たちであります。しかし、想定外のことで計画などが中断されるときに、神様は私たちの目をご自身に向けさせるのです。そして、言われるのです。「恐れることはない。ただ信じなさい。」
今ヤイロは、イエス様から「恐れることはない。ただ信じなさい」という言葉、また彼の家から来た人から「娘は死んだ。もうイエス様には来てもらう必要はない」という言葉、この二つの言葉を同時に聞いています。このとき皆さんがヤイロなら、どちらを選ぶでしょうか。目の前の現実に苦しみ、悩み、恐れても、イエス様の言葉を選んでいくのが信仰です。この後、イエス様はヤイロの家に向かっていきます。つまり、ヤイロはイエス様の言葉を選んだのです。そして、そこで娘が命を吹き返すことを体験することができました。
三年間のコロナ禍を通ってきた佐倉教会は、二回の教会員懇談会を経て、今年から新しく選出された役員と共に、新しい歩みを始めようとしています。高齢化の中、誰がご奉仕できるのか、という不安の声もありますが、こういうときこそ、何を信じ、どんな言葉に耳を傾けるのかが問われます。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」(四八節)。これからの歩みの中、想定外の出来事が起こるかもしれません。でも先のことを神に、主イエスに委ねていこうではありませんか。そして、「恐れることはない。ただ信じなさい」と語りかけてくださる主イエスの言葉に耳を傾けつつ、またその言葉に励まされて、共に歩んでいきたいと思います。
転入会者より 初めまして お世話になります
○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:YS)
御名を讃美します。ユーカリが丘教会から新規転入会しましたYSと申します。
昭和十四年六月十八日に旧満州国撫順市(ぶじゅんし)にて出生、父の病死に伴い家族四人で鹿児島市へ帰国。ラサール高校二年時にウイルキンソン宣教師の司式で鹿児島バブテスト鴨池教会において受洗しました。
一浪した後、京都大学薬学部に入学。卒業後武田薬品工業研究所に就職。六年の勤務の後、一念発起して大阪大学蛋白質研究所に戻りました。
二年間の研究所生活を経て、星薬科大学の衛生化学研究室に就職。ドイツフンボルト財団の給費でドイツギーセン大学薬理学研究所へ二年間留学しました。
ドイツではギーセン教会のワイデマン牧師ほか皆様にお世話になりました。二年後に帰国。その後ユーカリが丘教会を経てこの度転入会いたしました。
転入会者より 生まれ育った信仰は恵み 何度も生を与えられた人生
○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:MT)
本年四月の復活祭礼拝において、佐倉教会に転会させていただきました。それは私にとっては、新たなる生を与えられた日でもありました。転入式の間に、私の命は神さまに与えられていると確信しました。
明治時代初期に曽祖父母が同時に受洗してからのクリスチャンファミリー第四世代として、七十五年前に最初の生を与えられた私は、二年後に教団戸山教会(東京・新宿)にて幼児洗礼を受けました。
幼児期から日曜学校に通い、兄弟姉妹のいない一人っ子であった私は、そのまま大人の礼拝に「参加」していたのです。当時、十歳ほど年上で、戸山教会の現役長老によると、私が礼拝中、皆が讃美歌を歌っているときですら、礼拝堂内を「自由に」歩き回っていても、それは誰からもとがめられていなかったそうです。
アメリカ人宣教師が、聖書研究会で講話をしてくれたときには、それを父が通訳していました。私は、その始まりには母の膝の上に「おとなしく」座っていましたが数分すると、そこからするりと降りて、勝手気ままに大人たちの間を動いていたそうです。恥ずかしながら、私の信仰生活はそのように始まっていたのです。
ともあれ、私が今回の転入式の最中に思い出したことがあります。日曜学校の先生から、「クリスチャンがイエスさまの誕生と復活をお祝いするのは、私たち人間はそれぞれの人生の中で、何度も生まれる経験をする。それは神さまからの祝福の印なのだよ」という趣旨のことを話してくれたことです。
私は日曜学校のほか、クエーカー系の幼稚園に通いました。現在に至るまで影響を受けています。公立中学卒業にあたって、父の勧めで青山学院(曽祖父仙が創立者の一人)高等部を受験することになりました。幸い合格はしましたが、高等部入学よりも中学卒業の頃で思い出すことがあります。その頃、一人の親戚から、卒業というのは「これで終わり」ということではなく、英語でコメンスメントと言い表されるように、今から始まる」の意味なのだ、というのを学んだことです。言い換えれば、入学式だけではなく卒業式も「新たな生」を与えられるときだったのです。その意味では、何事につけ終了する、修了する、別れる、死去するなどは全て、生まれることでもあるのでしょう。
青学高等部は授業の合間に礼拝のある学校でした。宗教部に入った私は「大人の聖書」を読むようになりました。三年生のときでしたか、講堂に集められた全校生や教員の前で、証しをする機会を与えられました。多人数の前で話をする最初の経験でした。何を話したかは覚えていません。
