○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書4章27ー42節
サマリアの女はイエスとの対話を通して、神との関係へと目が開かれていきました。そして彼女は「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」と言いました。すると、イエスは「それは、あなたと話をしているこのわたしである」と言われました(25、26)。
イエスは自ら、ご自分がキリストと呼ばれるメシアであることを明らかになさいました。すると、そこに弟子たちが戻って来て、イエスに「ラビ、食事をどうぞ」と勧めます(31)。しかしイエスは「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」と仰いました(34)。そして、ご自分が経験なさったサマリアでの伝道を、二つのことわざを使って教えています。その内の一つに、「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」ということわざがあります。人は自分が種を蒔いたら、その収穫は自分で得たいと思います。サマリア人は、ヤコブを大事な先祖として、重んじていました。そして、そのヤコブが掘った井戸があったからこそ、そこにサマリアの女が水を汲みに来て、イエスとの対話が始まり、イエスをキリストと呼ばれるメシアだとして、信じるようになったのです。それは、井戸を残したヤコブの存在があったからです。つまり、サマリアの女がイエスを救い主として信じるようになったのは、遠い昔に蒔かれた種からの実りであったのです。「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」ということわざはそういう意味です。

