○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書1章14ー18節
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」ここで、「言は肉となって」というのは、言であり、神の御子であるイエスキリストが、私たちと同じ「人間となって」、この世に来てくださったことを指しています。また、「宿られた」と訳された言葉は、「天幕を張る」という意味があって、イスラエルの民が、出エジプトのとき、40年に渡って荒れ野をさまよった時、「天幕」が神の臨在の場所となりました。その天幕は臨在の幕屋と言われ、神が民の中に留まる栄光の場所を意味しました。ヨハネ福音書は、その神の栄光を「父の独り子である」イエス・キリストの中に見ました。「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」と書いてある通りです。
私たちはイエス・キリストによって、神の栄光を見ることができたのです。今日の18節にも同じことを語っています。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」父のふところにいる独り子である神、イエス・キリストが肉となって、一人の人間としてこの世を生きてくださいました。そのことによって、神の姿が示されたのです。
16節に「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」とあります。満ちあふれる豊かさを持っておられるお方が、限界のある人となって、苦しみを受けられ、十字架で死ぬまで、低く貧しくなってくださったのです。その貧しさゆえに、私たちは豊かにされたのです。富む者とされたのです。このことをしっかりと心に刻みたいと思います。