堅信礼(教団戸山教会)を受けたのもその頃でした。私がキリストにあって生まれる(生きる)意義を強烈に体感したのは、宗教部の夏休みの活動、「キャラバン」でした。埼玉、千葉、神奈川など近隣地方都市や農村へ、教員(物理の先生でした)に引率され「キャラバン」と称して、そのときの日曜学校のプログラムを担ったのでした。自分たちと年齢差のある小中学生と接することで、教えることは教えられることを学びました。
青山学院大学教育学科に進学しました。教師になりたいということよりも、教育というものの社会的意味と可能性について関心があったからです。教会ではなぜか、青年会長を務めていました。キリスト教界というコミュニティにどっぷりつかった「ごく普通の真面目な青年キリスト者」でした。
私の人生観を大きく揺るがしたのは、やはり大学一年夏(一九六六年)のことでありました。国際エキュメニカルワークキャンプを体験したからでした。世界各国の青年たちが集いました。東京奥多摩にて、福祉施設の敷地整備をし、汗を流したのです。宗派を超え、国際基督教大学チャップレン夫妻、イエズス会神父、カトリック修道女は日本人でしたが、三、四名の日本人学生以外は国際色豊かな若者たちでした。共に祈り、支え合い、丸二週間、寝食を共にしたのです。毎日が新発見の連続でした。幾つもの言語が飛び交っていましたが、共通語は多様ながらも英語でした。
教育学専攻の私は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に興味を持つようになりました。当時の私の夢は、ユネスコ職員になることでした。それはそれとして(実現しませんでしたが)、日本ユネスコ連盟という団体が学生国際交流の一環として、韓国訪問ツアー計画のあることを知ったのです。早速応募しました。それは、いわゆる日韓条約締結の一九六五年十二月から一年も経過していないときでした。
滞在は一週間ほどでしたが、生まれて初めての外国で、韓国人学生やホストファミリーの温かい対応に恵まれました。一つ、ビジュアルに私の記憶に残っているのは、ソウルの夜の街中にたくさんの灯り付きの十字架が輝いている風景です。
帰国後、父にそういった報告をしました。そこで初めて知らされたことがありました。「明治十四年、朝鮮朝廷は新生日本に使節団を派遣した。アンジョンスは農業担当であったため、農学者仙(私の曽祖父)を訪問。仙は農業事情講義のあと、〈山上の垂訓〉の掛け軸の寄贈を申し出た。アンは朝鮮では基督教が禁止されているためと、辞退した。ともあれ、そういう交流が、朝鮮にキリスト教(プロテスタンティズム)がもたらされる契機となった」とのことです。私は不思議なつながりを感じました。
さて、私は大学二年の春休み(一九六八年)に一人、米国とカナダをバスで一周する旅をしました。六六年夏のエキュメニカルキャンプ、親交、そして信仰を深め合った仲間を訪ねながら移動したのです。ちょうどベトナム戦争の真っただ中でもありました。各地の大学キャンパスでは、反戦と和平のための運動が盛んでした。男子学生とっては自分たち、女子大生にとってはボーイフレンドの命に関わる切実な問題だったのです。ベトナムに行けば死ぬかもしれない、敵を殺すかもしれないのが戦争であることを現実として認識していたのです。
同じアジアの隣国ベトナムが南北に分断され、戦争を起こしていたのです。そこに生きている人々について、知識も関心も全く持っていなかったこと、つまりは平和ボケしている日本人である自分に気付かされました。
更に強い印象を受けたのが、アメリカ人、カナダ人を問わず学生たちに見られる、キリスト教諸宗派のみならず、宗教の壁を超え、「無神論者」をも含めて、和平の実現を求める姿勢のあることでした。
以上述べてきた様々な見聞があり、大学卒業までには、少しばかり、日本人らしくない日本人(?!)、クリスチャンらしからぬクリスチャン(?!)になっていたようです。
卒業後に決意した私の進路は、フィリピン国立大学大学院への進学でした。日本人留学生はほとんどいませんでしたが、ホストファミリーに恵まれました。たまたま、フィリピンは国民の九割近くがクリスチャンという、アジア最大の「キリスト教国」でしたので、私はまたまた新しい社会に生まれることになりました。文字通り、エキュメニズムの精神をもって社会変革をしていこうとする強い人々に出会ったのです。生涯の友となる配偶者も与えられました。
それからおよそ五十二年間がたちました。生を幾度も与えられている恵みに感謝するこの頃です。
私たちは転入会したり入学したりするだけでなく、卒業する、修了する、終了する、別れる、など生きているうちには、何度でも生まれるのです。確実に一回だけの出来事は死去することです。しかしそれが天国に召される(召天する)ときなのでしょう。
奨励 最も影響を受けたヒト 闘病生活の中での確信と喜び
○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:FH)
私が佐倉教会に転入会を許されたのは二〇二一年八月で、その前年の九月に埼玉から千葉へ引っ越してきました。そして、その契機は、二〇一六年二月に妻が五十二歳で天に召されたことにあります。
妻は四十二歳で乳がんと診断され、四十四歳のときに胸腰椎に転移が見付かりました。乳がんと診断されたときは、看護師だったせいか、病名を聞いても大きな動揺はなく冷静に受け止めることができたと言っていましたが、転移が見付かった際には、これだけの痛みや苦しみに耐えて治療を進めてきたのに再発してしまった、もう完治は望めないのではないかという脱力感が大きかったように見えました。
