2022年9月4日「安息日の主」

○金 南錫牧師   ルカによる福音書6章1-11節

本日の聖書箇所には、二つの安息日の出来事が記されています。「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。」(1節)それに対してファリサイ派の人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と非難しました。また、ほかの安息日に、イエス様は会堂に入って教えておられました(6節)。そこに右手の萎えた人がいました。律法学者たちやファリサイ派の人々は、主イエスを訴える口実を見つけようとして、「イエスが安息日に病気をいやされるかどうか」と注目していたのです。イエスは彼らの考えを見抜いた上で手の萎えた人に「立って、真ん中に出なさい」そして「手を伸ばしなさい」と言われました。この人はイエス様の言葉を信じて、動かない手を伸ばしました。すると、手は元どおりになったのです。

安息日が定められている理由は、神の創造の御業、神の救いの御業を覚えて神様に感謝することが目的です。そのために、安息日にはすべての仕事を休むわけですが、問題はこの手段のほうが目的になっていたのです。