○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書13章31ー38節
ユダはイエス様から足を洗っていただいたそのイエスの愛を、信頼をもって受け止めることができませんでした。そして、夜の中に、闇の中に去って行ったのです。 そのことを受けて、イエス様はこう語られました。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。」(31節)人の子とはイエス様ご自身のことで、その人の子イエスは「栄光を受けた」とあります。これは、これから起こる十字架のことを指しています。ユダの裏切りによって、イエス様はこれから逮捕され、十字架につけられ、死んでいくわけです。そのイエス様の十字架上の苦しみと死を通して、人間は救われる。その時がすでに始まっているというのがイエス様の「今や、人の子は栄光を受けた」時の理解でした。イエス様は今、弟子たちに向かって「子たちよ」と親しく呼びかけて、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいるが、これからいなくなっていく(33節)。すると、その残された弟子たちがこれからどう生きるべきか、その指針を与えようとしている。それが、34節、35節です。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」ここで「あなたがたに新しい掟を与える。」とありますが、一体何が新しいのでしょうか。旧約聖書のレビ記19章18節を見ると、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とあるように、「愛しなさい」というのは、昔から、すでに言われていました。では、「新しい掟」その新しさとは何のことでしょうか。それは「わたしがあなたがたを愛したように」、互いに愛し合うことです。これは、ただ単に人間同士が、自分たちの親切さや愛情をもって、お互いに愛し合いなさい、そういうことではないのです。イエス様が私たちを愛してくださった、そのイエスの愛に基づいて、愛し合うことです。

