○金 南錫牧師 フィリピの信徒への手紙2章19ー24節
パウロは今、ローマ皇帝の前で裁判を受けるために、囚われの身となっています。ですから、フィリピの教会に行きたくても、行くことはできません。それで、パウロは自分に代わって、自分と同じ思いで、フィリピ教会のことを心から心配し、祈っていたテモテを遣わそうとします。また、それだけではありません。そうすることによって、パウロ自身も、力づけられたいと願っていたのです。さらに、パウロはこう言っています。「そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。」(23、24節)パウロは死を予感していたにもかかわらず、主によって生きようとしていたのです。