2025年7月27日「見よ、神の小羊だ」

○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書1章29ー34節

洗礼者ヨハネは自分の方へ、イエス様が来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言っています(29節)。このヨハネの言い方は旧約聖書を背景としています。旧約聖書の中には、身代わりに罪を取り除く救い主についての預言があります。特に有名なのは、イザヤ書53章に記されている「苦難の僕」の預言です。この箇所には「屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」と言われる人が登場します(7節)。この人について「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」と表現されています(5b)。ここから私たちの受けるべき苦しみを代わりに負ってくださる「神の小羊」という救い主理解が生まれました。また、神の小羊という言葉の意味は、出エジプト記12章に出て来る過越の小羊を読むと分かります。イスラエルの民がエジプトで奴隷の苦しみにあえいでいた時に、それを憐れんだ神様が、イスラエルの民をエジプトから脱出させることにしました。その時、神様はエジプトの人々に攻撃を加えたのですが、イスラエルの民には、小羊の血を自分たちの家の鴨居と柱に塗っておくように命じました。それを目印として、その家は神の裁きが過ぎ越していったのです。つまり、小羊の血によって救われたのです。

 こうした旧約聖書の背景から、洗礼者ヨハネは、自分の方に来られるイエス様を見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と証されたのです。まさに、イエス様はこの世に生まれ、私たちの罪を取り除くために、十字架上で身代わりの犠牲として死なれました。私たちが受けなければならない裁きを身代わりに受けて死んでくださったのです。神の小羊として命を捧げたのです。ですから、洗礼者ヨハネはこのイエス・キリストに対して、「わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」と証ししました(34節)。