2021年3月14日「エデンからの追放」

○金 南錫牧師 創世記3章14-24節

 今日の聖書箇所では、すべてをご存じである主なる神が、アダムと女の言い逃れを聞いた後、蛇、女、男という順に裁きを宣告していきます。

 まず、主なる神は蛇に対して、14節に「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう」とお告げになりました。蛇の姿が不気味で、地面を這い回る様子は神に呪われたしるしであると、古代の人々は想像しました。また、15節に「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」とあるように、主なる神は、ご自分が創造なさった蛇が人間を誘惑し、罪を犯させた共犯者として断罪なさったことになります。

 次に、主なる神は女に向かって、16節に「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する」とお告げになりました。女性に命を産み出す能力があるのは、祝福のしるしのはずです。しかしここに至って、妊婦の産みの苦しみは、女が罪を犯して神の裁きを受けた痕跡であり、しるしであると表現されています。最後に、主なる神はアダムに向かって、お告げになりました。17節から19節です。エデンの園を耕すことはアダムにとって喜ばしい労働でした。しかし、アダムが神の戒めを破って罪を犯してしまったとたんに、苦しみを伴うものになってしまいました。また、人間の罪によって土は呪われるものとなりました。それ以後、人間は茨とあざみが覆い茂る大地を苦労して耕す生活を余儀なくされたのです。また、「塵にすぎないお前は塵に返る」とあるように、神から「死」の宣告を受けています。

 このように、主なる神は神の戒めを破ったアダムと女に裁きを宣告していきます。しかし同時に、その中に神の恵み深い憐れみも込められているということに気づかされます。21節に「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた」とあります。神に背いた人間は、神に衣を作っていただく資格はありません。それにも関わらず、エデンの園から追放される直前に、主なる神がアダムと女のために、皮の衣を作って着せられることは、生命を与えられることでした。ここに神の恵み深い憐れみが込められていると言えるのではないでしょうか。

 22節から24節においても、エデンの園から追放されるアダムとエバに対する神の恵み深い憐れみが込められていると言えます。善悪を知る者となったアダムが「手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」ので(22節)、主なる神は「彼をエデンの園から追い出し・・・命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた」のです(23、24節)。つまり、エデンからの追放の目的は、アダムとエバが命の木の実を食べ、永遠に生きることがないように、ということでした。もし私たちが罪のままの姿で永遠に生きる者になったら大変であります。今日の聖書箇所は「エデンからの追放」ですが、その追放も、神の恵み深い憐れみだったと考えられます。