召される一年くらい前から痛み止めにモルヒネを常用するようになり、半年前には一人で通院することも難しくなりました。
一月に入って、主治医から「打つ手がなくなってきている」と告げられた際には「まだ心の準備ができていません。でも、主に叫んで助けを求め続けていくしかありません。どうぞ共に祈ってください。」と何人かの方々へメールしていました。また月末に緊急入院して「腫瘍マーカーが三週間で三倍になっている」と言われたときには「体が辛いと気持ちが萎えそうなりますが、そばにいてくださるイエスさまに安心して、癒やしの御手を信じて過ごします」「やはり神様を信じるクリスチャンとして神様に呼ばれたときは穏やかに従いたいと思います。それが私の生き方だから。」とメールしていました。
召される十日ほど前に、私は担当医から「余命数ヶ月、今の状態だと数日でもおかしくない」と話をされ「会わずじまいになっている友だちにも近況報告をしたら?」と説得して、妻の想いを私が口述筆記した手紙は「今後のことは、よく解りませんが、全て御存知で壮大な御計画をされている神様を信じて、一日一日を過ごそうと思います。不安や恐れがないと言えば嘘になりますが、不思議に心は平安です。出会いを作ってくださった神様の恵みに心から感謝しています。本当に、ありがとうございました。」と結んでいました。たぶん、状況が解っていたのでしょう。
新約聖書の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一 五章一六~一八節)は、妻が『私の葬儀の備え』にメモしていた箇所です。妻は、最期の一~二年、少し聖書を読み祈って就寝することを習慣にしていました。がんになって、失ったものは測り知れなかったと思いますが、神様がいつも一緒にいてくださるという確信と喜び、今日一日を何事もなく送れたという安堵と感謝を心の底から感じるようになったように見えました。
もう一か所、旧約聖書の「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書二九章一一節)もメモしてありました。「どうして自分がなったんだろうなぁ」といった思いが、聖書を読み祈る中で、人間の目には災いと見えても、神様が私たちのために立てられた計画には、全て平安と希望があると信じられるようになっていったのだと思います。
私自身「ナゼ妻をお取り去りになったのですか?僕が自分のことしか頭になく、妻に想いが至らなかったせいですか?」と何回となく祈り尋ねました。答えがおぼろげながら浮かんでくることはあっても、ほとんどの場合、神様は沈黙されたままです。しかし、人生を歩む中で、時にナゼと問わざるを得ないことが起こっても、たとえ神様は沈黙されたままであっても、いつでも祈り尋ねることができる唯一無二の方がいらっしゃること、そして喜びのときも悲しみのときもその方が共に人生の歩みを担ってくださっていることは、本当に有り難いことです。
今、私は新しい家族との歩みを始めています。新しいパートナーとは、お互い五十年、六十年と生きてきたわけですから、それぞれの生活習慣や価値観があって、時にぶつかることもあります。でも、全て神様が立てられた計画、妻も応援してくれているに違いないと信じ、思い悩んだら信頼できる唯一無二の方に祈り尋ねることを繰り返しながら、乗り越えていこうと思っています。
そして、妻のように、喜びと感謝を絶やさない揺るぎないクリスチャンになれればと思っています。
(本稿は、本年二月十二日におけるHさんの礼拝奨励からご寄稿いただきました)
証し いつも私たちを呼ばれる主 神様の招きに応えたい
○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:SK)
佐倉教会の皆様、お久しぶりです。現在、八千代聖書教会にて学んでいるSKです。
愛する佐倉教会の『ぶどうの枝』に原稿を載せさせていただけること感謝いたします。三月に奨励をさせていただく機会をありがとうございました。その中から、私が強く伝えたいと思っていた部分を抜粋させていただきました。二つの御言葉です。
佐倉教会の歩みを覚えて祈ります。この小さき者のことも祈り覚えていただければ幸いです。
「それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」[申命記八章三節](新改訳二〇一七)
この御言葉を読んで私は牧師への召命を確信しました。ある旧約聖書の授業で出会いました。この言葉を読むとすごく自分のことが語られているような気がするんです。「あなたを苦しめて、飢えさせて」。苦しみ、困難さをきっかけとして神様のことをよりよく知るという経験をした私の姿が思い浮かぶのです。「それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」神様の言葉によって、御言葉によって、神様とともに生きるべきであることを語り続けたいという思いが与えられました。神様ご自身が正に私に語ってくださり、私を呼んでくださったと確信しています。神様はいつも語ってくださいます。そのことを私は叫び続けたいのです。
