2025年9月28日「主を誇る幸い」

○藤盛  純子牧師 ローマの信徒への手紙2章17ー29節

29節「その誉れは人からではなく、神から来るのです。」普通、「自分を誇れる」ことは人間の成長にとって大事なことです。けれども使徒パウロは、NOと言います。「自分を誇る」生き方は、いつか破綻してしまうからです。ユダヤ人は、律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮りました。神の民であるしるしの「割礼」も、律法を破れば意味がありません。神から律法を与えられたユダヤ人たちは、自らを「神から選ばれた民」だと愛しましたが、「隣人を愛せ」という律法を守れず、他の民族を見下しました。私たちは、主の霊によって心に割礼を施された時、真の意味で神の民となります。「主を誇る」とは、自分が罪深く無力であることを認め、主に信頼し、困難の中で祈ることです。自分を無にして、隣人に仕え、神に感謝することです。私たちは罪人ですが、同時に神の霊の割礼を心に施されているので、自分を誇る誘惑に勝ち、神を誇る者とされるのです。