2026年7月26日「一粒の麦」

○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書12章20ー26節

過越の祭りの時、何人かのギリシア人がイエスの弟子であるフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたい」と頼んだのです。フィリポはアンデレに相談し、アンデレと二人で、イエス様にその旨を伝えました。23節以下は、何人かのギリシア人が訪ねて来た知らせを耳にしたイエス様の返答です。イエス様はこう言われます。「人の子が栄光を受ける時が来た。」イエス様は今まで何度も「わたしの時はまだ来ていない。」と言われました。ところが、いよいよ栄光を受ける時が来たと仰います。この栄光とは、十字架のことです。続いてイエス様はこう仰います。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。」(24節)。これは明らかに、イエス様の十字架と復活によって、多くの人が救われることを示しています。イエス様は迫って来るご自分の十字架の死を、この一粒の麦に重ねました。そして、ご自分の十字架の死は決して無駄には終わらない。必ず多くの実を結んでいくその栄光をイエス様は見ておられたのです。そして、このイエス様の言葉は確かに実現されました。今から二千年前に起こったイエス様の十字架の出来事は、私たちのための出来事として、イエス様がこの私たちの罪を十字架上で身代わりとなって負ってくださったのです。その福音を受け入れた人たちが、今度十字架のもとで礼拝を捧げているのです。私たちもその一人です。つまり、イエス様は今、私は十字架につけられ、死んでいくのですが、その十字架は決して無駄ではない。多くの実を結ぶ。あなたたちがその一人であるとおっしゃっています。