このような神様から与えられた幾つかの出来事や御言葉によって私は自分の召命を確信しました。これからあと数年間、牧師として仕えていくための学びに全力で向かっていきたいと願います。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」[ピリピ人への手紙四章四節~七節](新改訳二〇一七)
この御言葉は、私が困難の中にあり、行き詰まりを覚えていたときに与えられたものです。どんなに苦しい状況であったとしても、一度立ち止まって、冷静になって、自分のたどってきた道を見ると必ず、うれしいこと、幸せなことがあるはずです。悪いものばかりに目を留めてしまいがちですが、神様がお創りになったこの世界は良いもので満ちあふれています。その良いものを見つめて喜べる者となりたいのです。また、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」この言葉は本当に心に刻まれました。
神様は、私たちにただ与えるだけではありません。私たちが、神様から与えられる糧、一つ一つに感謝してささげる祈りによって、神様に私たちの願いを知っていただくべきであると書かれています。すると、なんと、私たちの理解を超えた神の平安が私たちの心をキリストにあって守ってくださる。
神様と共に生きるということはどのようなことでしょうか。聖書を読んでお祈りする。もちろんそうです。しかし、私たちには、神様に願いを伝えることが許されています。ただ受けるのみならず、私たちが神様にリクエストすることができる。私たちと神様の思いが、一方通行ではなく、交互に行ったり来たりする、まさに神様との交わりです。これこそ生きた信仰なのだなと気付かされました。私たちの心の内を神様に知っていただく。このことを大切にしたいのです。そうすることによって、神様が与える一つ一つの出来事の意味をよく考えることができます。私たちが何を求めているかを神様が知っていることになるからです。
神様は私たちがどうしたいのかを知りたがっている、興味を持っていてくださっているということを心に刻みたいと思います。
私は、牧師としての働きに神様が呼んでくださったと確信しています。神様は、私たち人間全員のことを愛しています。全員のことを呼んでいます。皆さんお一人お一人のことをいつも呼んでいます。私も呼ばれたし、皆さんも呼ばれています。
私たちがどうしたいのか、そのことを神様に伝え、そこで何が返ってくるのかを楽しみ、よく味わって生きる者とされたいと思います。その一つ一つの出来事によって、神様は私たちを呼んでいるのではないでしょうか。
本当に幼い頃からこの教会で育てられ、神様の声を聞いて私がいつも呼ばれていたことに気付くことができました。心から感謝いたします。しばらくの間、他の教会で学ばせていただくこととなっています。毎週お会いすることはできなくなってしまいますが、いつも佐倉教会を覚えお祈りしています。
私も、神様の招きに応えて、一生懸命学んでいきたいと思います。
報告 ユーチューブで礼拝の配信を開始
○ぶどうの枝第58号(2023年7月2日発行)に掲載(執筆者:MK)
近年、教会に足を運ぶことが難しい方が増えてまいりました。また、コロナ禍で教会に集まることが難しくなったことを機会に、礼拝のオンラインによる配信を行なう教会も多くなりました。昨年十月に行われた教会員懇談会でも、礼拝の配信を行なうべきだという意見がすべての班から出されましたので、役員会はこれを受けて機材をそろえ、十二月からYouTube(ユーチューブ)による配信の試行を始めました。
しかし実際にやってみると、内容の問題と技術的な問題の両方が生じました。
まず内容的には、YouTubeで限定を付けずに公開すると、全世界の人がいつでもどこでも見られる状態になるため、映っている人や語っている人のプライバシーが問題になります。礼拝は、その場に集まった人の、そのときだけのものであったわけですが、それを場所も時間も対象も無限大に拡大してしまうと、やはり問題が生じます。カメラとマイクの向こうに誰がいるか分からない、そのときだけで消えるはずの言葉がいつまで残るか分からない、という状態を好まない方がいれば、それを無視して進めることはできないわけです。他教会の実際のオンライン配信を見てみると、一部始終を公開している所もありますが、多くは牧師説教のみで、この点の難しさが分かります。
YouTubeには「限定公開」という方法もあり、リンク先のアドレスを知っている人だけが視聴できるようにすることは可能ですが、その場合は、対象者を決めて一回ごとにメールでリンク先を連絡しないといけないので、そこをどうするかが問題になります。またアドレスが漏れた場合は、やはり誰が見るか分からない状態になる、というリスクもあります。
このため、さまざまな協議をした結果、現在は、説教と説教前後の讃美歌、および聖書朗読の部分を配信しています。これですと、見られる又は聞かれるのは、(司会者の朗読などの声は入りますが)内容的には牧師のみですので、先生が差し支えなければ可能、ということになります。礼拝の全体ではなくても、説教だけよりは良いのではと思います。
