2021年7月25日「信仰による義」

○金 南錫牧師 創世記15章1-6節

 アブラムは今まで神様から「あなたを大いなる国民にし、あなたの子孫にこの土地を与える」と繰り返し言われて来ました。しかし、その土地を受け継ぐ子どもが与えられるという神の約束は、なかなか実現しないので、年老いたアブラムは不安でした。神様はそのアブラムを外に連れ出し、空の星を見させるのです。そこには満天の星が輝いていました。そして神様はこう告げます。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。そして言われた。あなたの子孫はこのようになる」(5節) 。この神の言葉に、アブラムはもう一度、神様を信じて生きていこうと思いました。

 6節に「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」とあります。アブラムは、まだ一人の子どもも与えられていないのに、星のように、数えきれない子孫の繁栄を約束する主なる神を信じました。そのことが神によって義と認められたのです。ここで義と認められるというのは、「正しいと認められる」「良しとされる」ということです。今まで跡継ぎが生まれないということで、神に失望し、疑いの中に置かれていたのですが、アブラムは神を信じ、すべてを神に委ねます。これがアブラムの信仰であります。神様が良しとされた、義と認められた信仰なのです。