○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書6章41ー50節
イエス様は「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と仰いました。そして、ご自分こそが天から降って来て、私たちの命を養ってくださる命のパンであると宣言なさったのです。これを聞いたユダヤ人たちは、「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか」と言って、つぶやき始めたのです(41-42節)。イエス様はその彼らのつぶやきをよくご覧になった上で、こう言われました。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(43-44節)イエス様は、今、あなたがたが私のもとにいるのは、私をお遣わしになった父が、あなたがたを引き寄せてくださったのだと言うのです。
続いて、「預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである」とあります(45-46節)。ここでイエス様は、預言書の言葉を引用しながら、あなたがたが今、わたしのもとに来ているのは、神によって、教えられているからではないか。父から聞いて学んだからではないか、というのです。
私たちが確かに、イエス様を神の子として信じることができるのは、神様が聖書を通して、私たちに語りかけ、教えてくださっているからです。その聖書の言葉によって、神は私たちをイエスのもとに引き寄せてくださるのです。また、イエス様はユダヤ人たちに、今あなたがたが見ているこの私は、神のもとから来た者で、父なる神を見たのだというのです。また、イエス様はこう仰います。「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(57節)私たちは知識だけでイエス様を知っているのではありません。聖餐を通して、イエス様と私たちが結び合っていくのです。

