2026年6月14日「わたしは復活であり、命である」

○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書11章17ー27節

ラザロは二人の姉妹マルタとアリアと共に、ベタニアに住んでいました。そのベタニアで、ラザロが重い病気にかかって、死んでしまいました。イエス様がベタニアに来てみると、「ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた」のです。兄弟ラザロを失ったマルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が慰めに来ていました。そのところに、イエス様が来られました。マルタはイエス様が来られたと聞いて、迎えに行きます。そして、マルタがイエス様に言います。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」(21節)この言葉の中には、イエス様がなぜ、もっと早く来てくださらなかったんだろうかというニュアンスが込められています。ところがマルタは続けてこう語っています。「しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」(22節)マルタとマリアは、イエスこそ、苦しみの中に、悲しみの中にある自分たちに救いを与えてくださるお方であると信じて、そのイエスによる救いになお期待しているのです。

そのマルタに、イエス様が仰います。「あなたの兄弟は復活する。」(23節)すると、マルタは答えます。「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(24節)マルタは、「終わりの日の復活」を将来の話として受け止めたわけです。そこでイエス様は「わたしは復活であり、命である」とおっしゃいました。これは、将来、終わりの日に始まる救いではなく、今既にイエスによって始まっている救いのことを語っているのです。復活は、終わりの日の出来事ですが、今ここでの出来事でもあることを伝えようとしています。