○金 南錫牧師 ルカによる福音書7章18-35節
ガリラヤの領主ヘロデの結婚に対して、洗礼者ヨハネは恐れず批判したために、捕えられ、牢に閉じ込められてしまいました。ヨハネが牢獄にいる間、公の生涯を始められた主イエスは、悪魔の試みに打ち勝ち、汚れた霊に取りつかれた男をいやし、漁師のシモン達を弟子として招きました。そしてそれまで誰も聞いたことのない新しい、権威ある教えを説かれたのです。そして今日の箇所の直前には、百人隊長の僕を癒したり、やもめの息子を生き返らせたりする軌跡を起こされています。こうした主イエスの様々な活動を、牢獄に捕らわれていたヨハネは見ることができませんでした。そしてヨハネは、弟子たちの中から二人を呼んで、主イエスのもとに送り、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねさせました(19節)。彼が牢獄に閉じ込められる前に語って来たことは、神の裁きの宣言でした。そして、ヨハネは来るべき方、ナザレのイエスが、いつ聖なる裁きを為してくださるのか、期待していました。けれどもいつまで経ってもそのような動きが見られないので、「来るべき方は、あなたでしょうか」と聞いたわけです。
このヨハネの問いに対して、主イエスはイザヤの預言の言葉を引用して、「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」と言いました。つまり、主イエスは今この預言が成就していることを、ヨハネに伝えなさい、今起きていることこそ、メシアのしるしであると言ったのです。