2026年5月10日「見える、見えない」

○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書9章35ー41節

イエス様は癒された盲人が会堂から追い出されたことを聞いて、心配して彼を探しに来てくださったのです。そして、彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われました。人の子と言うのは、救い主のことです。癒やされた盲人は目の前にいるイエス様が、自分の目を癒してくださった方だと、まだわかっていないのです。だから「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」と尋ねます。

イエス様は仰います。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」(37節)イエス様は、あなたが信じたいと言っているのは、このわたしのことだと、ご自分を示されました。すると、癒された盲人は、「主よ、信じます」と言って、ひざまずきます。イエス様を礼拝したのです。イエス様は生まれつき目の見えないのは、「神の業がこの人に現れるためである」と仰いました(3節)。癒やされた盲人が肉の目だけではなく、霊的な目が開かれて、イエス様を主として、礼拝するようになった。これこそ、この人に起こった神の業なのです。