2021年6月の主日聖書日課から

6月6日
○エゼキエル書18章30-32節
 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

○使徒言行録17章29-31節
 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」

6月13日
○イザヤ書60章19-22節
 太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず
 月の輝きがあなたを照らすこともない。
 主があなたのとこしえの光となり
 あなたの神があなたの輝きとなられる。
 あなたの太陽は再び沈むことなく
 あなたの月は欠けることがない。
 主があなたの永遠の光となり
 あなたの嘆きの日々は終わる。
 あなたの民は皆、主に従う者となり
 とこしえに地を継ぎ
 わたしの植えた若木、わたしの手の業として
 輝きに包まれる。
 最も小さいものも千人となり
 最も弱いものも強大な国となる。
 主なるわたしは、時が来れば速やかに行う。

○フィリピの信徒への手紙2章12-16節
 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。

6月20日
○申命記26章5-11節
 あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏し、あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。

○コリントの信徒への手紙二8章9-15節
 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
 「多く集めた者も、余ることはなく、
 わずかしか集めなかった者も、
 不足することはなかった」と書いてあるとおりです。

6月27日
○イザヤ書49章14-18節
 シオンは言う。
 主はわたしを見捨てられた
 わたしの主はわたしを忘れられた、と。
 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
 母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
 たとえ、女たちが忘れようとも
 わたしがあなたを忘れることは決してない。
 見よ、わたしはあなたを
 わたしの手のひらに刻みつける。
 あなたの城壁は常にわたしの前にある。
 あなたを破壊した者は速やかに来たが
 あなたを建てる者は更に速やかに来る。
 あなたを廃虚とした者はあなたを去る。
 目を上げて、見渡すがよい。
 彼らはすべて集められ、あなたのもとに来る。
 わたしは生きている、と主は言われる。
 あなたは彼らのすべてを飾りのように身にまとい
 花嫁の帯のように結ぶであろう。

○使徒言行録4章32-37節
 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2021」(日本キリスト教団出版局、2020年12月25日発行)より作成