○金 南錫牧師 フィリピの信徒への手紙1章1ー5節
この手紙は、パウロが人生の最後に、ローマの獄中にあったときに、フィリピの教会に当てて書いた手紙です。この手紙を読むと、喜びとか、喜ぶという言葉がたくさん出て来るので、「喜びの手紙」とも呼ばれています。
この手紙の差し出し人として、「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから」とあります。パウロは自分を「キリスト・イエスの僕」と呼んでいます。「僕、doulos」というのは、奴隷のことです。ですから、パウロは自分を「キリスト・イエスの奴隷である」と言っています。奴隷の反対の言葉と言えば、「自由人」ですが、パウロは本当の「自由」を求め、キリスト・イエスの奴隷であることを誇りとし、キリスト・イエスの奴隷になったことを神に感謝しているのです。そして、罪や欲望など、何ものかの奴隷になっている私たち人間に、キリスト・イエスの僕、奴隷になった時にのみ、この世の一切のものに対して自由になることができる、そのことを教えています。