○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書6章1ー15節
「その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。」(1節)この6章ではガリラヤに舞台が移っています。そして、イエス様はガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとしています。また、時は「過越祭が近づいていた」頃でした。イエス様は山に登り、弟子たちと一緒に座っておりました。すると、そこに人たちが続々と集まって来て、五千人に及んだのです。
イエス様は大勢の人たちがご自分の方に向かって来るのを見て、フィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われました。すると、フィリポは「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えました。また、別の弟子アンデレはこう言います。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」(9節)この時、弟子たちは、イエス様が自分たちと一緒におられたのですが、そのことが見えなかったのです。だから、否定的になってしまったのです。11節でイエス様は「パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、・・・」とあります。これは、私たち人間の浅い知恵が尽きたところから、イエス様の働きが始まることを示しています。私たちは、何か問題が起こった時に、まず祈るよりも、つい自分の浅い知恵に頼ってしまいがちです。でも、イエス様はそのような私たちと共におられ、私たちを養ってくださるのです。