技術的には、「ライブ配信」と「録画のアップ」の二つの方法があり、当初は、実際に礼拝を行なっている時間に視聴できる「ライブ配信」(後からの視聴も可)でやってみたのですが、音の歪みがかなりひどく、また実際はあまり同じ時間には視聴されておらず、後から視聴する方が便利だと分かりましたので、無理に「同時中継」にはせずに、一度ビデオを撮って、その録画を礼拝が終わってからすぐにアップするように変更しました。
また、使用するWebカメラも、司会者が映り込まないように画角の狭いものが必要でしたし、マイクの性能も様々なので、いろいろと試行が必要でした。YouTubeの操作自体は難しくないのですが、やってみないと分からないことは多いものです。
結果としては、ふだんお出でになれない五名ほどの教会員の方々がいつも視聴しているそうです。このほか、視聴回数を見ると、だいたい三十回は超えていて、百回以上のときもあるので、教会員以外の方もかなり視聴していると思われます。いずれ「YouTubeで見ました」と言って教会を訪ねる方もいらっしゃるのではと期待しています。
視聴方法は、パソコンでもスマホでも、ネットを見られる環境があれば簡単です。佐倉教会のホームページにはリンク先が表示してありますし、YouTubeで「佐倉教会」を検索してもすぐに出てきます。
なお、配信の作業は、現在、私と、SMさん、YHさん、CKさんで行なっています。お手伝いいただける方は私までご連絡ください。よろしくお願いいたします。
2023年7月の主日聖書日課から
7月2日
○ルツ記1章1-18節
士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。
息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。
故国ユダに帰る道すがら、ナオミは二人の嫁に言った。
「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、言った。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」
ナオミは言った。
「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。あなたたちの夫になるような子供がわたしの胎内にまだいるとでも思っているのですか。
わたしの娘たちよ、帰りなさい。わたしはもう年をとって、再婚などできはしません。たとえ、まだ望みがあると考えて、今夜にでもだれかのもとに嫁ぎ、子供を産んだとしても、その子たちが大きくなるまであなたたちは待つつもりですか。それまで嫁がずに過ごすつもりですか。わたしの娘たちよ、それはいけません。あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから。」
二人はまた声をあげて泣いた。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。
○ルカによる福音書17章11-19節
イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
7月9日
○エレミヤ書38章1-13節
マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた。
「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」
役人たちは王に言った。
「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」
ゼデキヤ王は答えた。
「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」
そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。
エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」
王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。エベド・メレクはその人々を連れて宮廷に帰り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、それを綱で水溜めの中のエレミヤにつり降ろした。クシュ人エベド・メレクはエレミヤに言った。「古着とぼろ切れを脇の下にはさんで、綱にあてがいなさい。」エレミヤはそのとおりにした。そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。そして、エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。
○ルカによる福音書7章11-17節
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。
7月16日
○サムエル記上24章8-18節
ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった。サウルは洞窟を出て先に進んだ。ダビデも続いて洞窟を出ると、サウルの背後から声をかけた。「わが主君、王よ。」サウルが振り返ると、ダビデは顔を地に伏せ、礼をして、サウルに言った。「ダビデがあなたに危害を加えようとしている、などといううわさになぜ耳を貸されるのですか。今日、主が洞窟であなたをわたしの手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。そのとき、あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『わたしの主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました。わが父よ、よく御覧ください。あなたの上着の端がわたしの手にあります。わたしは上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした。御覧ください。わたしの手には悪事も反逆もありません。あなたに対して罪を犯しませんでした。それにもかかわらず、あなたはわたしの命を奪おうと追い回されるのです。主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません。古いことわざに、『悪は悪人から出る』と言います。わたしは手を下しません。イスラエルの王は、誰を追って出て来られたのでしょう。あなたは誰を追跡されるのですか。死んだ犬、一匹の蚤ではありませんか。主が裁き手となって、わたしとあなたの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように。」
ダビデがサウルに対するこれらの言葉を言い終えると、サウルは言った。「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」サウルは声をあげて泣き、ダビデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。
○ルカによる福音書7章36-50節
さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
7月23日
○ヨシュア記2章1-14節
ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。
「確かに、その人たちはわたしのところに来ましたが、わたしはその人たちがどこから来たのか知りませんでした。日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」
彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。
二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、言った。
「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。それを聞いたとき、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。
わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください。」
二人は彼女に答えた。
「あなたたちのために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」
○ルカによる福音書8章1-3節
すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。
7月30日
○列王記上19章9-21節
エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」
エリヤはそこをたち、十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリヤはそのそばを通り過ぎるとき、自分の外套を彼に投げかけた。エリシャは牛を捨てて、エリヤの後を追い、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは答えた。「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と。
エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を取って屠り、牛の装具を燃やしてその肉を煮、人々に振る舞って食べさせた。それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた。
○ルカによる福音書9章51-62節
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。
一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2023」(日本キリスト教団出版局、2022年9月28日発行)より作成
2023年7月 教会学校ニュース23号
夏休みが近づいています。
暑い時期は無理をせず、疲労回復と英気を養うことに努めましょう。
佐倉教会では、日本キリスト教団の他の教会と合同で小学生、中高生のための夏のプログラムを用意しています。
ぜひご参加ください。

